滋賀県甲良町 西明寺
Saimyoji,Koura town,Shiga
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犬上郡甲良町池寺26 西明寺二天門 重文 近世以前/寺院 室町中期 応永14(1407) 三間一戸楼門、入母屋造、こけら葺 19110417
犬上郡甲良町池寺26 西明寺宝塔 重文 近世以前/その他 鎌倉後期 嘉元2(1304) 石造宝塔 嘉元二年十二月日の刻銘がある 19600209
犬上郡甲良町池寺26 西明寺本堂 国宝 近世以前/寺院 鎌倉前期 鎌倉前期 桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、向拝三間、檜皮葺 18971228 19521122
April 9,2022 大野木康夫 source movie
拝観入口付近
不断桜
本坊庭園
本堂
二天門
三重塔
帰路
Nov.16,2020 瀧山幸伸
A camera
B camera
November 24,2019 大野木康夫 source movie
駐車場から拝観入口へ
拝観入口付近
本坊付近
庭園
二天門付近
二天門から鐘楼への道
伽藍
二天門付近
手水舎付近
本堂
三重塔
帰路
March 2, 2019 野崎順次 source movie
湖東三山の一つに数えられる天台宗の寺。平安時代、仁明(にんみょう)天皇の勅願により三修上人が開山したと伝えられます。戦国時代には兵火のため荒れ果てていましたが、江戸時代中期に望月友閑(もちづきゆうかん)によって再興されました。
門をくぐると参道が続き、山坊跡の石垣が散在しており、平安、鎌倉、室町時代を通じて祈願・修行(しゅぎょう)道場として栄えたことがうかがわれます。幸い織田信長の兵火を免れ、飛騨(ひだ)の匠によって建立された本堂や三重塔や二天門が残されています。
本堂は、鎌倉時代初期に建立された建造物で、釘を一本も使わない純和風建築です。鎌倉の様式がよく保存され、国宝第一号に指定されています。
本堂の右方に立つ三重塔は、総檜(そうひのき)の優美な姿の塔といわれ、初層内部に極彩色で金剛界の三十二菩薩など鎌倉時代の極楽浄土が描かれています。本堂と同じく釘を一本も使わない純和風建築で、国宝に指定されています。正面両脇に増長天(ぞうちょうてん)、持国天(じこくてん)を祀る二天門は、室町時代に建立され、重要文化財に指定されています。
また、紅葉の名所としても有名ですが、不断桜があり、紅葉と桜を同時に見ることができます。
(滋賀・びわ湖観光情報ウェブサイトより)
パンフレット
本坊の門あたり
町文 蓬莱庭
本庭は約二百十五坪の面積で、山畔を利用し、下部に池を掘り、中島一島に石橋二橋を架け、別に西部池中に岩島2個を配してある。
山畔中央よりやや西部のところが出島となっていて、よく江戸中期宝暦前後の様式を示しているが、ことに枯滝を三ヶ所に設けるのは、前の寛文延宝以後の伝統であるが、しかしそれらの枯滝石組の手法の上から一覧すると、やはり中期的である。また中島は亀島であり、岩島は近年になって入れたものである。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」西明寺庭園より)
庭園の上は苔のきれいな境内が続く。
夫婦杉(千年杉)
国重文 二天門
国宝 本堂
国宝 三重塔
鐘楼
大雪の後の週末
参道
境内
庭園
本堂
本堂と三重塔
三重塔
宝塔は雪に埋もれて見られませんでした。
仁王門
茶所
仁王門下から
帰路
■案内
■■境内散策
■總門と参道
■本坊と蓬莱庭付近 蓬莱庭は国指定文化財
■本堂 国宝
■三重塔 国重要文化財
■宝塔 国重要文化財
■ 池寺
本堂の裏山にある。 池の水は大変貴重なものであった。
伝承によれば、琵琶湖の西岸にいた三修上人は、湖の対岸の山に紫の雲のたなびくのを見て不思議に思った。そこで神通力を用いて一気に水面を飛び越え、対岸に渡ると、今の西明寺のある山の中の池から紫の光がさしていた。三修上人がその池に祈念すると、薬師如来の像が出現し、その姿を刻んで祀ったのが寺のはじまりであるという。寺のある場所の地名を「池寺」というのは、この伝説に基づいている。
■本堂蟇股三種類 鎌倉初期の簡素なデザイン
側面 もっとも簡素である
■■仏像 一部である。近江の祈りと美より引用
■木造十二神将立像
■木造十二神将立像 国重要文化財
■木造釈迦如来立像 国重要文化財
■御本尊
本尊:薬師如来は秘仏 国重要文化財 住職一代、一回の御開帳
何時も本堂の内陣須弥壇上の厨子内に安置されている。その前に立って外からの拝観である。厨子の左右に脇侍として日光・月光の両菩薩や、薬師如来の信仰者を守護する十二神将像、或いは二天王像などの諸仏が群立する。
薬師瑠璃光如来
湖東三山の一つ、西明寺。国宝の本堂と三重塔は美しい建造物でした。
本堂内も見学でき、重文の仏像も拝観できました。
境内入り口付近
本坊庭園(国指定名勝)
庭園から境内に直接登りました。
三重塔(国宝)
本堂(国宝)朝は逆光で撮影しづらいです。
所在地 滋賀県犬上郡甲良町池寺26
二天門(重要文化財)
応永14(1407)年の建築
三間一戸楼門、入母屋造、こけら葺
本堂(国宝)
鎌倉前期の建築
桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、向拝三間、檜皮葺
三重塔(国宝)
鎌倉後期の建築
三間三重塔婆、檜皮葺
宝塔(重要文化財)
嘉元2(1304)年の建造
石造宝塔、嘉元二年十二月日の刻銘がある
A camera
B camera
解説:滋賀県教育委員会資料
Mar.2010 撮影/文:中山辰夫
5月頃になると目を見張る青葉、10月過ぎからは真っ赤な紅葉、その景色にいつも酔わせてくれる西明寺の境内。
だが3月末ころは、苔がやっと動き出した程度で、木々はまだ眠っている感じです。
さすがにこの期間に訪れる人は少なく、境内は静まりかえって寺本来の姿を取り戻しているようです。
その風景はまさに原形を見るようで、いつもと違った味わいがありました。
これから先、情景は日々変化して行きます。感嘆すると同時に自然界のバイタリティ−の凄さにあらためて敬服いたします。
2010年 西明寺のパンフレットです
西明寺
犬上郡甲良町池寺
天台宗
金剛輪寺から国道307号線を北へ向かうとまもなく右手に現れる。
総門を入って、樹木におおわれた参道を500mばかり行き、最後に急な石段を登ると二天門に至る。
二天門の奥は平坦な境内地で正面に本堂、その右手手前に三重塔がいずれも西側向いて建っている。
三重塔の前方には鐘楼、後方の一段高い所には石造宝塔がある。西明寺は山号が「龍應山」、通称が「池寺」と「水」と深い関わりがあった寺院である。
寺伝によると、伊吹山を開いた三修上人がこの地の小池より光明の輝くのを見て、承和元年(834)が開創したと伝わる。
平安時代から室町時代にかけて、修行・祈願の道場として栄え、別所諸堂十七ケ所・社宮十二神・坊舎三百をもち、寺領も2000石に及んだ大寺院だったとされる。
元亀2年(1571)比叡山が織田信長に抵抗したため、天台宗の西明寺も元亀2年(1571)丹羽長秀の攻撃を受けたが山麓の塔頭を焼いたのみで、本堂・三重塔・二天門は残った。
一説によると、火の手があまりにすさまじく、望見した織田の兵が、本堂以下が焼け落ちたと勘違いして引き揚げたともいう。
水を通じて寺と住民間に有った強い信頼関係が、住民たちの篤い信仰心となり、両者の協力関係で危機を救ったといえよう。
その後は衰微の一途をたどった。
慶安4年(1648)、江戸幕府三代将軍徳川家光から寺領30石の朱印状を与えられ、天海大僧正、公海大僧正の尽力も加わった。
さらに延宝年間(1673〜81)には、京都山科毘沙門堂(天台宗)の門跡久遠寿院公海大僧正の参詣により復興が進められた。
本堂・三重塔は建造物の国宝指定第一号(仏像は広隆寺の弥勒菩薩)、純和様の建物でどっしりとした美しさは飽きない。本坊までの参道と門塀
長い参道が本堂へと延びる。参道下を名神高速道路が通っていることで驚く人が多い。百済寺や金剛輪寺と同様に広大な寺地を擁している。
境内には旧子院跡が、いまは苔むした石垣にその名残を留めている。頑丈なままに残っている巨大な石垣が往時の盛時を語る。
参道の大部分は江戸時代に望月越中守友閑が復興した。参道の両側を紅葉が紅く包む。
参道を少し登ると本坊がある。
不断桜
(県指定天然記念物)
参道の左側にある小門をくぐる。正面に不断桜が植わっている。樹齢250年とのこと。
この桜は、毎年9月10日頃に咲き始め、11月に満開となる。紅葉で訪れる人は、紅葉と美しく咲き乱れる桜が一度に見ることが出来る。
今回は盛りを過ぎていた。両側にある坊舎の石垣を見ながら登ると本坊に至る。
本坊前庭のどうだんつつじ
蓬莱庭と案内のある門をくぐると手入れされた前庭である。
前庭には大きな満天皇(どうだんつつじ)がある。落葉潅木で春になると若葉とともに花柄文様を出し、黄白色の花を咲かせ、秋には真っ赤に紅葉し、楓と色を競い合うとのこと。
本坊庭園(蓬莱庭)
国指定文化財
庭園は池泉鑑賞式。鶴亀の蓬莱殿と名付けられている。池の中央の石組は折り鶴を形取った鶴島、左側の島が亀島である。
正面の立石群は、本尊薬師如来をはじめ日光・月光の三尊像や十二神将をあらわす。
さらに、刈り込みは雲に似せ、一つの仏の世界を象徴しているとも伝えられる。
この庭園は当山の復興に力を入れた望月友閑により、江戸時代、延宝元年(1673)当山復興の記念として造られたものある。
小掘遠州流の庭を範として枯滝を中心に造庭させたという。
八角石塔
鎌倉時代時代の作である。八角形、高さは2m、歌舞伎で知られる石屋弥陀六の作という伝説がある。
二天門
国重要文化財:建造物:指定1911 04 17 建立:1407
三間一戸、八脚門、入母屋造、柿葺(こけらぶき) 本堂の前に建つ
応永14年(1407)の墨書があり、室町時代の造営である。
門の左右に院尋の彫刻による持国天・増長天の二像を安置している。
二天門をくぐると、正面に本堂、右手に三重塔が建つ。
夫婦杉
本堂国宝:建造物:指定 1997 12 28 建立:1274
七間四方、一重、総桧皮葺、入母屋造、三間向拝付
山を背に建つ壮大な本堂で、瑠璃殿とも呼ばれる。金剛輪寺と大きさは同じであるが、西明寺本堂の正面には三間の向拝が付いている。
本堂の蔀戸(しとみど)、ゆるい屋根の勾配、床下の白い亀腹など純和様の宮殿建築の優美さを見せている。
国宝第一号に指定された理由の一つに、鎌倉時代の顕著な建造物であるとともに蟇股(梁の上にある一種の彫刻)がある。
つまり本堂内部には創建された鎌倉時代初期のもの、外部正面には増築された鎌倉時代中期のもの、向拝には室町時代初期の特徴を示すもの
と三種類の蟇股があり、建物が大きく増築されてゆく様相をよく物語っている。
鎌倉時代の初期飛騨の匠が建立した純和様建築で釘を使用していない。
本堂内部
幸い特別拝観中であったので、本殿内部、内陣・外陣の中を拝観した。
くすんで黒っぽく変色した丸柱が林立し、貴重な仏像が安置されていた。普段は拝めないものばかりだ。結構の広さである。
外陣の蔀戸(しとみど)、側面の板扉、折上格天井、外陣と内陣境の吹寄菱格子欄間、吹寄格子戸は純和風様式の建造物として貴重とされる。
本尊の木造薬師如来立像(鎌倉時代)は秘像である。両脇侍に日光・月光菩薩立像(鎌倉時代)、周囲にはその他仏像が並ぶ。
三重塔
国宝:建造物:指定 1900 04 07 建立:1332
三間三重塔婆、桧皮葺
本堂の南の一番高い場所に建つ三重塔は、日本を代表する鎌倉時代の塔である。総檜皮葺の三重屋根が美しい線を描いている。高さ約24m
均整の取れた美しい桧皮葺の塔の内部には、木造大日如来坐像が安置されている。
長年の風雪に耐えてきたその跡をよく残している。即ち北側は、風雨は強く木の損傷がひどく、西側は西日が当たり全体に変色し南側は虫食いが多いとされる。
三重塔と本堂・二天門と並ぶ天台系伽藍配置は、周囲の樹木との景観と相まって長い歴史の風格を感じさせる。
また、この三つの建造物が比較的接近しているので、湖東三山では随一の伽藍風景を誇っている。
鎌倉時代後期飛騨の匠が建立した純和様建築物で釘を使用していない。
三重塔の内部
特別拝観料を払ってみることが出来た。入った瞬間圧倒された感じがした。約700年前に描かれたという画が目に飛び込んできた。
1mmの隙間も無いほどにギッシリと色鮮やかに壁画が描かれていた。大変上品な内容、出来上がりである。
初層の内部の須弥壇中央には、大日如来坐像を配置し、四本柱に大日如来の脇侍である金剛界三十二菩薩像が美しく彩画されている。
大日如来の上の天蓋(てんがい)の部分は折り上げ小組格天井になり、そこに菊花・宝相華が、鴨居に極楽鳥、四方の八枚の板戸に法華経、八本の柱に八大龍王、等々がくっきりと色調豊かな極彩色で描き出されている。
これらの壁画は巨勢派の画家が画いたとされ、鎌倉時代の壁画としては国内唯一のものである。
数ある国宝の中でも重要視されているのは、700年以上経つ絵画の色調がいまも鮮やかに保存されていることである。
湿度防止がとても重要なポイントで、特別拝観中でも雨の日は閉ざされる。
鐘楼
梵鐘
石造宝塔
国重要文化財 鎌倉後期 嘉元2年(1304)指定:1960 02 09
指定説明
本堂右手の山裾にある。開山の供養塔といわれている。総高2.15mの完全な石造宝塔で、三重の基礎石上に建ち、花崗岩製である。
台石四面に格狭間を彫り、格狭間内にはさらに蓮花を陽刻している。軸石には扉型を浮彫し、その扉型間に陰刻(柱)を彫る。
文中に寛元2年(1304)の年号及び蒲生郡の石塔寺宝塔(西安4年(1302)と同一大工らしい名前がみえる。
代石から相輪まで揃っていて鎌倉時代宝塔の在銘のものとして貴重である。
仏像関係
釈迦如来立像(国重要文化財)・日光菩薩立像(国重要文化財)・日光菩薩立像(国重要文化財)阿弥陀三尊像・十二神将像
その他
十二天像(国重要文化財)・西明寺扁額・合戦絵馬
参考文献≪滋賀県石造構造物調査報告書、近江湖東三山、滋賀県歴史散歩、》
Nov.2009 撮影:瀧山幸伸 source movie
1st camera
2nd camera
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