JAPAN GEOGRAPHIC

滋賀県長浜市 古保利古墳群

Kohori Kofungun,Nagahama City,Shiga

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Oct.8,2018  中山辰夫

古保利古墳群 (こほり)

長浜市高月町西野ほか

位置関係

    

遠景

   

2世紀から3世紀にかけての弥生時代の終わりには、各地の首長は広い範囲で集落をまとめ、権力の象徴としてこれまでにない大きな墓をつくりはじめた。

湖北は琵琶湖と河川の水運や陸路を利用して畿内、山陰、北陸、東海とを結ぶ重要な地域であり、そうした交通路を掌握していた首長の墓である。

古保利古墳群は、高月町から湖北町にかけての琵琶湖を望む西野丘陵上に連なる古墳時代前期後半から後期前半にかけての古墳群(標高200〜240m)

賤ケ岳から山本山に至る約3kmの丘陵尾根上に、100基を越える古墳が3世紀末〜7世紀末にかけて築造された。 国史跡指定を受けている。

山本山〜賤ケ岳近辺まで連なる

        

説明と分布図

  

散策路

   

西野水道を見学した後、古保利丘陵の尾根を歩く−ボランテイアさんの案内任せである。古墳は全て埋められてある。

    

木戸の道 ここから尾根道に入る。往古は豊沃なコメを担いで対岸の湊(木戸湊)まで運ぶ主要路であった。

     

いっぷくの道〜荷を置く石積が残っている。 さらに尾根道を歩く

    

分岐点 (近江湖の辺の道)

    

この尾根道は交通の要衝で、種々の方面への分岐点になっている。尾根道の片側はや尼、他方は琵琶湖側である。

西野集落(800m)、西野水道(700m)、山本山(3.3km)、片山集落(1.8km)、木戸湊(琵琶湖400m)、賤ケ岳(3.9km)、阿曾津集落跡(1.2km)、など

歩く途中、古墳と思われる小高い箇所が点在している。

木戸古墳

      

琵琶湖側に向かって築造されている。この古墳からは山陰地方の特徴を持つ甕が発見されている。

更に進むも台風の影響で小枝の散乱や倒壊した木々に度々出会う。

小松古墳

      

100基を越える古墳の中で最も注目される古墳。琵琶湖沿いに屹立する古保利丘陵にあって、墳長約60m、高さ約5mの前方後円墳で、二面の後漢鏡の他、鏃や銅や鉄の武器を副葬品に持つ古墳。東側に平野が、西側に深碧の奥琵琶湖が見渡せた位置に建っている。

越の国(北陸)との流通経路にあって、塩津・海津からの湖上交通も掌握し、美濃地方とも交流できた首長の墓とされる。

北陸や北近畿は。中国や朝鮮半島に通じる文化導入の窓口であり、速く情報を受け入れた所。

出土品

    

方格規矩(ほうかくきく)鏡(きょう)(漢鏡)

中国製の銅鏡で、大陸との関わりが考えられる。意図的に破砕(葬送儀礼に使う目的で、鏡を壊した)し、葬送儀礼に使用した。

この儀礼は、西日本の首長層が行う共通儀礼を行っていたことを証明するもので、貴重な発見となった。

また漢鏡は、地域の王の財力と権力を示すシンボルのひとつとも考えられる。3世紀前半ころの資料。

眺望

木々に覆われ景色の見える処がない。

   

尾根全体に木々が繁茂し、古墳とおもわれる土盛りを散見するだけで終わった。歩いた距離もさほど多くなかった。

古墳は琵琶湖との比高100m以上の丘陵尾根上、前方後円墳8基、前方後方墳8基、円墳79基、方墳37基からなる。

立地や分布状況からみて6つの支群に分けられ、それぞれ1基以上の前方後円墳ないしは前方後方墳が含まれる。

古墳の規模は、前方後円墳では西野山古墳が90m、寺ヶ浦古墳が53.5m、ほかは22.5から40m、前方後方墳では、小松古墳が60m、ほかは15から39mである。

円墳の直径、方墳の一辺はほぼ30mを最大とし、10から20m前後のものが多い。

前方後円墳・前方後方墳と規模の大きい円墳・方墳は、古墳時代の初期から前期末ないしは中期前葉ころを中心とするものと考えられる。

前方後方墳の小松古墳は、後方部の墳頂部から出土した二重口縁の壺や高杯などの土器からみて初期の古墳と考えられる。これら前期を中心とした古墳の内部主体は、竪穴式石室や粘土郭などは確認されておらず木棺直葬と推定される。埴輪はまったく認められない…

酸性土のためか人骨は発見されていない。

八つ岩支群は後期古墳群で、横口式石室を採用し、副葬品に多量の鉄滓があった。横口式石室は滋賀県では唯一の事例。製鉄や鍛冶生産の関連がある。

琵琶湖北部の交通の要所に、新しい技術を身に付けた渡来系氏族の居住や朝鮮半島、高句麗まで通じる交通路の存在なども古墳から推定される。

参考資料≪近江水の宝、滋賀県の地名、パンフレット、高月町史、新史跡でつづる古代の近江、他≫

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