滋賀県草津市 石津寺
Kusatsu Sekishinji,Kusatsu city,Shiga
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草津市矢橋町1163-32 石津寺本堂 重文 近世以前/寺院 室町前期 延文(1356-1360)頃 桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺 19070828
所在地 滋賀県草津市矢橋町1163-32
浜街道沿いに民家や保育園等に囲まれてひっそりと本堂だけが残っています。
仮柵囲いだったのが、最終的にはブロック塀と黒い鉄柵が設けられ、少し撮影しにくくなりました。
本堂(重要文化財)
延文年間(1356-1360)頃の建築
桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺
石津寺( せきしんじ )
草津市矢橋町1163−32
石津寺は浜街道から約50m入った所にある。
寺伝によれば、788年最澄が創建したとある。
最澄は延暦寺を創立するに当たり一木から二躯の薬師仏を彫刻した。
その一躯を当寺の本尊とした。
その後、兵火による焼失を経て、1359年に足利義詮が再建。
現在の本堂は社蔵の棟札による と、延文年間(1356-1360)の時代の創建とされる。
寛文5年(1661)膳所城主本田氏が荒廃を愁えて本堂を修理し寺田を寄付した。
その後も本田家は代々優遇し続けた。
元禄11年(1698)、江戸東叡山寛永寺が建立されるや中堂の本尊を当寺に移し、古来の薬師如来を寛永寺に移動させた。
徳川将軍家の権威を用いた強圧的な交換であったという。
この件に関しては、後年になって明治の内務省から当寺に保存金が支給されたとのこと。
本堂の太い柱列と寄棟造りの大屋根、広い回縁がこの建物の特徴で、ひときわ目立つ建造物である。
新興住宅が周囲を取り囲んだ。
もともとこのお寺には塀や柵は無かったようで、今は、仮設的な工事柵が廻りを執り囲んでいた。
そのために細部が見えなくて残念だった。
本堂
1361年:建築
国重要文化財:建造物:指定1907・08・28
桁行五間、梁間四間、一重、寄木造、本瓦葺
正面の柱間数が五間あることから「五間堂」と呼び、正面に一間の石階段を設け、漆喰塗の亀腹の上に立っている。柱はすべて円柱で、四方に
縁がめぐらされている。正面および背面は、中央三間に唐戸を釣込み、その上に板?股を置く。他はすべて白壁である。斗?は和様一手先で
桁を受け、蓑束を立てる。内部の柱はすべて円柱で、天井は竿縁天井となっている。軒は挿木の二重とし、垂木を細かく並べた繁垂木が並ぶ。
屋根は寄棟造りの本瓦葺で堂々とした建物でした。
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