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滋賀県米原市 青岸寺

Seiganji,Maibara City,Shiga
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Dec.2,2025  瀧山幸伸 source movie

紅葉はほぼ終り

                       

 


August 18, 2018 野崎順次  source movie

滋賀県米原市米原669

曹洞宗

吸湖山 青岸寺

室町時代の延文年間(1356年-1381年)、近江守護の佐々木道誉が不動山の山号と米泉寺の寺号で開創した。

その後、戦国時代に焼失したが、慶安3年(1650年)、彦根藩主井伊直澄の命により彦根大雲寺の要津守三が入山し、敦賀の伊藤五郎助の寄進により再興された。明暦2年(1656年)伊藤五郎助が卒したことを悼み、彼の諡(おくりな)である青岸宗天に因んで寺号を青岸寺、山号を吸湖山に改めた。寺は曹洞宗に改宗し、大雲寺の末寺となった。再興時に作られた庭園は彦根の玄宮園・楽々園築庭のために庭石が持ち出され、荒廃していたが、後に彦根藩士の香取氏により延宝6年(1678年)に再築された。

(ウィキペディア「青岸寺」より)

パンフレットと現地説明板

       

参道から山門、百日紅とイワヒバ

                   

玄関、本堂、書院

                  

国名勝 青岸寺庭園

本庭は約三百三十坪の面積をもち、背後の山畔を利用して枯山水様式とされているが、それでいてこの時代の流行様式としての池泉式枯山水となっている。すなわち山畔下部には一種の瓢形枯池が設けられているが、雨日にはこれに水が溜まって完全に池庭の景観が出現する。著者も何度かこれを実見したことがある。

そして中央部には「築園記」に述べられてるように亀島が作られ、これは蓬莱神仙の島として設けられたのであって、この中島の鶴亀両島を兼用した石組手法は特に傑出している。何分本庭には多数の石組があって、滋賀県下の中でも傑出した庭であり、山畔中に組まれた多数の石組もなかなか豪華である。

西部の出島には切石橋が架かるが、少々年代の降るものである。その近くにある石燈籠は、竿は織部形で、火袋は六体仏、笠は蓮華寺風でいずれの部分も江戸初期の寄せ集めであり珍品である。

(重森三玲「日本庭園歴覧辞典」青岸寺庭園より)

                                             

和洋折衷の寄せ灯篭「綾部灯篭(キリシタン灯篭)」

       

帰途、気持ちのいい参道、米原宿など

              


May 8, 2016 瀧山幸伸 source movie

                                                                            

 


Nov.2011 中山辰夫

米原市米原669 宗派:曹洞宗

本尊:聖観世音菩薩 国指定名勝:庭園

滋賀県指定文化財:聖観世音菩薩(本尊) JR米原駅から東へ約500mの場所に建つ。駅から数分で着く。湯谷神社とも近い。

当寺は延文年間(1356〜61)に近江の守護京極道誉(どうよ)により開かれ、米泉寺(べいせん)と称したが、その後兵火で荒廃。 江戸時代初め彦根藩主井伊氏の力で再興、青岸寺と改称された。

概説

 

門前に立つと、駅前の息吹きとは異なった、静かな自然が一杯の光景が展開する。

最初に目に入るのが金比羅大権現の案内と石段である。太尾山への上り口でもある。

    

山門へのアプローチ 紅葉が待たれる

    

山門

    

鐘楼

このような規模の鐘楼で壁付きである。一般的には柱間装置が無い鐘楼が多いので、この鐘楼は珍しいとされる。

    

本堂

    

本堂前の「群生するイワヒバ」と鬼瓦

    

木造聖観世音菩薩像

滋賀県指定文化財

 

永和元年(1378)佐々木六角氏頼が荒れていた青岸寺を修復再興し、翌2年に金剛仏師讃岐法眼尭尊に刻ませたのが この木造聖観世音菩薩座像である。像底部の墨書から、仏師堯尊は三条門弟とあり京仏師の流れをくむ仏師とされる。

室町時代前期の仏像彫刻の優品である。 木造十一面観世音菩薩

米原市指定文化財

 

像高:56cmと小さな仏像である。腰のくびれや全体のスタイルが美しく、天衣・裳は流れるように華麗で、作風から平安末期 の彫刻と見られる。

青岸寺諸仏の中で最古のものである。一木造、彫眼で素地に仕上げられている。

客殿・庫裏

    

書院から見た庫裏

  

庫裏内部の障子

    

書院

園内に設けてある。

明治37年(19049、永世六十四世、森田悟由禅師によって建てられたもので、禅師の雅号を採って「六湛庵(ろくたんあん)」 と名づけられた。

接化に赴いた地方寺院から永平寺へ帰る途次、立ち寄り休憩するために用いられた。

    

室内

    

青岸寺庭園

国指定名勝

慶長3年(1650)要津和尚の入山と共に築庭されたもの、彦根城内に楽々園が築かれると、庭石が各方面から供出され、 この庭の石も取りだされて庭は荒れ果ててしまった。しかし、青岸寺三世興欣和尚は、大雲寺の住職時代に、彦根城内の 楽々園などを築庭した藩士香取氏と親しい関係にあったので、香取氏に命じて再築させたのが今も残る青岸寺庭園である。

  

非常に多くの石を使い、豪華にして仏法の理を込めた意味深い庭園で、延宝6年(1678)の作である。

    

庭の見所は、石組が多い、水を現わすのに苔が用いられている、園内に回遊式の園路が巡っている、和洋折衷の寄せ燈籠 等である。

    

興欣和尚の作庭に当っての意図、一石一樹の意味、こめられた願いは「築園記」に書き残こされている。

    

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