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滋賀県長浜市 川道神社

Kawamichijinja,Nagahama city,,Shiga

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Nov.2011 中山辰夫

長浜市川道町458

祭神:大物主命 天照皇大神 豊受大神 大山咋命

JR北陸本線長浜駅から北西へ約5kmの距離にあって、姉川化流域の平坦地に位置する。南は琵琶湖に面している。

創立年ははっきりしないが、和銅年間、河内寸という人が近江の守になり、当所にその祖神を祀ったのがその始まりという。

明治までは神明社と八王子社の二社からなっていた。延喜式神名帳にある「上許曽神社(カミコソノ)」との説もある。

川道千手院は同じ境内にある。境内には、若一王子神社や稲荷神社などもある。

境内

鳥居をくぐると、石畳の参道を経て拝殿、本殿がある。鳥居の右側に社標がある。

参道の右側に稲荷神社、拝殿の右側に社務所がある。

境内の右手は千手院のお堂がある。

明治の神仏分離令まではそれらが一体であったことが分かる。神社も寺も住民と一体となって存在することがすぐに感じられた。

拝殿

鳥居の正面に建つ。袴付きである。

間口2間3尺 奥行2間3尺 入母屋造

石橋

拝殿と本殿の間には大きな太鼓橋がる。珍しい配置である。

中門と透かし塀

本殿

3間社流造 間口2間 奥行1間3尺

境内社 若一王子神社(ないこうじ)

彫刻装飾がいい。

由緒

創立の年代は明らかでないが、和銅年間、河内忌寸という人が近江守となり、当所にその祖神祀ったのがはじまりとされる。

明治までは神明社と泰平寺鎮守八王子社の2社からなっていた。

延元年中(1336〜39)、足利尊氏が戦勝を祈願して武器等を寄進。これを契機に社殿などの再興が行われ、文和年中

(1352〜55)泰平寺千手院の僧覚誉上人によってその事業が完成した。

永世年間(1504〜20)ごろから浅井氏が当社を崇敬し、神領等を寄進したが、滅亡後は神領を没収され、社殿も兵火に

かかったため、氏子らが再建し、ほそぼそと祭祀を続けた。

江戸時代には宮川藩堀田氏家代々の祈願所となり、また、享和年間(1801〜03)と寛政12年(1800)には社殿の改築も

行われた。

明治3年(1870)神明社。八王子社を合わせて川道神社と改称させられた。

3月 1日 神事(おこない)

湖北最大のおこないで圧巻を誇る。各地の行いの中でも、最も厳格に行われているので有名。五穀豊穣・国家安泰を祈る神事

米4斗(1俵)の大鏡餅を作ることで知られる。地元では、この行事が終わると春が来るとされている。

七つの組に分かれて勤める。その準備は2月17日のすす払いから始まり、23日臼洗い、24日米つき、27日モチつき、28日

宵宮で、鏡餅ができた事を喜び合い、酒で元気付けながら夜中に神社へ向かい、拝殿に鏡餅を並べて供える。

3月1日が本日で木膳の儀が行われ、午後神社では新年の神事があり、夕方鏡餅を下げ、つづいて餅割りが行なわれる。

2日は後始末。これで半月にわたって続いた神事は終わる。

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