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草津 立木神社

Kusatsu Tachikijinja


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Aug. 2009 撮影/文: 中山辰夫

立木神社(たちきじんじゃ)

草津市草津4丁目

立木神社は市内4丁目の旧東海道に面して建ち、生い茂った森に鎮座している。

古くより交通安全、厄除けの神社として信仰を集めてきた。

草津川以南の旧草津町の氏神として、1200余年の歴史を有し、尊崇を受けている由緒深い古社である。

社記によれば「神護景雲元年(767)、常陸国(現、茨城県)鹿島町を鹿島明神が出発し大和春日神社勧請の途中、当地にお着きになった。

志津川のほとりに、持って来られた柿の枝の鞭を置かれ、しばしご休憩の後、春日神社の神域三笠を目指して旅を続けられた。

ところが、不思議なことに柿の枝の鞭が根を生え、成長し枝葉が繁茂した。

村の人々はこの霊験にいたく感動し、さっそく社殿を創建し立木大明神と称するようになった。」

「光仁天皇の宝亀8年(777)、大旱魃で琵琶湖の水も涸渇した際に、当社の祈祷で雨が降った。これにより立木大明神の勅額を賜り社殿の造営を受けた」

「延暦20年(801)には、田村大将軍が当社で祈祷した後東夷を征し、大般若教を寄進された」

更に「[足利義尚が四脚門を奉建した]

[膳所城主からは正保年(1645)社領の寄進と社殿の造営を受け、膳所藩からは代々寄進が続いた]

などその時代の有力者の庇護にあずかったといった史実が伝え残されている。 

「草津風土記 中上良太著 宮川出版」より抜粋

本殿、拝殿の他に、中門、楼門、手水鉢、儀式殿、参集殿、神輿庫、倉庫、社務所と境内社16社が所狭しと建ち並んでいる。

普段は人影もまばらで静寂の中にある。この神社に関して文献が非常に少ないように思えた。 拝殿

入母屋造、間口三間三尺、奥行三間三尺

本殿

三間社流造、間口三間、奥行三間

宝亀9年(778)には神木に隣接して社殿が造営された。

その後、数度の火災にあった。

現在の社殿は、応仁元年(1467)の兵火で消失したのち、再建された建物である。

江戸時代の社領は23石。

明治9年(1876)村社、明治14年(1881)郷社に昇格した。

四脚門

手水舎

石標

国選定有形民俗文化財:指定1982・12・06

境内には延宝8年(1680)11月建立の銘が建っている。

県内では最古で、全国でも在銘石標中第四番目に古いとのこと。

正面中央上部に不動尊の種子“カーン”を刻み、左右と裏面に80字近い陰刻のある、旧追分の道標である。

延宝八年(1680)十一月吉日に、京壬生村の行者が、伊勢大神宮と山城愛宕山に7年間月参を成就した記念にこの道標を建立したといわれる。

ウラジロカシ

県指定自然記念物:指定000000

推定樹齢400年の巨木です。近年樹勢に衰えがひどくなり、枯れ死が心配されている。何とか元気を取り戻して欲しいものだ。ウラジロガシは葉の裏側が白いのが特徴という。

神木

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