滋賀県米原市 磯崎神社
Isozakijinja,Maibara city,Shiga
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May 3,2016 中山辰夫
米原市磯2484
磯村
磯崎神社のある磯村は、筑摩村の南に位置し、南は松原村(彦根)、西は琵琶湖、東は入江内湖(筑摩江)で、集落は砂州上に営まれ、北には両湖を結ぶ水路があった。地内には掘割が廻らされ、日常の手段は殆ど船が用いられた。
南の磯山は井伊家が佐和山城を廃した後の築城候補地であった。
磯村は内湖の漁業や舟運に特権を有していた。井伊家が彦根に移った際、輸送などの役を負担したという。江戸時代を通じて彦根藩領で、藩から手厚い保護を受けたが、これは当村の前代以来からの特権にたいする承認と考えられた。
磯山(標高159.5m)は湖岸に突き出ておりその辺りを磯崎という。その山上に磯崎神社がある。この山中には縄文時代の人骨が出土した遺跡があり、古墳群も存在している。
この辺りの眺めは絶景で、万葉集にも「 磯の崎 漕ぎ廻み行けば 近江の海 八十の湊に 鵠多(たずさわ)に鳴く 高市連黒人」と詠まれている。
磯山は、入江内湖(筑摩江)とその南に続く松原内湖の西、琵琶湖との間の狭長な半島状地形に位置し、琵琶湖岸を通る街道を押さえる役目を果たした。
磯は湖岸に沿って民家があり、昔は北東の梅が原と朝妻筑摩の間に入江内湖があったが、昭和に埋め立てられて陸続きとなり入江の集落を形成している。
1893(明治26)年の地図
磯崎神社
筑摩神社から湖周道路に沿って南に行くと、湖岸に突き出た磯山の山上に磯崎神社がある。
筑摩神社と約2km離れた地点ある。筑摩と松原の中間に所在する。彦根城までは約4kmの地点である。
1107(寿永2)年木曽義仲が武運長久を祈願し、京極持清・豊臣秀吉・藤堂高虎などの崇敬を受け、江戸時代は、城北の守護神として、歴代の彦根藩主の崇敬が篤かった。
祭神:日本武尊 白鳥大神とも称す。日本武尊は死後白鳥になったという伝えによる。
伝承案内
ヤマトタケルノミコトは、当地(磯の地)で亡くなったという伝承がある。
伊吹の神と戦って瀕死の重傷を負ったヤマトタケルノミコトは、居醒の清水で傷を癒した。古事記、日本書紀には、その傷が元で亡くなったと書かれている。
伝承を元に磯崎神社が建てられ、ヤマトタケルノミコトは守護神として祭られた。
「鍋冠まつり」と同じ5月3日に、磯崎神社では「磯武者行列」という例祭が行われ、ヤマトタケルノミコトにあやかって、男児は武者姿、女児は稚児姿で湖岸を巡行する。
鳥居〜境内へ
訪れた日がお祭りの日だったので、朝早くから氏子の皆さんが清掃を行っていた。境内は石段を上った山の中に有る。
石段の途中に立つ金毘羅社
石段を登り切った高台が境内。精巧な作りの社が並ぶ。左側から日本武尊・猿田彦・豊受を祀っている。
社殿は、1691(元禄4)年、井伊家によって本殿、拝殿、御供殿が新築、改築された。
拝殿
井伊家の紋章に埋まっている感じである。
本殿
現在の世話役さんは一度も本殿の中を伺ったことがないとのこと
神体岩
本殿の右側に座っている。
後宮
宝篋印塔 とあるが、今まで誰ひとりとして内部を開けたものがいない。
磯山頂上(標高159.5m)にある。境内から登り道は磯山遊歩道として整備されており、約15分で山上に着く
元宮の祠は小さい
眺めは絶好で朝妻筑摩周辺が見渡せる
案内
磯山城跡:湖東・湖北の境を成す要塞の地として六角氏の支城があったとされ、その後も使われていた。城跡は頂上部に削平地を残し、屋根上に幾つかの郭跡が確認されている。
磯山城遺跡:磯山の山頂から麓に広がる縄文時代早期から飛鳥時代にかけての遺跡。縄文早期後半の標準資料である高山寺式土器「和歌山県田辺市」が出土。全国でも例を見ない身長165cmの縄文早期の成人男子の人骨がほぼ完全な状態で発見された。同時期の石器用の黒曜石片「長野県小県郡」が出土。これらから、当時の人の活動範囲を裏付ける貴重な資料である。
磯武者行列
案内
日本武尊を祭神とする礒崎神社の5月例祭で登場する子供たちの武者行列。
日本武尊が伊吹山の悪神退治の際負傷し京への帰路この磯で亡くなったと伝えられている。日本武尊を祀るため毎年5月3日に「磯武者行列」が行われ、男児は武者姿、女児は稚児姿で巡行する。
祭りは13:00に御旅所をスタートするが男児の「顔書き」が先行してAm9:00頃から行われる。
その様子は公開されたが見落とした。
お旅所は磯崎港に接してある。港のまわりには石垣も見られ、古の盛時を彷彿させる。行列が湖岸沿いをゆく。
12時近くになると主役の武者姿・稚児姿の子たちも現れ準備が進み、神事がおこなわれる。
いよいよ本番渡御が始まる。磯崎神社までゆっくり、のんびりと湖岸を練り歩く
華美さもなく、手作りの村人総意のシンプルなお祭りでした。
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