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滋賀県長浜市 日吉神社(高月井口)

Hiyoshijinja(Takatsuki Iguchi),Nagahama city,Shiga

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March 9, 2019 野崎順次 source movie

滋賀県長浜市高月町井口122 

日吉神社

(Hiyoshijinja Shrine, Nagahama City, Shiga Pref.)

当初の創祀に関して伝えるところによれば文永7年7月近江国蒲生ルビ郡渡江ルビ淵に大蛇現れ夜毎人蓄を害する事甚だしく、国主佐佐木頼綱これを聞き、その害を除かんとしたが、大蛇変幻出没常にその姿を変じて計り難く、東条経方と共にその大蛇を家伝の征矢にて射殺し、其の霊を国中の井がらしに祀らせた伝承あり、これを当社井口大明神と号せしむ等々、この所説もとより、無稽の謬説ならむも当社創立の由来を暗示するものと云うべく、上下12組用水の井口を守護せんがため?に冨永ルビ庄の本所たる延暦寺の守護神である坂本の日吉神社後分霊を奉祀したことは、当社創立の大きな理由であったと考えられる。観音寺別院円満寺の鎮守新日吉神社の名で呼ばれた。銅鐘一口(重工)寛喜3年鋳之ノ銘あり社宝として蔵している。大正12年郷社に列した。

(滋賀県神社庁ウェブサイトより)

アプローチ

     

最初に古代の神池・神島を観察した。

日吉神社神池・神島 上古 

当社は境内五百九十八坪を有しているが、本神池は当社境内の南を新道が中断しているために、神池は南東一画の地に残っている。そしてこの神池を一覧すると、神池に向かって左右に長く、奥行はやや短く、中央に大島一島と、左右に小島各一島があって、この三島が左右にやや平行線をもって配島されている。このような神池は、上代において神を奉祀する神池形式であって、決して後世の園池ではない。このような神池の構成は、上代において、九州の中津の大貞八幡宮、備中吉備津神社、同総社宮等等の神池に見られるものであって、上代における宗像大社海島の祭祀をはじめとする初期神社祭祀の神池である。

しかしこのような神池のように三島配置中の中央を大島とする構成は、同じ上代神池の中にあっても後期的なものと考えられる。すなわちすでにこの配島思想には一種の蓬莱神仙思想が混入していて、応神朝以後のものであり、この地方が早く敦賀を中心とする朝鮮民族、特に阿知岐阜氏族等の来朝によって、神仙思想が伝来し、そうした民族文化を中心とする鎮座神であることが一考される。いずれにしてもこの神池が上代後期の神池であり、今日まで保存されてきたことは特に興味のあることであり、日本庭園史研究資料上にも貴重な神池として、一覧願いたい。

(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」日吉神社神池・神島より)

                             

鳥居から拝殿の方に参道を進む。

      

県文 本殿 江戸中期 元文三年(1738)

桁行三間、梁間三間、入母屋造、向拝一間、葭葺

現在の本殿は、棟札により元文三年(1738)に再建され、大工は井口村平井彦右衛門であったことが分かる。

建物は外陣の正面一間通りを吹放しとし、柱上には内陣・外陣とも出組で蛇腹支輪を納め、格天井を張るなど外観、内部ともに仏堂風のの形式を採用している。蟇股には輪郭よりはみ出るほど動物の彫刻を施すなど派手な意匠を取り入れ、虹梁の絵様にも江戸中期の様式手法をよく示す。

県下の数少ない入母屋造の本殿の中で、質的にも高く、向拝まで葺き下す葭葺の屋根がそのまま残る遺稿としても価値が高い。−滋賀県教育委員会−

(現地説明板)

                         

境内には由緒のありそうな奇石がいくつかある。

                 

また、巨木も多い。

                      

梅の花など

    


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