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滋賀県長浜市 安念寺

Annenji,Nagahama city,Shiga

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May 12,2018 中山辰夫

湖北三十三観音札所 観音霊場めぐり

第十八番 天王山 安念寺 (観音菩薩)

長浜市木之本町黒田字西黒田

ご詠歌: 世の中に あらん限りと 誓あれば たのめも瘡を やむも何かは 

安念寺の本尊:聖観音立像 平安時代、榧材一木造、彫眼、高さ152.5cm

安念寺は土中で守られた「いも観音」で広く知られる。賤ヶ岳の南麓にあり、木ノ本駅約2km、余呉川を渡ると西黒田の集落へと入る。

西黒田は10軒ほどの小さな集落、その集落の一番奥にある長い石段を登った先に安念寺がある。

    

安念寺はもと天台宗の寺院で七堂伽藍を持つ大寺であった。726(神亀)年に草庵を構え、仏が祀ったとされる。天正の兵火で堂宇が焼失し荒廃して行った。

兵火の際に村人により持ち出された観音・他14体の仏像が残っている。

境内には二つのお堂が並び建つ。

右側のお堂は「牛頭天王社」で村の氏神

   

左側が 「いも観音」 を祀る観音堂−現在のお堂は昭和8年(1933)に建てられた。

       

10体の仏様が並ぶ

  

焼失を免れた像17体が伝わったが、二度の盗難に遭い、現在は10体のみ安置されている。

細部

如来 菩薩

        

左側−薬師如来 右側−聖観音菩薩

針葉樹(カヤ」の一材から彫出し、内刳りは施さない。頭上に髻を結いあげ、条帛・天衣・腰裳を着巣暮お札の姿。当初は漆箔像、堂々とした広い肩幅、量感豊かな下半身、細く舞った腰締まった腰などが特徴。

如来

       

針葉樹の一材から彫出する。頭上に螺髪を刻み、衲衣を着る如来の姿。当初は漆箔像とされる。平安後期の作。

天武

     

後方左−毘沙門天 後方右−大日如来

信長の兵火にかかり寺は焼失、仏像は信仰篤いこの村の人々が川底や田の中に埋めて守ったと伝わっている。そして文政年間に田の中に埋められていた諸仏を村人が掘り出し、余呉川で洗い清めて仮堂を建てて保存した。

その他の像

如来形立像、平安時代、檜材一木造、一木造、彫眼、高さ135.3cm、

ほか多数

長年に渡り田の中に埋められていたために、如来形や菩薩、天部と思われる破損仏はどれも原形を留めないほどに朽ちている。虫食いや欠損も多く、眼や鼻の痕跡が何とか分かるといった状態だ。もともとは17躰あったそうだが 平成十二年〜十五年の間に7躰の仏像が盗難にあい現在は10躰となっている。人々によって守り続けられてきた強い信仰心が感じ取れる。

寺伝によると安念寺は726(神亀3)年の詳厳法師という僧によって開かれた。この僧は、藤原不比等の子で平城京の都で栄職に就いていたが、陥れられたことから出家してこの地に草庵を構え仏を祀ったとされる。藤原一族の中で法師に帰依する者がこの地に住みついた。従い西黒田はみな藤田姓を名乗り、藤原一族の末裔で、連綿と安念寺を護ってきたといわれる。

1571(元亀2)年織田信長が比叡山を焼打ちした時にお何天台宗の安念寺も焼かれたが、村人たちが田圃の中に仏像を埋め隠したので焼失を免れた。

そして、およそ250年後の文政年間(1818〜30)に村人が田圃の中から堀り出された。

『仏像を川で洗った』『夏には子どもたちが川での水遊びに持出していた』『疱瘡除けの観音さま』と呼ばれ親しまれている。

土中の期間が長く、木像は無残な姿になったが、苦難な歴史を経てきたことを物語っている。

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