滋賀県米原市 京極氏遺跡
The remains of the mansions and catsles of Kyogoku clan,Maibara City,Shiga
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October 31,2020 大野木康夫 source movie
所在地 滋賀県米原市上平寺、弥高
国指定史跡
【国指定文化財等データベースより引用】
京極氏遺跡は、滋賀県北東部の岐阜県との境に位置する伊吹山の南山麓に所在する戦国期北近江に勢力を張った戦国大名京極氏の城館遺跡等である。
京極氏は、近江の豪族で、近江をはじめ多くの守護職を得た佐々木氏の一族であり、南近江を領した一族の六角氏に対し、北近江を領し始祖氏信以来多くは山東町の柏原館を本拠とした。15世紀末からの一族の内紛を永正2年(1505)に収めた高清は、柏原館を廃し、伊吹山南山麓の上平寺に新たに城館を築いたのである。城館は、大永3年(1523)の国人一揆により落城するまで、戦国大名の城館として北近江の政治・文化の中心として機能したのである。京極氏遺跡は、京極氏館跡、上平寺城跡、家臣団屋敷跡及び山岳寺院を軍事的に取り込んだ弥高寺跡から構成される。
館跡は、標高340m余の山麓に位置し、上平寺館若しくは上平館と称され、その一角に当主の居住する館が60m×40mの規模で遺り、奥に2箇所の池と巨石を配する庭園跡が所在する。なお、当地には古代に起源をもつ大谷寺(上平寺)が所在し、この遺構を活かして館として整備したと考えられている。また、弾正屋敷、隠岐屋敷、蔵屋敷、厩などの地名が残り、館跡の隣接地には伊吹神社や京極氏一族の墓所などが所在している。
上平寺城跡は、標高669mの位置に主郭を設け、苅安城、苅安尾城、桐ヶ城(霧ヶ城)とも呼ばれる。遺構は、伊吹山から南に延びる尾根の先端に築かれ、南北約450m、東西約150mの規模をもつ。最北部に大きな堀切を配し、土塁で囲まれた主郭を最高部に多くの曲輪が南に分布する。途中多くの堀切を配し、枡形に取り付く土橋も遺る。また、南端斜面に大小11条の竪堀群が放射状に設けられている。
家臣団屋敷跡は、標高約300mの場所に位置し、京極氏の家臣として組み込まれた北近江の国人領主であった若宮・加州・多賀・浅見・黒田など諸氏の屋敷跡で、高清の当地での築城の後、整備され、土塁を伴う屋敷群は、京極氏城館の西の防御を担ったものと思われる。発掘調査で、石垣の基底部や礎石などが検出されている。
弥高寺跡は、山城跡と谷を挟んで西側の尾根上に位置し、標高約715mの本堂跡を最高所に南側一帯に坊跡を配する。仁寿年間(851-853)に僧三修が伊吹山に寺を開き、修験道の拠点となった伊吹山寺の寺跡の一部であり、15世紀末に京極氏を中心として軍事的用途に使用されるようになる。大門跡と称される場所は、前面に障子堀状の空堀を巡らせ、巨大な土塁で枡形空間を構築し、本堂跡も三方を土塁で囲み、北側には巨大な堀跡が所在しており、寺跡を改変し、軍事的に利用していることがわかる。
京極氏遺跡については、江戸初期のものと思われる「上平寺城古図」(伊吹町役場蔵)が遺り、絵図と現在の遺構がよく照合される。なお、京極氏遺跡については、当地が近江と美濃の接点であったため、京極氏がいなくなった後は、浅井氏の勢力下となり、城跡等の土塁・堀等は、浅井氏や朝倉氏の改修の手が加えられているが、遺跡の基本的な形は保存されているものと思われる。
このように中世の北近江の戦国大名であった京極氏の館跡、山城跡、家臣団屋敷跡及び京極氏が軍事的利用に供した弥高寺跡が良好に残っていることは、我が国の戦国大名の在り方を知る上で貴重であり、よって史跡として保護しようとするものである。
上平寺集落の伊吹山登山者用駐車場を利用
伊吹神社入口
説明板
京極氏館跡
石塔
京極氏庭園
数か月前に盗掘されたため、大半がビニールシートで覆われていました。
伊吹神社二の鳥居前から左手の登城道を進む。
登り始めたのは13時28分
13時42分頃からは上平寺尾根の先端を登る七曲の登山道を登りはじめました。
所々に石積みの跡のようなものが見えますが、京極氏時代のものかどうかはわかりません。
13時59分には上平寺城址の竪堀まで登ることができました。
特に大規模な竪堀です。
畝状竪堀など
伝三の丸跡へ
14時7分に伝三の丸跡に到着しました。
広い曲輪跡で、二の丸跡に向かって作られた土橋が見えます。
伝二の丸虎口へ
伝二の丸虎口
両側に堀切が切ってあり、大変狭くなっています。
伝二の丸
土塁などが築かれています。
主郭へ
主郭に着いたのは14時23分でした。
登るだけなら40分ほどでしたが、ゆっくり撮影しながらだと1時間弱かかりました。
土塁に囲まれた広い削平地です。
弥高寺跡に向かいます。
主郭を出発したのは14時32分でした。
弥高寺跡遠望
上平寺城跡大堀切
尾根を登ります。
弥高寺跡への分岐点(14時36分)
ここから尾根道を離れ、谷沿いに切られた細い道を弥高寺跡に向かいます。
道はちゃんとしていますが、何分細く、切り立った斜面を横切る形なので、慎重に進んでいきます。
行者谷(14時52分)
弥高寺跡のすぐ下に当たります。
もうすぐ弥高寺跡です。
14時55分に本堂跡の下の削平地に到着しました。
上平寺城主郭跡から20分強、分岐から20分弱かかりますが、高低差が少ないので楽です。
南側に開けており、鈴鹿山系から三重県の方まで見渡せました。
本堂跡に上ります。
伊吹山スカイラインの紅葉も見えます。
本堂跡は広大な削平地です。
伊吹山系、鈴鹿山系から琵琶湖、比良山系まで見渡せます。
また、弥高寺跡の段曲輪も見渡すことができます。
僧坊跡
大門跡
虎口を形成しており、石垣跡もあります。
本堂跡に戻る
本堂跡から背後の大堀切へ
大堀切
ここから、伊吹山登山路を登り、上平寺尾根から南に下ります。(15時41分)
上平寺尾根の分岐点(15時48分)
急坂を下る
上平寺城址の大堀切(16時3分)
竪堀
上平寺城跡を下る
七曲りを通って伊吹神社二の鳥居に着いたのは16時31分でした。
京極氏館跡を通って駐車場へ
京極氏館跡は標高340m、上平寺城跡主郭は669mなので比高は329mです。
弥高寺跡は標高715mと、全部回るには時間がかかります。
家臣団の屋敷跡もありましたが、見に行く気力がありませんでした。
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