JAPAN GEOGRAPHIC

滋賀県長浜市 市街

Downtown,Nagahama city,Shiga

Category
Rating
Comment
 General
 
 
 Nature
 
 Water
 
 Flower
 
 Culture
 
 
 Facility
 
 Food
 

February,2023 大野木康夫

明治ステーション通りから北国街道に出て黒壁スクエアまで北上
                          


黒壁スクエアから大手門通りを東へ

      

ながはま御坊表参道を北上
    


博物館通りから黒壁スクエアに戻る
  


北国街道を南下
             


April 24, 2021 野崎順次  source movie

滋賀県長浜市 長浜北国街道


琵琶湖の北東岸を北上し、余呉湖の北の柳ヶ瀬、県境の栃ノ木峠をへて越前・加賀に通じる北国街道は、かつての重要な街道でした。多くの商人、旅人、武将らが頻繁に利用、長浜はその宿駅として、また湖上交通の要として栄えた町です。
街道沿いには今も、港町の風情を残す舟板塀や紅殻格子(べんがらごうし)、虫籠(むしこ)窓の家々や白い土蔵を持つ老舗の商家、道中安全を願った常夜燈などが建ち並び、昔の面影を色濃くとどめています。
明治時代に、鉄道を誘致したり、銀行が作られたり、次々と最新の公共施設が建設されました。今、それら昔ながらの家並みが風景にとけ込んで、モダンで落ち着いた町の様相を見せています。
(長浜・米原を楽しむ観光情報サイト)

パンフレットと現地説明板
      


長浜駅から瀬田町
                  

国登文 長浜旧開智学校 明治(1874)移築(1936)
木造3階建て、瓦葺、建築面積127㎡、塔屋付
駅前通り沿いに建つ木造3階建,八角塔屋付の擬洋風建築。外装モルタル塗,腰石積,隅石付。正面入口とその上部に列柱式開口部を構え,壁面に上げ下げ窓と花形レリーフを均等に配す。学校施設として利用された後,近年改修され,現在展示・会議室として活用。
(文化遺産オンライン)
       


北国街道安藤家

安藤家は羽柴秀吉が選んだ長浜町十人衆のなかでも筆頭の長浜三年寄を江戸時代を通して務めた名家。福島市に中村呉服店を開き、百貨店・中合(なかごう)の基礎を築いた中村治郎兵衛(安藤芳兵衛)も、安藤家の一族です。
長浜の中心地、北国街道沿いに明治38年建てられた商家(呉服問屋)は、紅殻格子、虫籠窓(むしこまど)などが施された長浜を代表する近代和風建築。庭師・布施宇吉(植宇)が10年かけて作庭し大正3年に完成した名園「古翠園」は、春にはつつじ、秋には紅葉が彩り、見事です。お庭好きなら、慶雲館本庭(7代目小川治兵衛作庭)とともに必見の庭といえるでしょう。
離れ「小蘭亭」(しょうらんてい)には、北大路魯山人(きたおおじろさんじん)の描いた天井画や篆刻額、篆刻扉障子、地袋があり、特別公開の際(通常は春と秋の年に2回、特別公開)のみ見学が可能。古翠園の名は、琵琶湖の湖水、安藤家当主の雅号・翠石(すいせき)に掛けた名前です。小蘭亭は、魯山人芸術の宝庫で、巨大な欅一枚板を使用した篆刻看板「呉服」は魯山人の最高傑作のひとつ。
(ニッポン旅マガジンサイトより)

パンフレットと現地説明板
      


主屋
                                               


離れ 小蘭亭
           


庭園 古翠園
                                       


さらに北国街道を北へ
                        


国登文 黒壁ガラス館本館(旧第百三十銀行長浜支店) 明治(1900)
木造2階建、瓦葺、建築面積169㎡
伝統的な土蔵造を基調として,軒蛇腹,上下窓,天井飾等の要所に洋風の意匠を取り入れた建物。明治期には多くの銀行が土蔵造でつくられたが,滋賀県下における初期の事例のひとつである。黒漆喰塗りの外観から「黒壁」の愛称を持ち,広く親しまれている。
(文化遺産オンライン)
      

それから、黒壁オルゴール館
       


にぎやかな街道筋
              


武者隠れ道
             


長浜駅に戻る。
             


May 1, 2021 source movie

前回歩いた北国街道のさらに北、舟板べいと長浜幼稚園(旧本陣)
                          



May 8, 2016 瀧山幸伸 source movie

 

浪漫ビール

         

旧長浜駅

                 

                            

旧開知学校

   

                       

翼果楼

       

旧第百三十銀行長浜支店

   

                                                            


Aug.2011 大野木康夫 source movie

黒壁ガラス館本館(旧第百三十銀行長浜支店)、黒壁スクエア

2011.7.27撮影 

JR長浜駅から北東に5分ほど行けば黒壁スクエアと呼ばれる地区です。

北国街道や大通寺門前町など、古い建物の残る町並みで知られています。

黒壁スクエアまでの道ぞい

    

黒壁ガラス館本館(旧第百三十銀行長浜支店)

                        

周辺の町並み

         

浄琳寺

太鼓部屋が特徴的です。(非公開)

      


Apr. 2010 撮影: 中山辰夫

黒壁ガラス館本館(旧第百三十銀行長浜支店)、黒壁スクエア

長浜市元浜町12−38

市内きっての目立つ建物であり、中心的な働きをしている。

入口にある登録文化財の銘版「第25-0001」は滋賀県の登録第一号である。

全国から「まちおこし」のモデルとして注目されてから14〜15年経過した。今や黒壁グループの店舗も30店近くまでになり、まちおこしの指導的役割を担っている。その動きは、長浜市全体の活況さにつながっている。

北口を出るとポケットパークをはさんで、附属の土蔵を改修したレストランがある。味わいのあるこの土蔵も登録の価値がある。

登録有形文化財:基準 国土の歴史的景観に寄与しているもの

構造:木造2階建、瓦葺、建築面積169㎡

建築:明治33年(1900)

        

伝統的な土蔵造を基調として、軒蛇腹、上下窓、天井飾等の要所に洋風の意匠を取り入れた建物。

明治期には多くの銀行が土蔵造でつくられたが、滋賀県下における初期の事例の一つである。

黒漆喰塗りの外観から「黒壁」の愛称を持ち、広く親しまれている。当時に付けられた「黒壁銀行」という愛称が由来。

窓は洋風の縦長上げ下げ窓である。

室内は洋風で、玄関付近に吹き抜けを設け、天井、階段手すりなどに華麗な洋風意匠が施されている。

明治銀行長浜支店、長浜カトリック教会としても使われた。

今はガラス舘に生まれ変わり、1階では普段使いの一輪挿しや花器、2階はヨーロツパを中心とした伝統的なガラス製品を展示販売している。

          

参考資料《長浜町史、国指定文化財等データーベース、パンフレット、他》


滋賀県長浜市 旧長浜駅舎資料館

Nagahama station museum,Nagahama city,,Shiga

Jan.2011 中山辰夫

滋賀県教育委員会資料

    

Oct.2010 撮影: 中山辰夫

長浜市北船町1−41

鉄道記念物指定

JR長浜駅から鉄道と平行している街路を約300m進み、踏切を渡った所に明治初年の面影を残す2階建ての洋風建築が建っている。

これが旧長浜駅の駅舎で、現在鉄道資料館になっている。慶雲舘と向かい合って建っている。

明治15年(1882竣工した旧長浜駅舎は、長浜で最も早い時期に建てられた本格洋風建築であり、鉄道駅舎としても日本最古のものである。

建設にはイギリス人技師ホッサムが設計したとされる。 駅舎は湖北における「近代」の象徴であった。

明治33年(1900)北方に新駅舎ができた後は転用を繰り返し、一時は荒廃したが、昭和33年(1958)に鉄道祈念物に指定され、昭和58年からは「旧長浜駅舎鉄道資料館」として一般公開されている。

            

明治15年の鉄道開業に合わせて、駅舎すぐ横の桟橋から発着する湖上汽船との連絡が始まり、長浜駅はそのターミナルとなった。

駅舎東に旅客ホーム、西に貨物倉庫が設けられ、その西には連絡船が接岸した。

明治の中頃までの東海道線は長浜までで、長浜と大津の間は鉄道連絡船に頼っていた。

駅舎本館は木造構造の石灰コンクリート造りの二階建て、外壁はコンクリート素面仕上げ、四隅の角は花崗岩の切石を積み窓枠と出入口にレンガを用いた。

階段の手すりなどに、明治期のレトロな鹿鳴館調が残っているといわれる。

現在の同資料館内には開業時の各階の様子が復元されている。

*東京新橋駅の建物が、長浜旧駅舎と同じ建物で、二つ並んでいたとのこと。それも今は無くなってしまったため、旧長浜駅舎が日本一古くなった。

   


滋賀県長浜市 旧開知学校

Kyu Kaichigakko, Nagahama city,Shiga

Feb. 2010 撮影: 中山辰夫

長浜市元浜町2-3

メイン通りの四つ角に建つ目だった建築物である。

今は「尾張屋ビル」と呼ばれて親しまれているようだ。

現在は、1階を「功藝館(こうげいかん)」2階「閑知学校古建築研究所」3階をセミナールームとして活用されている。

4階建ての形状、3階のベランダ、1階入口付近の構えなど、130年前にこんなハイカラな小学校があったとは想像できない。

登録有形文化財:基準 造形の規範となっているもの

構造:木造3階建、瓦葺、塔屋付、建築面積127㎡、

建築:明治7年(1874)、昭和11年(1936)移転

駅前通り沿いに建つ正方形平面の木造3階建、八角塔屋(太鼓楼)付の擬洋風建築。外装モルタル塗、腰石積、隅石付。

正面入口とその上部に列柱開口部を構え、壁面に上げ下げ窓と花形レリーフを均整に配している。

学校施設として利用された後、昭和12年(1937)現在地への移築時に改変されたが、出来る限り往時の意匠に復元すべく 平成12年(2000)に改修された。現在展示・会議室として活用。

        

参考資料《長浜市史、パンフレット、国文化財データーベース、他》

 

   All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中