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滋賀県守山市 住吉神社

Sumiyoshijinja ,Moriyama city,Shiga

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Jan.11 ,2016 中山辰夫

住吉神社

守山市浮気町(ふけ)152

住吉神社が建つ浮気町は、野洲川の下流にあって野洲川の伏流水が湧水となって湧き出ている。

住吉神社では、祭神のほか、水の神も祀っており、「住吉」という神社名も澄んだきれいな水という意味からきているといわれる。

現在も集落内には水路が巡り、ハリヨの保全活動やコイの飼育も行われている。元は野洲川沿いの湿地帯で、野洲川の堆積土から良質な粘土が得られたため、1918年(大正7年)から1971年(昭和46年)まで江州煉瓦が操業していた。

    

勝部神社が1kmほどの距離にある。

祭神:住吉神 櫛玉命 饒速日命

由緒

社伝によると、739(天平11)年物部守屋7世の孫・物部玉岡宿祢道足が神殿を創立、住吉三神を祀る。

のち南方2丁の地に俗称「サンヤレ山」という小高い丘があった物部神社祭神櫛玉命、饒速日命(物部の祖)を合祀する。

神殿は1220(承久2)年 浮気源九郎貞勝が再建し、ついで1639(寛永16)年に再度再建したと伝える。

拝殿:入母屋造・間口2間・奥行き2間 本殿:一間社流造・間口5尺・奥行4尺五寸

         

境内社:大神宮 八幡宮 樹下社 稲荷社

     

住吉の火まつり 滋賀県選択無形文化財

住吉神社の「祭礼」で、「勝部神社」と同じ火に行われる。地元では「オコナイ」ともよばれる祭事

起源は伝承によると、鎌倉初期、83代土御門天皇の病気の時、夢枕に老人が立ち、「病は竜の仕業、自分が退治しよう」と云った通りに病が治った。

老人は浮気の神であり、以来、浮気の祭が始まり、氏子は竜体の頭部に似た松明を6本神前に供え、「御悩平癒」を唱えあう行事が始められたと伝わる。

退治された竜(大蛇)の胴体が勝部、頭部が浮気の地に飛んだとの伝承から、勝部の松明は大蛇の胴体、住吉は竜の頭部をかたどっているのが特徴である。

勝部神社の松明とは異なった形状の松明6基

     

行事は古式に則り、18時半から宮入氏、お祓いを受けた後拝殿脇のカリヤ(仮屋」に入る。この中で神事が行われたあと、ふんどし姿の若衆らがカマドの炭火から手松明への火を移しに殺到。火のついた手松明を掲げて屋外に飛び出し、12基の大松明に奉火される。燃え盛る松明の周囲を「ヘーユ、ヘーユ」の掛声を上げて乱舞し、大松明を担いで拝殿の周りを廻る。(画像は北村恒雄氏撮影のもの)

          

≪参考≫

浮気の歴史

古代の近江国栗太郡物部郷の一部。

中世には北条氏の出である浮気氏の本拠地となり、現在の住吉神社の位置に浮気城があった。

浮気氏は後醍醐天皇や六角氏に仕え、1570(元亀元)年の野洲河原の戦いでは六角義賢らと共に織田信長勢と争って敗れたが、六角氏滅亡後は織田氏や豊臣氏に仕えて存続した。

江戸時代には、初めは刈谷藩の稲垣氏が治めたが、のちに酒井氏の領地となり幕末まで続いた。

土御門天皇(1195〜1231) 在位:1198〜1210

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