滋賀県長浜市 大吉寺
Daikichiji,Nagahama city, Shiga
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Nov.3,2018 中山辰夫
大吉寺跡 (滋賀県県指定史跡)
長浜市野瀬町
天吉寺山(標高918m)の中腹に残る大吉寺跡(標高659m)を目指す。その登山ルートは現在の大吉寺(標高300m)から始まる、
案内にはJR琵琶湖線長浜駅から湖国バス野瀬で下車、徒歩約20分で大吉寺とある。
位置
登山口の大吉寺駐車場にある案内
駐車場から天吉寺谷川に沿って上流に向かって約1km歩くと川の左側に山門、右側の橋越えに「安然上人堂」が見える
安然は比叡山の高僧、865(貞観7)年土地の豪族浅井家と協力して天台寺院大吉寺を開いたとされる。
ここからさらに胸を突くような急坂を1持間ほど登ると大吉寺本堂跡に着く。
現在の大吉寺
山門
境内
境内には枯山水様式庭園がある。
山門をくぐると庫裏が見え、更に石段をのぼった先に本堂がある。
本堂 (標高:約300m)
大吉寺の本尊は、愛知川より琵琶湖に流れ出た観音像に似た「浮木」とされる。桓武天皇が夢告によって湖中から取り上げて粟津に天吉寺を創建し、これを祀ったとされる。
807(大同2)年の洪水で同寺が破壊された時、本尊だけは高島郡に漂着。これが「寂寥(りょう)山」に祀られたのが当寺の始まりとされる。
本堂の秘仏・本尊を祀る厨子の前に、御前立の聖観音立像、源頼朝坐像、 不動明王立像、地蔵菩薩、阿弥陀如来立像、役行者像、元三大師像が並ぶ。
御前立聖観音立像—平安時代後期の一木造で高さは約70cm−長浜市指定文化財
秘仏本尊の聖観音像は浮木観音とも呼ばれ、60年に一度の開扉。次回は2049年の予定。 今の住職もまだ拝見していないという。
そのお姿は人の形に似た自然木を霊木で、木を彫るということはせずに人の形に似た木を観音像とされる。
阿弥陀如来立像 長浜市指定文化財
大吉寺跡 滋賀県県指定史跡
登山ルート
天吉寺山(標高:918m)は湖北の山の中でも目立たない山で登山道は大吉寺からの往復のみである。本堂下の沢沿いに登山道がある。
尾根に取り付く道幅の狭い山道は経験者の案内がないと難しく、急坂が数か所あり慎重に進む。登り始めは谷間をのぼってゆく。
急坂続き、約20分登ると石積跡が随所に見られる。これも僧坊跡かも。詳細は不明 途中わずか展望が利くところがある。
大吉寺跡周辺地形・伽藍配置図
仁王門跡−山腹を造成した平坦地があり、仁王門跡の案内がある。
一呼吸−琵琶湖が見えるスポットもある
手水鉢跡−1392(明徳3)年の刻銘がある 石の水舟である
手水鉢を過ぎて、中心伽藍跡の寺域に至る。伽藍地はおよそ2段に造成され、上段には本堂、鐘楼、経堂などが建立され、下段には塔、鐘楼、閼伽池、元池、坊舎跡などが、下段には上段の周囲を囲む形で堂宇が配置されている。
ここから寺域に入る
迎える杉の大木
三重の塔跡
鐘楼跡
塔跡
本堂跡
上段の平坦部にある。五間×五間の礎石建物、19.2m×17.4〜19.8m、
経堂跡
頼朝供養塔
本堂の裏にある。塔の高さは157cm、1252(建長3)年の銘が読める。時代が特定できる資料としては貴重であるが、建長3年は頼朝の死後52年を経過しており疑問が残る。吾妻鏡や平治物語に頼朝が阿かくまわれたとの記述がある。
基礎や塔身は亀裂が酷い。基礎の格狭間も美しく、陽刻された三茎蓮、一茎蓮の蕾も力強い。
元池
閼伽池
覚道上人入定窟
高さ60cmほどの石室の奥の壁面に上人の坐像を陽刻し両肩の上に弥陀と弥勒仏が薄く見られる。この石窟の扉の裏には1289(正応2)年の刻銘がある。
鎌倉時代後期、一切経を求め唐へ渡り宿願を果たした後、自ら入定したという
平安時代前期、土地の豪族浅井家が比叡山の安然(あんねん)と協力の上、開いたと伝えられる天台宗の霊場。
大吉寺の沿革
「天智天皇の御代に愛知川の上流に聖観音に似た木形があった。桓武天皇の御代に天吉寺を建て安置した。ところが807(大同2)年の夏に大洪水があり寺は流失。本尊だけが高島郡に流された。これを僧安円が浅井郡に移した」と「史蹟大吉寺)に記されており、建立は865(貞観7)年と推定されている。
「平治の乱に破れた源義朝が東国に逃れようした時、13歳の頼朝がはぐれ東近江の草野庄司に助けられ御堂の天井にかくまわれた」と平治物語にある。そのために大吉寺は焼き払われた。鎌倉時代になって頼朝らによって復興された。1422(応永29)年足利幕府によって三重の塔が建てられた。1525(大永5)年兵火で炎上、1572(元亀3)年に信長の焼打ちに遭うなどで。現在のように没落してしまった。
参考資料≪滋賀県の地理、近江の遺跡、滋賀県の歴史散歩、吾妻鏡、ミーナ、他≫
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