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滋賀県草津市 新宮神社

Shingujinja,Kusatsu city,Shiga

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草津市野路町1674 新宮神社本殿 重文 近世以前/神社 室町後期 大永3(1523) 一間社流造、正面軒唐破風付、檜皮葺 棟札10枚 19230328


Sep.2012 大野木康夫 source movie

2012.8.25撮影  神門(旧膳所城の城門) 拝殿 本殿(重要文化財)大永3(1523)年の建築

一間社流造、正面軒唐破風付、檜皮葺


 

Aug. 2009 撮影/文: 中山辰夫

新宮神社(しんぐうじんじゃ)

草津市野路町1674 

新宮神社は、草津市内の寺社巡礼の対象先の中で、少しはずれた位置にある。

JR草津駅の南西約2.5km、国道1号線から約150m住宅地に入った所にあった。

この一帯は、“野路”といわれ、鎌倉時代から旧東海道の宿駅として栄えていた。

新宮神社の境内はさほど広くない中に、本殿や拝殿・他が立ち並び静かな環境を維持していた。

僧行基が、聖武天皇天平2年(730)野路寺創建の時、ここに神籬を立てて鎮護の神と仰ぎ、宝亀元年(770)に野路宿弥藤原為亮が社殿を建立し、大永3年(1523)に現在の社殿が造営された。

天正年間(1573~1592)の社記に、膳所藩明細書には正一位新宮大神と記し、別名野路と称するとあり、膳所藩からも重用された。

この神社の近くに、応神天皇を祭神として884年に勧請された八幡神社があった。

社地3haに及ぶ広大な面積を持っていたようで、地元人は勿論、街道を往来する旅人や武家人から篤い信仰を得ていた。

鎌倉時代は旧東海道の宿駅として重視され、源頼朝はじめ有力武将も宿泊した。

また、有事の際、京都進出の拠点に便利と武士とも深い関係にあったようだ。

明治末からの神社合祀政策で新宮神社に合祀された。

(史跡:八幡神社跡案内より抜粋)

野路という交通の要衝地にあってともに栄えてきたと思われる。

本殿、拝殿の他に、中門・参集殿・神輿庫・神饌所・手水舎・社務所が建つ。

境内社は5社

拝殿

入母屋造、間口三間、奥行三間

本殿 

1523年:建築

国重要文化財:建造物:指定1923・03・28

一間社流造、正面軒唐破風付、檜皮葺

本殿の建立は、社蔵の棟札によって大永3年(1523)とはっきりしている。蛙股(かえるまた)の内部彫刻は「波と雲」と「牡丹」、「桐文きりもん」

をあしらったもので、一見の価値があるとのことですが、外からは見えなかった。近年解体修理が行われ、表裏(ひょうり)逆になっていた蛙股が元にもどされた。

身舎は円柱で基壇の上に立ち、正面に木階段、登高欄付で広い浜床がある。周囲三方は高欄付縁で囲まれ脇障子で仕切ってある。

檜皮葺きの屋根がまぶしく見えました。

野路の玉川

矢倉から東海道をさらに南に行くと、野路の玉川小学校の近くに「野路の玉川」がある。

かっては「日本六玉川」の一つに数えられた名泉で、東海道を上下する旅人や牛馬の憩いの場でもあった。

近くを流れる十禅寺川の伏流水が清水を湧出していたと思われる。

鎌倉時代には萩の名所として知られ、一名「萩の玉川」ともいい、多くの歌人が訪れたという。

(滋賀県の歴史散歩 山川出版より抜粋)

今は歌碑と玉川という名前が残るだけで、都市開発のあおりで、昔を偲ぶ余燼もない。

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