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滋賀県草津市 蓮海寺(志那地蔵)

Kusatsu Renkaiji


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Aug. 2009 撮影/文: 中山辰夫

蓮海寺(志那地蔵)(れんかいじ しなじぞう)

草津市志那町936

浜街道から約800m、志那神社を西に志那街道を約400m進むと、湖岸べりにこぢんまりと佇む御堂があってこれが蓮海寺である。

延暦8年(789)、最澄が「木の本地蔵」の余材で造り開基したと伝える。

志那浦は蓮華の名勝地で、蓮海の水際にあるため蓮海寺と名がついた。

志那の蓮見物の様は足利時代、京僧の語録にもよく書かれたようだ。

盛夏このお堂に座ると涼風で、両足が気持ちよくなり、疲れも癒えたと記 録にもある。

応仁元年(1467)と寛永年中(1624~44)に火災で焼けたが、その都度復興され、今日に及んでいる。常夜燈も懐かしい。

昔の志那港の様子を少しでも彷彿させようと造られた小池に、開いた蓮の花に、お堂の影が重なって浮いて見えた。

木造地蔵菩薩立像

国重要文化財:彫刻:指定1900・04・07 山崎宗鑑

室町時代の俳諧の祖、山崎宗鑑(1461~1553)の「元朝の 見るものにせん 不二の山」と刻んだ句碑が立っている。

宗鑑はここ志那町の出身といわれている。

志那港

琵琶湖側に向い浜街道から志那街道を約1km行くと志那港である。

かっての志那湖は大津や坂本へ渡る需要な港であり、矢橋や山田の港とも肩を並べるほど盛んに利用され、盛況であったという。

永禄11年(1568)9月25日、天下統一を目指す織田信長は、室町幕府最後の将軍足利義昭を擁して志那から湖を渡り三井寺へ入った。

信長のこの上洛は天下統一者としてのアピ−ルであったようだ。

志那港がその歴史的役割を閉じたのは、江戸幕府による街路整備によって湖上交通が矢橋港に集中したことによると伝わる。

今は見る影もない。船乗り場であった水路がそれとなく残っているだけである。

昔、浮舟と称されていたこの一帯は名勝の地で、前方に叡山比良を仰ぎ、叡山に旅の安全を祈っ場所でもあった。

近辺に水質保全装置が設置されている。

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