滋賀県長浜市 大通寺
Daitsuji,Nagahama city,Shiga
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長浜市元浜町32-9 大通寺含山軒及び蘭亭 重文 近世以前/住宅 江戸前期 江戸前期 "含山軒 桁行11.2m、梁間5.9m、一重、切妻造段違、桟瓦葺、東面及び北面庇付、こけら葺 蘭亭 桁行13.8m、梁間9.0m、一重、切妻造、桟瓦葺、合の間附属、両下造、桟瓦葺、庇こけら葺" 棟札1枚 19150326
長浜市元浜町32-9 大通寺広間 重文 近世以前/住宅 江戸前期 江戸前期 桁行21.9m、梁間20.9m、一重、寄棟造、本瓦及び桟瓦葺 玄関1棟、棟札1枚 19150326
長浜市元浜町32-9 大通寺本堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 明暦3(1657) 桁行正面五間、背面九間、梁間八間、一重、入母屋造、向拝一間、背面一間通り庇附属、本瓦葺 19150326
February,2023 大野木康夫
表参道
山門(長浜市指定文化財)
本堂(重要文化財)
渡廊下
大広間(重要文化財)
含山軒(重要文化財)
蘭亭(重要文化財)
太鼓楼
May 9, 2021 野崎順次 source movie
滋賀県長浜市
真宗大谷派長浜別院
無礙智山 大通寺
湖北の中心道場であった総坊を前身とし、慶長7年(1602年)に本願寺第十二代教如を開基として長浜城跡に創建。慶安4年(1652年)に現在地に移転する。
伏見城の遺構とされる本堂や大広間などの建築物(国の重要文化財)や、含山軒庭園と蘭亭庭園という2つの庭園(国の名勝)のほか、円山応挙や狩野山楽・狩野山雪らの障壁画など貴重な文化財を多数保有する寺院として知られる。
(ウィキペディア「大通寺」より)
アプローチ
参道
パンフレットと現地説明板
市文 山門(大門)
国重文 本堂 江戸前期 明暦3(1657)
桁行正面五間、背面九間、梁間八間、一重、入母屋造、向拝一間、背面一間通り庇附属、本瓦葺
国重文 広間 江戸前期
桁行21.9m、梁間20.9m、一重、寄棟造、本瓦及び桟瓦葺 玄関1棟、棟札1枚
市文 新御座
湖北の真宗展示
国重文 含山軒
含山軒及び蘭亭 重文 近世以前/住宅 江戸前期 江戸前期
"含山軒 桁行11.2m、梁間5.9m、一重、切妻造段違、桟瓦葺、東面及び北面庇付、棟札1枚
国名勝 含山軒庭園 江戸中期 枯山水
書院の東庭で、後部に築山を設け豪華な枯滝石組を見せ、枯池に中島を作り、遠山に伊吹山(近江富士)を遠望し、いかにも江戸中期の典型的な枯山水となっている。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典」大通寺より)
国重文 蘭亭
蘭亭 桁行13.8m、梁間9.0m、一重、切妻造、桟瓦葺、合の間附属、両下造、桟瓦葺、庇こけら葺"棟札1枚
国名勝 蘭亭前庭 江戸中期 池庭
小池庭で、南部に築山を設け、滝の石組には立石が多く、中央に切石橋を架け、小池庭ながら、よく江戸中期の作庭を語っている。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典」大通寺より)
鞘の間
茶所、太鼓楼、鐘楼
手打ち蕎麦と銘酒「みたに」
September 29, 2018 野崎順次 source movie
滋賀県長浜市元浜町32-9
真宗大谷派長浜別院
無礙智山 大通寺
湖北の中心道場であった総坊を前身とし、慶長7年(1602年)に本願寺第十二代教如を開基として長浜城跡に創建。慶安4年(1652年)に現在地に移転する。
伏見城の遺構[1]とされる本堂や大広間などの建築物(国の重要文化財)や、含山軒庭園と蘭亭庭園という2つの庭園(国の名勝)のほか、円山応挙や狩野山楽・狩野山雪らの障壁画など貴重な文化財を多数保有する寺院として知られる。
(ウィキペディア「大通寺」より)
雨の日、拝観者は他にいなかった。本日の主目的は含山軒庭園と蘭亭前庭の撮影だったが、文化財の多い名刹である、庭だけでは済まされない。
パンフレットと現地説明板
市文 山門(大門)
茶所
市文 太鼓楼
庫裡、広間、本堂
国重文 本堂
国重文 広間
市文 新御座
国重文 含山軒
国名勝 含山軒庭園 江戸中期 枯山水
書院の東庭で、後部に築山を設け豪華な枯滝石組を見せ、枯池に中島を作り、遠山に伊吹山(近江富士)を遠望し、いかにも江戸中期の典型的な枯山水となっている。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典」大通寺より)
国重文 蘭亭
国名勝 蘭亭前庭 江戸中期 池庭
小池庭で、南部に築山を設け、滝の石組には立石が多く、中央に切石橋を架け、小池庭ながら、よく江戸中期の作庭を語っている。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典」大通寺より)
枯滝石組
その他
2011.7.27撮影
山門(長浜市指定文化財)
趣のある門前通の突当たりです。
本堂(重要文化財)
明暦3(1657)年の建築
桁行正面五間、背面九間、梁間八間、一重、入母屋造、向拝一間、背面一間通り庇附属、本瓦葺
堂々たる真宗建築の本堂です。
広間(重要文化財)
江戸時代前期の建築
桁行21.9m、梁間20.9m、一重、寄棟造、本瓦及び桟瓦葺
本堂と廊下橋でつながっています。
玄関1棟が附指定となっています。
新御座(長浜市指定文化財)
広間の北側に繋がっており、さらに奥に含山軒があります。
含山軒(重要文化財)
江戸時代前期の建築
桁行11.2m、梁間5.9m、一重、切妻造段違、桟瓦葺、東面及び北面庇付、こけら葺
蘭亭(重要文化財)
桁行13.8m、梁間9.0m、一重、切妻造、桟瓦葺、合の間附属、
両下造、桟瓦葺、庇こけら葺
本堂南東の鐘楼脇にハスの花が咲いていました。
長浜市元浜町32−9
真宗大谷派
長浜駅の北東、商店街の中にある。
いわゆる長浜別院、長浜御坊大通寺は(御坊さん)の名で親しまれている。
市街地のほぼ中央に位置し、大伽藍を有する大通寺とその門前町は、湖北地方の真宗の信仰生活の中心であると共に長浜の歴史的文化をもっとも象徴する代表的な地方文化財でもある。
現在の大通寺は、住宅・商店の密集する市街地の中にあるも、依然として広大な境内空間を保有しており、本堂の背後には樹木がしげる庭園がある。
境内地は広く約23,000㎡、壮大な総欅造の山門を構え、その奥に本堂(阿弥陀堂)・含山軒(がんざんけい)蘭亭・広間などの堂宇が建ち並び、東本願寺の湖北の拠点にふさわしい格式を見せる。
建物は何れも国重文である。
山門と塀つづきに台所門がある。
寺宝の梵鐘は県指定の文化財で貞治2年(1363)の刻銘がある。
境内は年間を通じて参詣者・観光客が訪れ、市民の憩いの場ともなっている。
第二次世界大戦後一時荒廃してきていた大通寺を復興・修復するために市民の働きかけがあった。
平成元年(1989)には有志で(大通寺を守る会)が結成された。
また、門前の表参道商店街の人びとが中心になって、湖北の野山に自生していた馬酔木を鉢植えして育て、境内の庭先で公開を始めた。
慶雲舘の盆梅展と時期を合わせて多くの観客が訪れている。
大通寺の基礎は、戦国時代本願寺顕如・教如と織田信長が戦った石山合戦の際に、湖北の門徒たちは湖北10カ寺を中心に本願寺に従い信長と戦った。
その際、長浜の町年寄が集まる場所に「集会場」を設立したが、これが大通寺の基になったといわれる。
慶長7年(1602)、教如上人は徳川家康より本願寺の分立の許可を得て、大谷派本願寺(東本願寺)を興された。
これに伴い長浜城の旧地に移っていた当寺は道場から大通寺として発足した。
大谷派本願寺代13世・宣如上人の長男霊瑞宣澄が住職として寛叡16年(1639)に入山し、これを契機に当寺は彦根藩主・井伊直孝の援助を得て寺域の拡大をはかるとともに、東本願寺より伏見城の遺構と伝えられる本堂や広間を譲り受け、寺観の整備を図った。
ここに真宗大谷派の別格別院として名実共に当地方における信仰の要として重責を果たしている
門前町である(表参道)を100mほど進むと山門となる。
山門
市指定文化財
桁行三間、梁間二間、二重門、入母屋造、本瓦葺
附:回廊 二棟 桁行三間、梁間二間、切妻造、本瓦葺
文化5年(1808)起工し、33年後の天保11年(1841)落成した。総欅造り。
境内南面にある規模の大きい二重門で、左右に回廊を附属する。
下層は柱頂の頭貫と紅梁型飛貫の間を大瓶束と彫刻で埋め尽くすなど時代の意匠を施す。
上層内部は板敷きで、須弥壇を設け、釈迦如来と弥勒菩薩、阿難尊者を祀る。
建築に当たっては、東本願寺の山門を模したとされ、県下を代表する二重門である。
大工は坂田群常喜村・川瀬武右衛門、犬上郡裏新町・建部長左エ門、高島郡船木村・中務又治郎が務めた。
近世大型建築として県内屈指の名作とされる。
茶所
桁行11.4m、梁間10.4m、入母屋造、本瓦葺:建立 18世紀前期
附属御手洗:桁行一間、梁間二間、入母屋造、本瓦葺:建立 文久元年(1861)
山門の東側に位置し、北を正面とする。正面に向かって右側に御手洗、左側に玄関、左右側面と背面に附属屋を設ける。
18世紀前期に遡る茶所遺構として貴重とされる。布教の場であった。
鐘楼
市指定文化財
桁行一間、梁間一間、入母屋造、檜皮葺:延宝3年(1675)建立
一間四方吹き放しの四脚鐘台で、二重基壇上に建ち周囲に池を巡らす。
飛貫と頭貫間の彫刻欄間や台輪上の中備蟇股は意匠的に優れたもので、木太くがっちりしった構造体の中で違和感を与えず、落ち着いた華やかさがある。
屋根の檜皮葺も軽快さを加えている。大工は茨木志摩椽宗満である。
経堂
正面6m、側面6m、宝形造、向拝一間、向破風造、本瓦葺、18世紀後半の建立。
太鼓楼
市指定文化財
下層:桁行8.1m、梁間7.1m、入母屋造、本瓦葺 上層:桁行5.0m、梁間4.0m、入母屋造、本瓦葺 19世紀前期
本堂の東前方に位置し、西を正面とする。外観は入母屋造建物が二重重なった形の重層屋根である。
下層は三室に分割され、上層は板敷の一室で、中央に太鼓をつるす。
真宗大伽藍にふさわしい規模と形態姿をもち、上層と下層のバランスがよい。
鬼瓦に「宝」の銘がある。
東門
小規模な一間薬医門。正統的かつ簡素な建物で、彫刻のある部材は実肘木と妻飾の蟇股しかない。
二十八日講
桁行12.0m、梁間13.0m、入母屋造、桟瓦葺:明治33年(1900)建立
本堂の東側に位置し、西を正面とする。正面には半間の桟瓦葺の庇をつけ、背面は板張りで境内境界となる。
奥に仏壇を設け、二十八日講布教の場である。前身建物は現建物より規模は小さかった。
因講(ちなみこう)
桁行17.6m、梁間12.6m、入母屋造、桟瓦葺:明治30年(1897)建立
二十八日講の北側に位置し、西を正面とする。
正面ほぼ中央に庇を掛けて玄関を設け、背面は板張で境内境界とする。
二十八講参詣者の集まる施設である。
本堂(阿弥陀堂)
国重要文化財:指定 1915 03 26
桁行正面五間、背面九間、梁間八間、一重、入母屋造、向拝一間、背面一間通り庇附属、本瓦葺:明暦3年(1657)建立
山門を入って正面に南面して堂々たる姿を見せている。
もと伏見城の殿舎だったが、大谷派本願寺が分立した際、御影堂として移された。その御影堂を承応年間 (1652〜54)に当寺に移して本堂とした。
南を正面とする。平面は正側面三方に広縁と一段低い落縁を巡らす。
外陣は正面九間、側面五間で、これに続く二間を矢来の間とし、正側面とも一間毎に角柱を建てる。
内部には中柱が建ち、矢来前では紅梁型の飛貫を渡し、上部に彩色彫刻の欄間を嵌め、空間分節を行う。
伏見城の遺構と伝えられるが、擬宝珠銘の明暦3年頃の建築と考えられ江戸前期の大規模真宗本堂の優れた作例で、西本願寺本堂・御影堂・や大津別院本堂と並ぶ重要な遺構とされる。
県下における江戸時代初期を代表する別院本堂である。
大広間
国重要文化財:建造物・指定1915 03 26、
桁行21.9m、梁間20.9m、一重、寄棟造、本瓦葺及び桟瓦葺:建立:17世紀後期
附:玄関:桁行四間、梁間一間、一重
伏見城の遺構を本願寺に移し、更に承応元年(1652)に東寺に移されたと伝えている。
本堂の西に位置し、南を正面とする。
主体部は正面九間、側面八間で一間毎に柱が建つ。
背面には一間半の広縁を巡らす。本堂とは渡り廊下でつなぐ。玄関は宝暦10年(1760)に増設された。
本堂同様、伏見城の遺構と伝えられる。
建築年代は17世紀前期頃とみられる。
書院造りの構成要素である、床・帳台構・違棚・附書院などを、上段の間に正面一列に並べているところにこの建物の特徴があるとされる。
本堂同様、伏見城の遺構で極彩色で描かれた花鳥図や人物図は、桃山風御殿の豪華な趣をよく伝えている。
大通寺に現存する最古の建築である。
附玄関
国重要文化財
宝暦10年(1760)に当寺の住職・横超院の内室であった彦根藩主・井伊直惟の息女数姫が親鸞聖人五百年忌に建てたものである。
豪華なかごは数姫輿入れの時に使われてものである。
庫裏
市指定文化財 建立:天和2年(1682)
桁行16.0m、梁間16.3m、切妻造、桟瓦葺、車寄附属:桁行一間、梁間一間、向唐破風造、檜皮葺
広間の西に位置し、南を正面とする。
正面に妻飾を大きく見せ、向唐破風造檜皮葺の車寄を付ける。棟札より天和2年の建築である。
17世紀の庫裏遺構として貴重とされる。
新御座
市指定文化財
桁行22.5m、梁間16.7m、正面切妻、背面入母屋造、桟瓦葺:建立 大正元年(1911)再建
第八代彦根藩主の井伊直幸(なおひで)の息子直宥(なおひろ)が、大通寺への入寺を縁として井伊家によってこの書院が建立された。
広間背面とつながる大規模な書院造建物で、内部は正側面三方に畳敷の広縁を設け中央部は左右二列に分かれる。
文政9〜11年(1826〜28)に再建されたと見られ、大正元年の再建である。
近年和風の質の高さを示す建物とされる。
含山軒
国重要文化財:建造物:指定1915 03 26 :建立 17世紀後半
桁行11.2m、梁間5.9m、一重、切妻造段違、桟瓦葺、東面及び北面庇付、こけら葺
新御座背面に位置する客室で東を正面とする。
平面は二室を主体とし、北側の一の間には花頭窓を設けた書院と張付壁の床を設ける。
西側奥に茶室を設ける。東面には伊吹山を借景とする枯山水の庭園(国指定名勝)を設けている。
建築年代は、明暦から延宝(1655〜81)頃と推定される。含山軒の名は第五代住職である。
一の間は、狩野山楽筆の山水画、二の間には狩野山雪筆の山水画が描かれている。
一の間から伊吹山を借景にした含山庭園(名勝)があって四季折々の風景が眺められる。
蘭亭
国重要文化財:建造物:指定 1915 03 26 建立:宝暦5年(1755)
桁行13.8m、梁間9.0m、一重、切妻造、桟瓦葺:合の間附属:両下造、桟瓦葺、庇こけら葺
含山軒西側に位置する客室で南を正面とする。
平面は東西に三室が並び南北と西の三方に広縁を巡らす。
南面には坪庭風の池泉鑑賞式庭園(国指定名勝)を設ける。
床柱側面には透かし彫り彫刻を嵌める。
部屋境の襖には、建物名称に由来する「蘭亭曲水の図」が描かれている。
大谷会館
桁行12.9m、梁間15.5m、入母屋造、桟瓦葺、二重、建立:昭和3年(1928)
玄関:桁行一間、梁間一間、向唐破風造、檜皮葺
座敷棟:桁行14.2m、梁間5.7m、入母屋造妻入、桟瓦葺
台所門を潜った左側に位置し、東を正面とする。
桁行五間の重層の建物を中心に左右にL字形の翼廊が取り付く。平等院
平面は中央を講堂、その両側にL字型の座敷棟を配置する。桁行五間の重層の建物を中心に左右にL字形の翼廊が取り付く。
平等院鳳凰堂に類似した形態である。
近代の建物であるが外観を仏堂風にして周囲の寺観との調和を整えており、近代和風建築として価値がある。
台所門(矢の根門)
市指定文化財
三間一戸薬医門、本瓦葺:建立 天正16年(1588):扉金具銘
境内地の南西に位置する。
長浜城の城門(大手門)を移築したものといわれ、扉金具銘や山内家文書から天正16年頃の建築とされる。
蟇股や木鼻などの細部意匠からもこの頃といえる。
山門が建築されるまでは、この門が現在の山門位置にあり、正門であったとされる。
その門扉に、本能寺の変で明智側の京極氏が攻撃した矢や銃弾の跡が残っている。
構造、意匠ともに簡潔であるが、全体的に豪壮なところに近世初期の城郭建築の特徴をよく出している。
総会所
桁行26.3m、梁間9.7m、入母屋造、桟瓦葺、大正頃
山門の西に位置し、北を正面とする長屋風の建物である。背面の壁は海鼠(なまこ)壁で、境内境界となる。
建築年代は大正頃と推定され、総会所講と女人講の門徒がお勤めに使う施設である。
含山軒庭園
名勝:江戸時代
庭園は、書院含山軒の前庭となっている。
庭園築山枯山水の借景庭園で、刈込みの間から伊吹山を借景としている。
庭園には北部と東部中央に出島を設けており、出島は亀で枯池中の中島は鶴島で、南部から石橋を架けている。
蘭亭庭園
名勝:江戸時代
本庭は東西に細長く、南東部の築山は、やや高くして滝石組を施し、切石橋を太鼓橋とし池中に岩島が二個ある。
書院の障壁画「蘭亭曲水の宴」の画相俟った景観を呈している。
梵鐘
県重要文化財
もとは、若狭国多太寺のもので貞治2年(1363)の銘がある。
大通寺公園
東門を出るとかなり広い公園がある。大通寺に接して造られている。
まだ新しいようだが、さくら、他の樹木が植えられている。
参考資料《滋賀県の近世寺院建築、長浜市史・大通寺の精華、郷土資料辞典、大通寺建造物調査報告書、他》
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