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滋賀県長浜市 渡岸寺観音堂(向源寺)

(Doganji-Temple Kannondo, Takatsuki, Nagahama, Shiga)

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桜だけでなく、花の多い村
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日本一の十一面観音さんに出会える
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March 18, 2023 野崎順次 source movie

滋賀県長浜市高月町渡岸寺50番地
真宗大谷派
紫雲山 向源寺
渡岸寺観音堂

お堂に安置される十一面観音は、日本全国に七体ある国宝十一面観音の中でも最も美しいとされる日本彫刻史上の最高傑作といわれ、祈りの仏にふさわしい、慈愛に満ちたお姿の観音さまです。
(滋賀・びわ湖観光情報サイト)

『近江伊香郡志』所収の寺伝によれば、天平8年(736年)、当時、都に疱瘡が流行したので、聖武天皇は泰澄に除災祈祷を命じたという。泰澄は十一面観世音を彫り、光眼寺を建立し息災延命、万民豊楽の祈祷を行い、その後憂いは絶たれたという。その後病除けの霊験あらたかな観音像として、信仰されるようになった。延暦9年(790年)、比叡山延暦寺の開祖である最澄が、勅を奉じて七堂伽藍を建立したという。
元亀元年(1570年)、浅井・織田の戦火のために堂宇は焼失した。しかし観音を篤く信仰する住職巧円や近隣の住民は、観世音を土中に埋蔵して難を逃れたという。この後巧円は浄土真宗に改宗し、光眼寺を廃寺とし、向源寺を建立した。
(ウィキペディア「向源寺」)

パンフレットと現地説明板
   

仁王門
         


埋伏地由来、文学碑
     


本堂、法事が行われていた。
      


本堂から観音堂への廊下の展示
     


高月駅あたり
    


June 10,2019 瀧山幸伸 source movie

           


Apr.2012 野崎順次 source movie

滋賀県長浜市高月町渡岸寺

撮影日: 2012年4月15日

向源寺(こうげんじ)は、滋賀県長浜市にある真宗大谷派の寺院。山号は慈雲山。国宝の十一面観音像を有することで知られています。観音像は当寺に属する渡岸寺(どうがんじ)慈雲閣に安置されています。

国宝 木造十一面観音立像 平安初期 貞観様式

頂上仏面が菩薩相で、五体の化仏のあるほかは、極めて儀軌に忠実であり、左右夫々それぞれの一面を耳のうしろに大きく表現するなど、密教像特有の印度的な感じをまことによく伝えています。像高は約1.95m(約六尺五寸)、頂上面を除く宝髻より蓮肉に至るまで一本彫成で、その刀法は上から下へ、下から上へ、いささかも渋滞するところなく、冴えた彫りの美しさをあらわしています。また、眉から鼻にかけての秀麗な線、かたく結ばれた唇など、その豊かな顔容には崇高な森厳さが秘められています。そして腰をわずかにひねるかのような豊麗な姿態に、仏身ながら官能的な量感をさえ感じます

現在、国宝に指定されている十一面観音立像は六体で、残りの五体の所在は、観音寺(京都京田辺市)、六波羅蜜寺(京都市東山区)、室生寺(奈良県宇陀市)、法華寺(奈良県奈良市)、聖林寺(奈良県桜井市)です。私は渡岸寺の観音さんが一番好きです。

仁王門と県指定有形文化財の金剛力士像

                                     

本堂

                 

境内

                   

慈雲閣(鉄筋コンクリート造の十一面観音収蔵庫)

   

参考資料

渡岸寺観音堂(向源寺)国宝維持保存協賛会パンフレット


Apr.2010 撮影/文:野崎順次

滋賀県長浜市高月町渡岸寺

撮影日: 2010年4月10日

向源寺(こうげんじ)は、滋賀県長浜市にある真宗大谷派の寺院。山号は慈雲山。

国宝の十一面観音像を有することで知られています。

観音像は当寺に属する渡岸寺(どうがんじ)観音堂に安置されています。

その昔、聖武天皇の天平8年(736年)、当時都に疱瘡が大流行し死者が相次いだので、天皇は除災の祈祷を僧泰澄に勅せられました。

泰澄は勅を奉じ、祈願をこめて十一面観世音を彫み、光明寺を建立し息災延命、万民豊楽の祈祷をこらしてその憂いを絶ったと伝えられます。

以来、病い除けの霊験あらたかな観音像として敬仰せられ、桓武天皇の延暦20年(801年)には、比叡山の僧最澄が勅を奉じて七堂伽藍を建立し、多くの仏像を安置して輪煥の美をきわめました。

しかし時勢とともに寺運は漸く衰え、元亀元年(1570年)、豪雄浅井・織田両氏の戦火のため、堂宇は悉く烏有に帰し寺領亦没収せられて、ここに全く廃滅してしまいました。

此の兵乱に観音を敬仰する住職巧円をはじめ土地の住民達は、兵火が堂宇を襲うや猛火を冒して搬出しましたが、お守りする堂なく、やむなく土中に埋蔵して難をまぬがれたといわれます。

その後、巧円は真宗に転宗し、光眼寺を廃寺にし向源寺を建て、諸仏は秘仏としてお守りしてきました。

明治21年(1888年)、宮内省全国宝物取調局、九鬼隆一氏外数名本像を調査され、日本屈指の霊像と賞賛、明治30年(1897年)、特別国宝に指定せられました。

国宝 木造十一面観世音菩薩立像

頂上仏面が菩薩相で、五体の化仏のあるほかは、極めて儀軌に忠実であり、左右夫々それぞれの一面を耳のうしろに大きく表現するなど、密教像特有の印度的な感じをまことによく伝えています。

像高は約1.95m(約六尺五寸)、頂上面を除く宝髻より蓮肉に至るまで一本彫成で、その刀法は上から下へ、下から上へ、いささかも渋滞するところなく、冴えた彫りの美しさをあらわしています。

また、眉から鼻にかけての秀麗な線、かたく結ばれた唇など、その豊かな顔容には崇高な森厳さが秘められています。

そして腰をわずかにひねるかのような豊麗な姿態に、仏身ながら官能的な量感をさえ感じます。

その他の仏像

重文 大日如来(胎蔵界)座像 木彫 (1.485m) 観音堂

県指定 十一面観世音菩薩立像 木彫 (0.40m) 観音堂

県指定 阿弥陀如来座像 木彫 (1.38m) 本堂本尊

県指定 金剛力士立像 木彫 (1.94m) 仁王門

[渡岸寺観音堂(向源寺)国宝維持保存協賛会パンフレットより]

JR高月駅には十一面観音関連の展示が多いです。

ブラブラと東へ歩いて10分くらいで渡岸寺観音堂に着きます。

                       

パンフレットおよび説明板

         

仁王門と県指定有形文化財の金剛力士像

                         

本堂と鉄筋コンクリート造の観音堂

             

境内

                           

寺の前の槻(ケヤキの古名)の木、花など

                     


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