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滋賀県長浜市 大浦

Oura,Nagahama city,,Shiga

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June 10,2018 中山辰夫

大浦漁港と家並

高島市西浅井町大浦

永原駅からスタートし、かって栄えた大浦湊と集落をたどる。

  

大浦は奥琵琶湖大浦湾に臨む集落。畿内と北陸を結ぶ大浦越えの拠点として発展、塩津、海津とともに湖北三浦として栄えた

かつて西浅井には3港(大浦、菅浦、塩津)併せて100隻余りの丸子船があったといわれる。

丸子船は、敦賀から塩津街道を運ばれてきた海産物や塩、米、大浦特産の柴や割木を主な荷として大津に運び、旅客を乗せることもあった。

明治以降、琵琶湖水運の衰退とともに昔日の面影を失った。

奥琵琶湖観光開発の目玉として開通した奥琵琶湖パークウエイ(1971)はここ大浦を起点としている。

今の大浦は、集落内に分散してある観音菩薩像への参拝者が多い。 海津方面と菅浦への分岐点でもある。

大浦は琵琶湖北岸の大浦川河口に開けた平地に立地している。 

『万葉集』にも「 霜降り遠つ 大浦に 寄する波よしも 寄すとも 憎からなくに 」とみえ古代以来畿内と北陸を結ぶ湖上交通の良港でここを起点に敦賀と結んでいた。近世まで大浦川は中流まで舟運があったと伝える。 

案内

      

古代から栄えていた大浦湊の今は、奥琵琶湖を漁場とする地元漁民の小漁港として継続されており、エビ・イサザ・フナなどが水揚げされているが、外来魚に拠って漁獲量が落ちている。

湊は公園と一体化されて整備され−湖岸緑地大浦園地と呼称される。

                

園地前の303号線から一歩山側に入った所に応じの旧道が走り、その両側に家並みが連なる。僅か往時の名残が感じられる一帯である。

                  

通りに社寺が並ぶ

蓮敬寺

西浅井町大浦

          

宗派:浄土真宗本願寺派 本尊:阿弥陀如来 1492(明王2)年草創 開基:了通 1602(慶長2)年に下付された親鸞絵像の「裏書」に「蓮敬寺」の裏書あり。

中世末期、当寺が湖上交通と深くかかわっていたとされ、江戸時代も大浦湊問屋座の中心であった。

本照寺

      

西浅井町大浦

宗派:真宗大谷派 本尊:阿弥陀如来 空了が蓮如に帰依、1489(延徳元)年空了が蓮如上人の法弟実如より寺号・木仏・六字名号など許され草創する。

本願寺の石山合戦中、石山籠城を主張する教如と和議を選ぶ顕如が対立。湖西門徒の中心寺院の慈敬寺でも証智が前者に、顕智が後者にくみし分立すらが、当寺は教如・証智方に組みし三浦坊主衆中の中心寺院として勤仕した。

八幡神社

西浅井町大浦

       

1058(康平元)年に当地の浜村助左衛門が社殿建立、1426(応永33)年芝新治郎が社殿背後の山を寄付、1570(元亀元)年浅井長政が大般若経600巻と社領30石を寄進した。神行会という祭祀組織があり、毎年1月15日にオコナイを執行する。

参考

大浦庄と菅浦との相論

菅浦はもと大浦庄に含まれていたが、中世に菅浦庄が成立した。このため両庄間で約200年間境相論が頻発した。

国宝に指定された「菅浦文書」はその記録である。

菅浦の中世の歴史は、北の大浦庄との境相論(領域を巡る争い)の歴史であった。

菅浦与大浦下庄堺絵図 「一幅」 国宝

  

菅浦文書の一部である。1302(乾元2年)8月17日の墨書があり、堺相論の際に作成されたもの。

絵図は、堺を朱線で示すと共に、日差・諸河の地、庄内、堂、在家を描き、下方には竹生島の景観、鳥居、拝殿、本殿、三重塔、堂舎、宝厳寺の楼門等を簡略に描写している。これは、中世の竹生島とその信仰の在り方を示す重要なものとされる。

参考資料≪滋賀県の地名、寺院神社大辞典、ほか≫

北淡海・丸子船の館

長浜市西浅井町大浦582

案内

湖西線永原駅から303号線を港の方へ進む。さほどの距離でない。

館内に展示されている丸子船は、百石船(米俵250表を積載できる)で、現存する丸子船2隻のうちの1隻である。

                 

丸子船は江戸時代に琵琶湖で活躍した木造和船。2つ割り敷いた丸太を、平らな面を内側にして舷(側面)に取り付け、丸太が外から張り出して見えることから名付けられた。帆で走航し、無風の時は棹や櫓を使った。

ここに展示されている船は、全長17m、船腹中央の高さ90cm、幅285cmで、船尾から中程にかけて緩やかに彎曲し、船首に向かって反り上がっている。

滋賀県立琵琶湖博物館(草津)に展示の丸子船

 

帆と「松右衛門船」

今に続く「工楽松右衛門」の技術—引用

ふるさと資料館—隣接している 築100年経過の古民家を利用建屋は1899(明治32)年築造の元豪商屋敷

          

    

     

黒山石仏群

長浜市西浅井町黒山

黒山はJR永原駅から西方へ1kmは行った所から集落が始まる。塩津街道がなかった頃、敦賀への街道筋として栄えた。

焼き打ちにあったが、今でも、県下で6番目に古い地蔵磨崖仏を始め、石仏や石塔群が数多く残されている。集落の東入口に1304(嘉玄)年銘の石仏がある。

案内

東光院

 

説明板の傍らにある。真言宗智山派 1610(慶長15)年長順の中興。阿弥陀堂には鎌倉時代の石仏がある。

石仏

  

賎ヶ岳合戦の折、柴田勝家輩下の武士たちの家族が、菩提を弔って、お墓の代わりに石仏を奉ったと言われる。

明治時代の廃仏毀釈により荒れ果てていたものが、昭和に入り、現在の地へ奉られるようになった。

東光院の阿弥陀堂前には鎌倉時代の石仏がある。五輪塔(178cm)、三重塔(148cm)、五重塔婆「高さ260cm相輪欠)、五重塔婆(183cm)が相輪欠であるが残っている。1月3日神主藩ガオコナイを勤める。

  

稲荷神社

     

1532(天文元年)悪疫が流行した時京都伏見稲荷神社を勧請、当地の産土神とした。

黒山二尊磨崖仏

黒山石仏群へはJR永原駅から歩いて行きました。駅を出てさほど歩かない所にある「黒山二尊磨崖仏」を見落としました。

高さ1m弱、よこ2m、奥行1m程の大きな一枚岩に、二体のお地蔵様が立っておられるとのこと。鎌倉時代初めの作といわれる。

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