滋賀県大津市 石山寺
Ishiyamadera,Otsu city,Shiga
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大津市石山寺1 石山寺 御影堂 重文 近世以前/寺院 室町中期 室町中期 正面三間、側面三間、背面張出附属、一重、宝形造、檜皮葺 20081202
大津市石山寺1 石山寺 蓮如堂 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長7(1602) 桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、桟瓦葺 板札1枚 20081202
大津市石山寺1 石山寺 三十八所権現社本殿 重文 近世以前/神社 桃山 慶長7(1602) 一間社流造、檜皮葺 20081202
大津市石山寺1 石山寺 経蔵 重文 近世以前/寺院 桃山 "慶長年間 (1596-1615)頃" 桁行三間、梁間二間、校倉、切妻造、桟瓦葺 20081202
大津市石山寺1 石山寺鐘楼 重文 近世以前/寺院 鎌倉後期 鎌倉後期 桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、檜皮葺 棟札1枚 19070828
大津市石山寺1 石山寺多宝塔 国宝 近世以前/寺院 鎌倉前期 建久5(1194) 三間多宝塔、檜皮葺 棟札1枚 18990405 19510609
大津市石山寺1 石山寺東大門 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長(1596-1614)頃 三間一戸八脚門、入母屋造、本瓦葺 19070828
大津市石山寺1 石山寺宝篋印塔 重文 近世以前/その他 室町前期 室町前期 石造宝篋印塔 19610323
大津市石山寺1 石山寺本堂 国宝 近世以前/寺院 平安後期 "永長元(1096)、慶長7(1602)(礼堂)" "本堂 桁行七間、梁間四間相の間 桁行一間、梁間七間 礼堂 懸造、桁行九間、梁間四間 本堂及び礼堂 寄棟造、両棟を相の間の屋根でつなぎ礼堂の棟をこえて破風をつくる、総檜皮葺" 18981228 19521122
Mar.5,2023 瀧山幸伸 source movie
A camera
東大門付近
くぐり岩付近
珪灰石前
蓮如堂
御影堂
本堂付近
三十八所権現
経蔵
多宝塔付近
鐘楼
第一梅園
第二梅園
第三梅園
八大龍王社を経て戻る
本堂下
大湯屋、大黒天
B camera
C camera
November,2022 大野木康夫
source movie
紅葉の盛り直前の訪問
東大門付近
参道
拝観入口付近
本堂へ上らずに奥(西)へ
西側から伽藍へ
伽藍付近の紅葉風景
本堂へ
三十八所権現付近の紅葉風景
珪灰石の上から
多宝塔付近
宝篋印塔
多宝塔
本堂の上から
三十八所権現から経蔵、鐘楼を経て珪灰石の下へ
参道へ降りる
帰路
Nov.23,2020 瀧山幸伸
A camera
B camera
Apr.5,2020 瀧山幸伸
A Camera
B Camera
門前
今回の主目的は梅の花の鑑賞である。
パンフレットと現地説明板
東大門あたり
くぐり岩、石段途中の龍蔵権現社、そして本堂前の硅灰石
梅の盆栽
石庭、庭園関係の本ではあまり評価されていないようだ。単なる奇抜ということか。
第一梅園 薫の苑
心経堂、多宝塔を過ぎて
第二梅園 東風の苑
第三梅園
光堂横から下ると、紫式部像があり、周囲を飾るのは寒桜かな。鳥が食事中。
花を見ながら下る。
無憂園あたり
天智天皇の石切り場
それから
天狗杉、水車など
猛烈な寒波到来で全国的に積雪が見られた。石山寺も何年ぶりかの大雪で、ほとんどの伽藍は雪に覆われていた。
訪れた日は、吹雪いたり、薄日がさしたり、曇ったりと不安定な天候でした。雪の中の石山寺伽藍です
アプローチ
石山寺は瀬田川西岸にある真言宗の古刹 山号は石光寺
747{天平19)年聖武天皇が奈良東大寺の廬舎那仏の金箔がないことを憂えていたところ、当地に伽藍を建立し如意輪法を修せば金宝が出来るという夢告があって建立 増改築が759{天平宝字3)年から進められ、この工事が近江の湖南一帯に大きな影響を及ぼしたとされる。(滋賀県の地名より)
源頼朝の厚い庇護を受け、寺内の堂塔が整備された。国宝・国重要文化財を多く有している。
「枕草子」197段「寺は」、壺坂、笠置、法輪、霊山についで「石山」が出てくる。つとに都人に親しまれ、観音信仰の霊地で貴族・庶民の参詣を集めた西国三十三所観音霊場十三番札所である。
東大門 国重要文化財 1758(天明5)年建立の石造石標がある 三間一戸 八脚門 木造金剛力士像を安置
参道
参道の両側に並ぶ塔頭
大湯屋周辺
境内のぼり階段・坂道
観音堂と毘沙門天 毘沙門堂は滋賀県指定有形文化財
御影堂 国重要文化財
蓮如堂 国重要文化財
本堂 国宝 平安時代の様式を残す 淀君の寄進
斜面にせり出した懸造で清水寺や東大寺二月堂と同じ様式。国重要文化財の本尊・「如意輪観世音菩薩」は内陣に安置される。日本で唯一の勅封秘仏。
33年毎のほか、天皇の即位がある年に開扉される。開扉には宮内庁の職員が立ち会い,カギにかけられた紙縒り(こより)を断ち切る。
この御本尊は、ごつごつとした硅灰岩の上に座しておられる。蓮華台を挟んではいるが、天然石に着座されておられるのが奇妙である。
三十八社〜宝蔵〜経蔵 国重要文化財
鐘楼・ほか 国重要文化財 鎌倉後期 檜皮葺の入母屋造の屋根
多宝塔 国宝 下層は三間四方 上層は円柱12本で円形をなす 国内で最古の多宝塔
月見亭〜芭蕉庵 「近江八景」の一つ「石山秋月」として名高く、景観が美しい所
心経堂〜紫式部展・豊浄園
硅灰岩と多宝塔 特異な様相を見せる硅灰岩は国指定天然記念物 寺号はこの奇岩に由来する
硅灰岩は石灰岩がマグマに触れて変容した岩。この奇岩が不思議な趣で露出する。
無憂園
枕草子の清少納言、蜻蛉日記の藤原道綱の母、和泉式部日記の和泉式部、更級日記の菅原孝標の娘、そして源氏物語の紫式部がお参りしたとされる。
女性の脚でも京都から舟を併せて1日あれば辿りつける距離。こもりたい・観音の慈悲にすがり、苦しみから救われたい。そんな平安貴族の女性を引き付ける寺であった。
紅葉ライトアップ
東大門
参道、塔頭
本堂下付近
雅台から本堂方面
硅灰石前へ
硅灰石前の諸堂と紅葉
本堂前から多宝塔前へ
帰路
東大門(重要文化財)
慶長年間(1596-1614)頃の建築
三間一戸八脚門、入母屋造、本瓦葺左右にかかっている提灯が印象的です。
参道
石山寺硅灰石(国指定天然記念物)花崗岩石灰岩ノ接觸部ニ成生セル接觸鑛物ナリ
本鑛物ハ本邦各所ニ産スルモ石山寺境内ニ在ルモノハ地層面ニ沿ヒ多数集合シ風化ノ結果其ノ状態最モ顯著ニシテ既知ノ硅灰石中甚著名ナリトス
(国指定文化財等データベースより)
御影堂(重要文化財)室町中期の建築
正面三間、側面三間、背面張出附属、一重、宝形造、檜皮葺石山寺は、大津市内に所在する真言宗寺院で、平安時代建立の本堂を中心とした伽藍をもつ。
室町期創建の御影堂は、慶長期に洗練された外観に整備された。
三十八所権現社本殿は慶長7年(1602)の建築で、華麗な彫刻や彩色で装飾され、その拝殿として同時に建てられた蓮如堂とともに、寺院における鎮守社の構成を伝える遺構として貴重である。
経蔵を含めたこれらの建物群は、石山寺の独特な伽藍を形成した、慶長期の復興造営の様相を伝える建築物として高い歴史的価値がある。
(国指定文化財等データベースより)
毘沙門堂(滋賀県指定有形文化財)
蓮如堂(重要文化財)慶長7(1602)年の建築
桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、桟瓦葺三十八所権現社の拝殿として建築されたものです。
蓮如堂と本堂は青葉に覆われていました。
本堂(国宝)永長元(1096)年(礼堂は慶長7(1602)年)の建築本堂 桁行七間、梁間四間
相の間 桁行一間、梁間七間
礼堂 懸造、桁行九間、梁間四間
本堂及び礼堂 寄棟造、両棟を相の間の屋根でつなぎ礼堂の棟をこえて破風をつくる、総檜皮葺大きなお堂で、この時期は全景が撮影できません。
三十八所権現社本殿(重要文化財)慶長7(1602)年の建築
一間社流造、檜皮葺
経蔵(重要文化財)慶長年間(1596-1615)頃の建築
桁行三間、梁間二間、校倉、切妻造、桟瓦葺
多宝塔(国宝)建久5(1194)年の建築
三間多宝塔、檜皮葺
多宝塔の西に並ぶ宝篋印塔は、源頼朝とその乳母亀谷禅尼の供養塔と伝わります。
亀谷禅尼供養塔(重要文化財)室町前期建造の石造宝篋印塔向かって左(多宝塔から遠い方)の宝篋印塔です。
源頼朝供養塔(多宝塔に近い方)少し損傷部分が多いような気がします。
国宝本堂を周囲から撮影
鐘楼(重要文化財)鎌倉後期の建築
桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、檜皮葺経蔵とほぼ正対していますが、先に石段を上がって多宝塔を撮影したので最後になりました。
花の寺の別名もある石山寺、七月のこの時期は青もじみに囲まれているだけです。
厳しい暑さで参拝者も少なく静かに拝観することができました。
source movie Mar. 2012 source movie Apr.2012
滋賀県大津市石山寺1-1-1
撮影日: 2012年3月25日および4月14日石山寺は、大津市内に所在する真言宗寺院で、平安時代建立の本堂を中心とした伽藍をもつ。室町期創建の御影堂は、慶長期に洗練された外観に整備された。三十八所権現社本殿は慶長7年(1602)の建築で、華麗な彫刻や彩色で装飾され、その拝殿として同時に建てられた蓮如堂とともに、寺院における鎮守社の構成を伝える遺構として貴重である。経蔵を含めたこれらの建物群は、石山寺の独特な伽藍を形成した、慶長期の復興造営の様相を伝える建築物として高い歴史的価値がある。
パンフレットと現地説明板
国重文 東大門 桃山 慶長年間頃(1596-1614頃)
三間一戸八脚門、入母屋造、本瓦葺
参道を進む。左右の建物を覗きながら。
くぐり岩
そして、石段を上る。
本堂前の境内
天然記念物 硅灰石
観音堂
毘沙門堂
国重文 御影堂 室町中期(1393-1466)
正面三間、側面三間、背面張出附属、一重、宝形造、檜皮葺
国重文 蓮如堂 桃山 慶長七年(1602)
桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、桟瓦葺
国宝 本堂 平安後期 永長元年(1092) 礼堂 慶長七年(1602)
本堂 桁行七間、梁間四間
相の間 桁行一間、梁間七間
礼堂 懸造、桁行九間、梁間四間
本堂及び礼堂 寄棟造、両棟を相の間の屋根でつなぎ礼堂の棟をこえて破風をつくる、総檜皮葺
国重文 三十八所権現社本殿 桃山 慶長七年(1602)
一間社流造、檜皮葺
国重文 経蔵 桃山 慶長年間頃(1596-1615頃)
桁行三間、梁間二間、校倉、切妻造、桟瓦葺
宝篋印塔、三重宝篋印塔など
国重文 鐘楼 鎌倉後期(1275-1332)
桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、檜皮葺
国宝 多宝塔(附棟札) 鎌倉前期 建久五年(1194)
三間多宝塔、檜皮葺
優美な外観で親しまれている石山寺多宝塔は、現在国宝建造物に指定されている。初重中央の須弥壇上框【しゅみだんうわがまち】の裏側に、建久五年(一一九四)と思われる墨書銘があり、本尊の木造大日如来坐像も平成十年度に重要文化財の指定を受けたところである。
国重文 宝篋印塔 室町前期(1333-1392)
石造宝篋印塔
めかくし石
心経堂
芭蕉庵と月見亭、展望
石積庭園
梅園(3月25日)
大黒堂と大湯屋に下る。
門前あたり、朗澄大徳ゆかりの庭園、4月14日には石楠花が咲いている。
門前の桜と名物鰻丼
参考資料
国指定文化財等データベース
石山寺パンフレット
大津市石山寺1−1−1 真言宗
本尊:木造如意輪観音半跏像(重要文化財)
三十三ケ所観音霊場第13番札所京阪電車石山寺駅で下車。山裾の道を案内通りに山裾の道を約800m歩く。全面は瀬田川が滔々と流れている。
寺の手前に、朗澄律師(ろうちょう)ゆかりの庭園がある。
石山寺の中興朗澄律師が亡くなって青鬼となって仏法を護り、衆生を助けたという故事に因んだ青鬼祭が催される。
寺の山門前に立つ。荘厳で、厳粛な東大門(重要文化財)を仰ぐと身震いを感じる。そしてなぜか緊張が走る。
この大きな東大門をくぐると、歴史の有為転変に関わりなく続く石山寺旧来の景観が現れる。
案内に従って巡る。
東大門
国重要文化財指定
三間一戸、八脚門、入母屋造、本瓦葺 石山寺の正門で瀬田川に面し東面する。
平面は桁行三間、梁間二間で、本柱筋三間の中央間は板扉を吊りその脇間と南・北面は白漆喰壁である。
正面は脇間に仁王像をおく。大棟鬼瓦に慶長5年(1600)とある。
慶長期に大修理を受けているが、建ちが高く屋根が大きい。全体として和様の均整の取れた堂々たる門である。
仁王像
運慶・湛慶の作
東大門をくぐった参道の両側には子院が並ぶ。世の喧騒から隔離された世界である。手入れされた庭が美しい。
定性院
表門は一間薬医門、切妻造、桟瓦葺、18世紀後期 石山寺の本坊として使用中 庫裏・書院が立つ。
拾翠園
表門は一間薬医門、切妻造、桟瓦葺、桁行では二番目に小さく、木柄も小さい。棟札が存在する。
公園堂
表門は一間薬医門、切妻造、桟瓦葺、桁行柱間寸法が境内では一番小さいが、親柱は最も大きく、木柄も大きい。
大国天堂
一間薬医門、切妻造、桟瓦葺、桁行規模では境内第二の規模をもち、親柱も太い薬医門である。17世紀後期の作。
大黒天堂は間口三間、奥行五間、入母屋造、向拝付 境内では最も大きい仏堂である。明治後期の作とされる。
参道の石畳
白く浮き上がった100mほどの格調高い直線路が境内へ導く。まさに清めの“道”である。
丹精こめて育てられた両側の花木が四季を彩り、色香を放つ。
さくらやジャガ、キリシマツツジ、トンネルをなす楓が季節ごとに息詰る景観を呈する。
キリシマツツジは樹齢約200年とされ、全国でも珍しい老木である。
くぐり岩
受付を過ぎると右側に現れる。創建時代からある奇怪な岩山で、暗い洞穴が口を開けている。
洞内には今も純白の岩肌が所々見かけるとされる。
東池坊蜜蔵院
島崎藤村は石山寺の茶丈である蜜蔵院で約2ケ月間身を伏せた。この間に、土地の刀匠堀井来助と出会う。
「石山寺にハムレットを納めるの辞」の文学碑が立っている。
石山寺水車
閼伽井屋
桁行二間 梁間一間 切妻造 妻入 桟瓦葺 19世紀前期の作
本堂のある岩山の下の放生池の際に建つ小規模建物である。内部は大きな岩盤に水が溜まった幽境な井戸である。
正面に格子戸を入れ、その上に複雑な彫刻の紅梁と蟇股を据えて正面を飾っている。
本堂
国宝
石段を登ったところに注連縄が張られた樹齢約350年のスギの巨木がある。その左手が本殿である。
蓮如堂の西の一段高い台地にあり、珪灰岩の岩盤にせり出した懸崖造りの大規模な建物で、南面する。
本堂の創建は奈良時代の石山寺草創時期まで遡る。桁行五丈(15.2m)梁間2丈(6.1m)の建物であった
ものを、天平宝字5〜6年(761〜2)に造東大寺司によって一回り大きい規模の七丈×四丈に改築された。
その後10世紀後半までに前方の崖上に板敷の札堂が建て増しされたが焼失。永長元年(1096)に再々建された。
更に淀殿の寄進で慶長4年(1599)頃に札堂・相の間が改築され、現在の様な構造形式・規模となった。
滋賀県内における現存最古の建築として、仏堂の歴史を辿る上でも貴重なものとされる。
東端二間を「紫式部源氏の間」と呼び、桃山時代の造営である。慶長時代に今あるようにされた。
子育観音
本殿の裏手にある。奇形の岩が立ち並ぶ小道を行く。行く手を拒むような歩き難い小道。
蓮如堂
蓮如上人6歳の御影や遺品(鹿子の小袖)を祀る堂である。
もともとは三十八所神社の札殿または拝殿と呼ばれていた。
本堂の東にあって、珪灰石の岩盤の崖にせりだした懸崖造りの建物である。
毘沙門堂
本堂の東側、珪灰石の岩塊の南に広がる平坦面に、観音堂と並び西面して建つ標準的規模の三間堂の建物である。
棟札・記録からその由来・造営の組織・工匠・更には大坂で加工し、現地で組み立てた造営方式が判明する点で
貴重な建物とされる。
観音堂
毘沙門堂と並んで、西面して建つ建物。中規模の三間堂である。三十三所の観音を安置する堂の記事がある。
観音堂は、近世には札堂と呼ばれており、参拝者が札を奉納するので札堂と呼ぶと記してある。この建物の
木部には多数の針穴があり、そのことを裏付けている。近世の民衆の信仰を集めた建物である。
宝篋印塔
御影堂
県指定文化財
毘沙門堂の北、蓮如堂の西の平坦地に建つ三間堂である。石山寺開創と寺基確立に関わる弘法大師・良弁僧正
淳祐内供の三人の祖師を祀る堂である。もとは法華三昧の道場であった。
硅灰石(けいかいいし)
国天然記念物
花崗岩石灰岩の接觸部に成生する接觸鉱物である。 本鉱物は国内各所に産出するが石山寺境内にあるものは地層面に沿って多数集合し、これが風化し独立した岩塊として露出しており、国内の硅灰石の中では最も規模も大きく、特に有名なものとして天然記念物に指定されている。
三十八所権現社本殿
県指定文化財
本堂のすぐ東にある鎮守社である。珪灰石の岩山の上に立ち、一段降りたところに拝殿である蓮如堂がる。
規模の大きな流造の社殿で、岩盤に合わせて柱や束の長さを変えて、巧妙に建てられている。
随所に彩色、彩色模様の痕跡が残り、全体が華麗に彩色されていたため、木部の保存状況は極めて良好である。
経蔵(きょうぞう)
本堂の北東の一番高いところに立つ。小規模な高床の校倉造りである。16世紀後期の作とされる。
石山寺一切経・校倉聖教が収納されてきた建物である。
宝蔵
本堂の後方に建つ規模の大きな土蔵造りの建物である。壁面・向拝柱・軒全て漆喰で塗りこめ、壁の腰から
下は海鼠壁としている。高い切石の土台の上に立ち、床下に換気口が設けてある。現在も寺宝が収納されている。
ここからの本堂の眺めがいい。
鐘楼
国重要文化財指定
本堂の東方の狭い平地に建ち西面する。平面は下層、上層とも桁行三間、梁間二間の二階建である。
東・西面の中間には扉口、上層扉口以外は連子窓である。腰下には白漆喰尾塗の腰袴をつける。
比較的規模の大きい定型的な腰袴付の鐘楼として貴重な建物である。梵鐘は平安時代のものとされる。
多宝塔
国宝 鎌倉時代初期
本堂の北東、一段高い台地にあって南面する。硅灰石の奇岩の上に聳える姿優美な、最古の多宝塔として知られる。
「四円切手」でおなじみである。四天柱内には大日如来を祀る。
多宝塔は平安時代に密教と共に伝えられた新しい形式の塔で、円形平面の塔に裳階を付けた建築形式である。
この多宝塔は、建築年代が明確な鎌倉時代の遺構として貴重な建物とされる。
円周に沿うて立つ組物と上層屋上の相輪が美しさを際立てている。
石造三重宝篋印塔(紫式部供養塔)・石造宝篋印塔(頼朝供養等)・石造宝塔(めくら石)・芭蕉句碑
国重要武術品。国重要文化財指定である。
月見亭と廊
多宝塔の東、瀬田川を見下ろす高台に構えられており、名の通り東から出る月をめでるための亭である。
後白河天皇以下歴代天皇の玉座とされた。
崖に張り出して建つ懸崖造の建物である。懸崖の部分は板で覆われ、あたかも袴腰付の楼のような外観をもつ。
廊は月見亭に至る参道を覆う建物か、芭蕉庵からの通路となる建物か、
切妻造、柱間はすべて開放、野小屋もない質素な建物である。
全体に簡素ながらも丁寧に作られた、近代和風の質の高さを示す建物押される。
芭蕉庵
月見亭のすぐ傍に立つ平屋建ての茶室である。芭蕉は度々ここに仮住まいして多くの句を残した。
月見亭と同様、崖に面するが、懸崖造ではない。北西に式台玄関があり、東に畳敷きの縁、西に板敷の縁を設けて三室の部屋が一列に並び、東南に軒を葺き下ろして一部屋、合計四室よりなる。
瀬田川遠望
樹木が繁り視界が利かなくなっている。
石積庭園
第一梅園・薫の苑(においのその)
梅林で、国宝「薫の聖教 しょうぎょう」を著述した淳祐内供(しゅんにゅうないく 菅原道真公の孫)ゆかりの地で藤牡丹・白滝などの梅が気高く咲き誇る。(2月)
心経堂
第二梅園〜第三梅園
梅林に重なって桜や山ツツジ、椿などが四季毎に競って咲く。
八大龍王社
見事な敷石の並びが幽境の世界へ導く。
無憂園
琵琶湖をかたちどった池や滝からなる回遊式庭園で、花ショウブが多種多様な花を咲かせる。(6月)
三十三ケ所補陀洛山
本堂を見る最高の場所とされたが、伸びた木々でさえぎられ年々見にくくなる。
西国観音霊場
石山寺の名宝 「湖都大津社寺の名宝」より引用
金銅如来立像
国重要文化財:飛鳥時代
紙本白描釈迦如来像
国重要文化財:鎌倉時代
木造大日如来坐像
国重要文化財:平安時代
木造大日如来坐像
国重要文化財:鎌倉時代
金銅観世音菩薩立像
国重要文化財:奈良時代
金銅観音菩薩立像(木造如意輪観音像胎内仏のうち)
国重要文化財:奈良時代
木造如意綸観音半跏像(本尊)
国重要文化財;平安時代
木造如意綸観音半跏像
国重要文化財:平安時代
木造不動明王坐像
国重要文化財:平安時代
紙本白描不動明王二童子像
国重要文化財:平安時代
不動明王二童子像
国重要文化財:鎌倉時代
木造四天王立像
国重要文化財:平安時代
木造毘沙門天立像
国重要文化財:平安時代
木造兜跋毘沙門天立像
国重要文化財:平安時代
木造吉祥天立像
平安時代
木造金剛力士立像
鎌倉時代
サク造金剛蔵王立像 心木
国重要文化財:奈良時代
絹本著色仏涅槃図
国重要文化財:鎌倉時代
銅鐸
国重要文化財
袈裟襷文銅鐸と呼ばれる。斜格子文は多くなく、渦巻文・鋸歯文など複合したかなり整備された銅鐸である。
石山寺縁起絵巻「古寺巡礼 石山寺より引用」
国重要文化財
石山寺に伝わる絵巻物。絵と詞書きからなる三十三段の絵巻には、奈良時代の聖武天皇・良弁僧正による
草創のことから、平安・鎌倉初期に至るまでの、如意綸観音の功徳が描かれている。
四季の花こよみ
東海道名所図会・近江八景の石山寺とその周囲
石山寺門前 東寺ガ崎
大門の浜をいう。石山寺境内・湖水の間は、昔より殺生を禁じけること、綸旨(りんじ)・院宣 武家の下知状など度々に及ぶ。今に東寺ガ崎はことに漁(すなとり)を禁ず。
石山寺
石山寺の什宝・硯石
源氏の間の霊宝とす。式部が所有の硯にて「源氏」を書けるという。この石はもと石山の石にて、紫色瑪瑙(めのう)のよし。また彫刻を石山形という。全て一面の硯に海二つあり。額に牛・鯉の形を彫りて左右に分かつ。鯉の方は濃し牛の方は淡きなり。
石山蛍狩
石山より勢田の半ばにあり。初夏の頃は、この谷より蛍多く出でて、湖水に浮かぶけしき、この所の奇観なり。
石山秋月・他
石山貝塚
山門前の駐車場になっている所に、縄文時代早期(約7000〜8000年前)の淡水貝塚がある。
昭和15年(1940)に発見された。
セタシジミヤタニシを中心とする貝塚で、淡水産としては最大規模のもの。
ここでは縄文早期の土器や石器類、人骨なども発掘され、考古学研究の貴重な資料となっている。
「石山寺縁起絵巻」には石山寺建立の際に、地中より五尺の銅鐸が出土したことが描かれている。
資料
石山寺の屋根、多宝塔
参考資料≪古寺巡礼石山寺、湖都大津社寺の名宝、大津市史、滋賀県の地理、ほか≫
奇岩怪石の山 —石山寺 王朝文学に謳われし古刹
石山寺は、千二百余年前、聖武天皇の勅願により良弁僧正によって、奈良東大寺とほぼ時を同じく創建された。
京阪電鉄石山寺駅で下車。
滔々と南流する瀬田川の清流を見ながら十分ほど歩くと、右側に大きな拳を振り上げた仁王像が立つ門前に着く。
そこが石山寺だ。
当寺の縁起によれば平安時代、観音信仰が盛んになり、朝廷や公家たちによる石山寺への祈願参詣が大流行し、広く崇敬を集めた。
この石山詣のありさまは王朝文学にも多く記され、紫式部の「源寺物語」との関わりも有名。
その後、源頼朝、足利尊氏、淀君などの庇護を受け繁栄。その後、しだいに庶民の間に信仰が広まった。
観音霊場としての石山寺は、現在も篤い信仰を集め、西国札所十三番として多くの参拝客で賑わう。古風な構えの東大門(国重文)を潜ると石畳の参道となり、白く浮き上がった百メートルほどの直線路が続く。
花崗岩の切石(幅二十五センチメートル)が横八列に整然と並び凛々しく境内へと導く。
両脇には代々の住職が丹精込めて育てたキリシマツツジの古木とトンネルをなすカエデが並び季節毎に息詰まる景観を見せる。参道が終わる手前の右側に奇怪な岩山が横たわる。
創建時代からある天然の潜り岩で、洞内には今も純白な岩肌が所々残っている。
その先右側に勾配の厳しい六十六段の石段が現れる。 やっとの思いで登ったとたん、「石山」の名にふさわしい奇岩怪石が正面に聳える。
これがこの寺の“要”であり、岩のボリュ−ムと奇抜な形状に驚嘆、まさに神の造立と直感する。
太古の昔から石が先に存在し、その神秘への崇拝が信仰となり伽藍の建立に至った。
石山寺のそもそもの始まりはここにあるとも思える。その神秘性は綿々と今に続いている。この岩群は石灰岩と花崗岩が接触変化してできた硅灰石で、地表への露岩は極めて珍しく、天然記念物にも指定されている。
岩の表情は硬くてシャ−プ。色相は黒灰色。過去には眩いばかりの白色に煌いていたのだろう。
砂利を敷き詰めた境内には堂塔が建ち並ぶ。この岩山を軸に右の方へ巡拝すれば、再び元の場所に戻る。
石段を上り下りしながら境内を歩むと袴腰の白さと這う苔の緑がうまく調和した鐘楼(国重文)が鮮やかな姿を現す。
この鐘楼は源頼朝が寄進したもの。また、上層に吊られた鐘も国の重要文化財である。日本の建築史を飾る国宝の多宝塔も源朝が寄進したものといわれ、優美な全容を惜しげもなく現している。
石段下からは岩場の上にフンワリと被さるように坐って見えた。
これは国内最古の多宝塔で、切手にもなったお馴染みの美塔で、やわらかさに溢れている。
山道を下ると茶褐色の荒々しい岩々を乱立させた石積の庭園がある。月見亭は崖上の高台にあって、壁や戸口のない茅葺きの建物である。
眼下には、一筋白く光ってうなりつつ流れる瀬田川が見える。絶景である。その横には芭蕉庵があった。巨岩の上に建つ舞台造りの本堂(国宝)は慶長七年(一六0二年)、淀君の寄進で再興されたといわれる。
逞しい柱と棟木の太さに豪壮さを感じる。岩盤とせめぎあった姿が手に取るようにわかる。
寄せ棟の屋根の勾配が優美で檜皮の焦げ茶がやわらかな艶を見せる。
南の山裾には十年ほど前に敷設された八大龍王参道がある。
巨岩の花崗岩五百個を延長百六十メ−トルの間に敷いた石道で、そのスケ−ルの大きさに圧倒される。
岩も落ち着き、歳月と共に周囲に馴染んでいくのがわかる王朝時代の女性を労わり続けた石山寺は、今後も長い歴史を刻みながら、訪れる人々を大きく包んでいくだろう。インパクトが強い景観を見せる多宝塔と珪灰岩が露頭した眺め
これも八大龍王への参道だが、なかなか造形的にも優れているようだ
《隔月刊誌”庭“No174に掲載したもの》
東大門
Toudaimon
毘沙門堂
観音堂
Kannondou
御影堂
Miedou
宝篋印塔
Houkyouintou
本堂
Hondou
権現社
Gongensha
鐘楼
Shourou
多宝塔
Tahoutou
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