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滋賀県守山市 蓮生寺

Moriyama Renshoji

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Sep. 2009 撮影/文:中山辰夫

蓮生寺(れんしょうじ) 

守山市三宅町1029

真宗大谷派

JR守山駅の西約2.5kmにあって、三宅町の南端に竹薮で囲まれた真言大谷派古刹。金森にもほど近い。

開基は不明だが古くは天台宗であった。

寺伝によると、寛正6年(1465)、蓮如上人が暫く居住した金森の近郊に巡錫した際、三宅の三品源太郎宗長が蓮如上人に帰依して、了西と名を改めて堂を開いたのが始まりとされる。

こうした経緯から、蓮生寺は湖南一帯の浄土真宗の布教発展に大きな役割を果たした寺として知られる。

織田信長が元亀年間にこの一帯の一向宗徒を攻め攻略した。いわゆる金森一揆である。(細部は金森御坊に記述)

この時、蓮生寺は隣接の金森町懸所にあった金森城の出城として構えられ、寺全体が防御的な役目を果たした。

その時の名残として、寺の周囲に土塁が巡っており、今も残っている。

境内一帯は市の史跡指定を受けている。

棟札によると、元和元年(1815)に本堂が再建された。

三宅に「芦浦の屯倉」を設置したと日本書紀にある。

志那街道の沿線上にあって、この地一帯が早くから穀倉地帯として開けていた。

浄土宗金森の重要な拠点であったと思われる雰囲気が境内や周囲の立地内に何となく感じられた。

木造仏頭が国重要文化財、本堂が県重要文化財、境内が市指定史跡である。

堂宇は本堂・庫裏・書院・梵鐘堂・薬師堂などを備える。

写真 IMG_1800~1815

土塁跡

表門

裏門

鐘楼

本堂

県重要文化財:建造物:指定 1984 03 30:江戸時代

桁行16.9m、梁間17.0m、入母屋造、向拝三間、桟瓦葺

本堂は、江戸時代前期の元和元年(1815)に阿弥陀堂として再建された。屋根勾配はゆるく小規模ながら本格的な一般末寺本堂である。

軒や棟の高さも低く、真宗の寺としての古い形を残している。

側面の三方に入側縁を廻し、正面に三間の向拝を付けている。内部は外陣、内陣に分かれ、境に享保9年(1724 )銘の蛙股がある。

柱は角柱で一間ごとに建っている。内陣の一部の柱に円形が配置されている。

屋根はたるみの少ない入母屋造りの本瓦葺きとし、勾配はゆるく小規模ながら本格的な一般末寺本堂である。

昭和61年(1986)から修理が行われ、江戸初期の形が再現された。

建物は近世初期の真宗寺院建築として貴重な様式を残している。

薬師堂木造仏頭

国重要文化財:彫刻:推定 1909 04 05:平安時代

総高:1,33cm、仏頭部:44.6cm

三宅町のほぼ中央北側に薬師堂がある。この土地は蓮生寺の管理地で薬師如来として信仰されている。

指定を受けた時は仏頭のみであった。ヒノキ材の一木造りで、彩色と金箔は落ちているが面相は穏やかで、優しさを感じる仏像である。

この仏頭の由来については明らかでないが、古くこの地に天台の大きな寺があったが、元亀の兵火で焼けて寺跡と仏頭だけが残っていたのを、後に真宗の蓮生寺として再興された。

仏頭は昭和8年に残っていた胴や膝などをつなぎあわせて、完全な薬師如来像として、薬師堂内に安置されている。

仏頭は首から上で、一木彫、風化しているがおおらかな顔付きである。仏身部は形もよくととのい、藤原中期の立派な如来像である。

この堂は大正期に修理されたもの。

平安時代の作 寺伝では薬師如来の頭だとしている。

《参考資料:守山市史 守山の文化財 守山城物語 中山道、より抜粋》

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