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滋賀県草津市 伊沙沙神社

Isasajinja,Kusatsu city,Shiga

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草津市渋川2-2-1 伊砂砂神社本殿 重文 近世以前/神社 室町後期 応仁2(1468) 一間社流造、檜皮葺 棟札2枚 19220413


September 9,2020 大野木康夫 source movie

旧中山道
 


鳥居
  

拝殿
  


本殿
                               


Oct.2013 中山辰夫

滋賀県草津市 渋川の花踊り

Shibukawa Hanaodori,Kusatsu city,Shiga

滋賀県草津市渋川町滋賀県選択無形民俗文化財草津市渋川に伝わる祭礼芸能で、毎年9月13日の伊砂砂神社燈明祭に奉納される、草津市内に伝承される数少ない風流踊りの一つである。

 

伊砂砂神社は、中山道沿いの集落であり、草津宿の助郷であった渋川村に鎮守しており、1468(応仁2年9月13日に建立されたと棟札にある。

中世期には渋川大将軍社と称していたが、伊砂砂川に沿った位置にあることからこの名称に変更されたようだ。(本殿は国重要文化財である。)

お祭りの日の境内

         

■花踊りを伝承する渋川町は、JR草津駅北側に、JR琵琶湖線の東西に広がるまちであり、かつては草津宿周辺で中山道沿いに栄えた集落である。

1572(元亀3年)織田信長に対する一向一揆が蜂起した時に、一揆に加わらない制約をした村落としてその名が見え、歴史的には早くから開けた地域とされる。

現在は駅近郊の住宅地区として発展し、かつての田園風景はほとんど残されていない。

     

■花踊りの伝承

踊りは毎年9月13日の夜、伊砂砂神社境内で行われる。

その由来は、雨乞い祈願の霊験顕著と崇敬されていた伊砂砂神社で、1469(文明元年)に雨乞い祈願の願解きとして踊ったのが創始と伝わる。

「花踊り」の呼び名は、1839(天保10年)8月吉日に書かれた「雨乞御禮花踊人割并諸人用帳」に「花踊」の記述が見られることから、近世紀末にはこの呼び名が使用されていたとされる。

 

■踊りは三十年から五十年に一度「本踊り」を行い、あとは「稽古踊り」といって、毎年九月十三日の灯明祭の夜に踊ることになっている。

近年行われた本踊りは、1919(大正8年)神社勧請450年大祭を記念して臨時大祭が催された時に踊られた。

■踊りの様式

現在の踊りは、音頭取り二人、・シンボウウチ二人・太鼓打ち二人・その他多数の側踊りが男性のみで構成される。

シンボウウチは「心棒打ち」とも記されるが、正しくは「新発意」と記されるべきとされる。その役目は口上役であったり先導役であったり、滑稽な約であったり、多種多様である。衣装は妻折れの花笠をかぶり裁付袴を着用、軍配を持ち赤羽織を着用する。

 

太鼓打ちは花形で踊りの中心的役であり、妻折れ花笠をかぶり、赤の着物に裁付袴を着用、締め太鼓を旨に括り付け、飛び上がりながら左右からバチで太鼓を打って踊る。

 

太鼓打ちとシンボウウチはそれぞれ二人一組で、踊りの輪の中心にあって中踊りを形成し、それぞれ対称に向かい合って踊る様式である。音頭と踊り子は着流しに色タスキ、踊り子は一文字笠の花笠をかぶり、笠にはタスキの色に合わせて青・赤の前垂れが付いて顔が隠れるようになっている。

彩り物として、踊り子は全員うちわを手に持ち、腰には黒地に赤紙を巻き、両端に赤紐のついた「ジャキシン」という筒を差している。

   

■午後七時頃から「道歌」を歌った行列が境内に入り、踊り場に掲げられた高張提灯を中心に円になり、高張提灯の側にいるシンボウウチの口上を合図に太鼓が打たれ、音頭取りの歌と共に左回りで踊り出す。

                                   

■踊り歌は十八曲伝承されており、踊り始めには必ず「お礼踊り」を踊り、稽古踊りではその後数曲の踊りが踊られ最後に「所望踊り」で終わる。

踊り歌には、道歌、お礼歌、参宮踊り、坂東踊り、弁慶踊り、綾の踊り、所望の綾踊り、塩汲み踊り。嫁振り踊り、忍び踊り、お寺踊り、お月踊り、殿の踊り、軍踊り、堺踊り、うわなり踊り、暇踊り、所望おどりなどが伝えられている。

■2~3の歌の紹介

「参宮踊」出羽の国の姫が、羽黒の若者に誘われて伊勢参宮するという歌で、目的地へ行く道筋を地名を挙げて歌っていく形式。

「坂東踊」阪東の若者が京都にやって来て、京の名所を見物し、土産を以て自分の国に帰るという歌で、問答形式である。

「弁慶踊」弁慶が、京都五条の橋で千人切りをしたことを題材にするが、弁慶の衣装を一つ一つ取り上げて説明してゆく、意匠褒めの歌。

「嫁振歌」嫁と仲が悪くて、嫁いびりをする姑の歌。嫁が組んだ水をくみちらかし、績んだ芋を績み散らかし、織った機を織散らかして、うちの嫁は何もしないと言いふらす。風流踊りの歌には嫁と姑の確執を歌った踊り歌がある。

■■風流踊り

当地に伝承されている花踊りの様式は、中世末期から近世初期にかけて民衆の間に流行した風流踊りの一種である。

風流は、様々な扮装をして道化を演ずる踊り。それは踊りの中に「趣」が含まれているとされ、中世末期には奇抜な工夫のある扮装をして踊ることを意味するようになった。特に中世末期から近世初期には歌謡のテーマーに沿って人々が衣装を揃え、彩り物を統一して踊る新規な様式が風流踊りと呼ばれる。参考資料≪渋川の花踊り、まつり・祭・祭礼、他≫


Oct.2011 大野木康夫 source movie

2011.4.29撮影 伊砂砂神社はJR草津駅の北東、旧中山道沿いの渋川地区にあります。

           

本殿(重要文化財)古い瑞垣の中にすっぽりと収まって、古社の雰囲気がよく表れています。

                                                 

 


Aug. 2009  中山辰夫

伊沙沙神社(いささじんじゃ)

草津市渋川2丁目2−8 

草津追分から天井川・草津川を渡り、守山宿を経て、美濃(岐阜県)、木曾・信濃(長野県)、経由で江戸に達する。東海道につぐ江戸時代の幹線道路である。

伊沙沙神社は、JR草津駅の北東約1kmの旧中山道沿いにある古社。

雨乞いに霊験があると伝わる。

創建年代や由緒については不明。

旧中山道に面し往来の激しい場所にある。

社殿の周囲を囲む石垣は自然石を積み上げたもので、鎌倉時代のものといわれる。

拝殿、本殿以外に、中門・福寿殿・神輿庫・曳山庫・手水舎・社務所が建つ。

境内・外社は4社

         

拝殿

間口二間二尺、奥行二間二尺、入母屋造

本殿 

1468年:建築

国重要文化財:建造物:指定1922・04・13

一間社流造、間口一間一尺、奥行一間、桧皮葺

本殿は、社蔵の棟札によって応仁2年(1468)に建立されたとわかる。身舎柱は円注で、漆喰塗の亀腹の上に立っており、周囲三方は高欄付の縁を廻らし、脇障子で仕切ってある。正面の浜床はきわめて狭い。?股(かえるまた)には、宝相華唐草(ほうそうげからくさ)という模様の豪華な透かし彫りが施され見事といわれる。全体的に細身でしっかりとした量感に溢れる、室町建築の作風を伝えているといわれている。今回の訪問では細部までは見えなかった。

               

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