滋賀県草津市 鞭崎八幡宮
Kusatsu Muchisaki Hachimangu
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草津市矢橋町1462 鞭崎神社表門 重文 近世以前/城郭 桃山 慶長(1596-1614) 高麗門、本瓦葺 19240415
September 20,2020 大野木康夫
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境内入口
表門(重要文化財)
慶長年間(1596-1614)の建築
高麗門、本瓦葺
膳所城の南大手門を移築したもの
境内
Aug. 2009 撮影/文: 中山辰夫
鞭崎八幡宮( むちさきはちまんぐう )
草津市矢橋町1462
鞭崎神社は、JR草津駅の南西約4km、浜街道から約150m、石津寺(せきしんじ)の近くにある。
鞭崎神社の前を通る浜街道からの道は矢橋道と呼ばれ、東海道沿いの矢倉から分岐している。
矢橋道は、近江八景・矢橋帰帆として著名な旧矢橋港への道である。江戸・京都へ旅する人々は大津石場と矢橋間の渡し舟を利用し、長い旅先を急いだ。
さて、鞭崎神社は奈良時代中期に大中清麻呂が創建したと伝わる。郷土史の参考資料に「東海道名所図会」と「近江名所図会」があるが、この両書の草津宿場の名所旧跡として、鞭崎八幡宮が次のように記述されている。
「矢橋郷の傍らにあり。神事5月4日。祭神三座あり。左は神功皇后、右は武内大臣。社伝に、天武天皇白鳳4年(675)2月11 日、大中臣清麿勅を奉じて創建する。伝に曰く、建久元年(1190)10月2日の源頼朝上洛の時、この祠(八幡宮)の南を通りかかり、馬上より鞭を指して
如何なる神かと浦人(矢橋浦の住人)に問うに、八幡宮のよしを伝えた。大?軍は急ぎ馬から下り、偈仰し(拝礼し)再拝し給うた。」とある。
このことから里人は、鞭の先でさされた鞭崎の八幡宮と呼ぶようになった。
同年8月頼朝公は卜部兼藤に社壇再興を命じた。
昔この草津の地に大きな藤の木があった。
当時はこの藤の蔓で馬上の鞭を作っていたが、フジ・ブチは訓よみにて、草津産の竹の根の鞭が使われていた。
[草津風土記 中川良太著 宮川印刷より抜粋]
近世には膳所藩主歴代の崇敬が厚く社運は隆盛した。
鞭崎八幡宮は旧東海道から約2.2km、矢橋道を600m歩くと矢橋港に着く。
八幡宮は海陸交通盛んな地域にあって重要なスポットであった。
表門
1614年:建築
国重要文化財:建造物:指定1905・04・15
高麗門 本瓦葺
表門は、明治時代まで250年間続いた膳所城の南大手門を譲り受けたもの。太くて頑丈な木材が縦格子に組み立てられ、その上に板を平列に張り、さらにその上に、鉄板を直角に縦方向に張ってあり、堂々とした威厳を漂わしている。
木造普賢菩薩座像(南北朝)
国重要文化財:彫刻:指定1900・04・07
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