滋賀県近江八幡市 瓢箪山古墳
Hyotanyama kofun,Omihachiman city,Shiga
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Sep.11 2016 瀧山幸伸 source movie
近江八幡市安土町桑実寺宮津安土駅から桑実寺へ向かう同じ道筋にある。桑実寺への上り口を右方向にしばらく行くと目印の小屋と案内板が立っている。
その横の道をたどり、10段あまりの階段を登った所、やや小高い丘陵地がその場所である。何も存在しない。
繖山(きぬがさやま)より北西へ延びる支脈の屋根上、標高役114mの地点にあって、周辺平野部との比高は約25mである。
県下最大の前方後円墳で国指定史跡である。
瓢箪山古墳については、大きな墳墓の模型も含めた資料が安土城考古博物館(既報)に常設展示されている。
瓢箪山古墳は県内最古の前方後円墳の一つとされ、その規模は最大を誇っていて、県内における最有力者の墓とされている。
長大な竪穴式石室を持ち、粘土による棺床と割竹形の木棺、副葬品に鏡、武器、農工具、さらに鋤形石、車輪石、石釧などの石製の腕飾類、武具が加わり、まさに畿内と同じ定形的な前方後円墳である。
後円部に3基、前方部に2基の埋葬主体があり、弥生時代以来の在地豪族的な色彩が色濃く残っている。
前方後円墳が畿内政権による在地豪族掌握の手段として用いられていることを示すとともに、鏡の配付を受けていない一勢力を保持する豪族であったと考えられている。
当古墳の被葬者は従来蒲生・神崎両郡最大の豪族狭狭城山公の祖とされてきた。
しかし雪野山古墳(現八日市)や、中沢・斗西遺跡(とのにしいせき 現竜王町)における前方後円墳の発見から、これら当古墳の両翼に位置する古墳の被葬者こそが狭狭城山君(連合)の祖であり、当古墳はこの両者の谷間にあって、これら在地勢力とは異なる勢力、在地勢力を抑制する勢力を背景とする被葬者であったとも考えられる。
当地はのちの東山道に近接し、地名が宮津であることや北西に江頭の地名が残ることなどから、湖上・陸上における交通の要衝であったことに間違いない。
これらのことから当地に進出した強大勢力とは、畿内大王の王権に直結する勢力と見ることもでき、当地域は畿内王権の屯倉的地域であって狭狭城山君連合の領有する湖東平野での生産物を畿内へ搬出する基地であったと考えられる。(滋賀県の土地より引用)近江八幡市安土町と東近江市能登川町にまたがる大中の湖南遺跡からは縄文・弥生時代の遺物が多数出土し、また安土町の瓢箪山古墳からは古墳時代前期の貴重な遺物、波紋神獣鏡や車輪石などが多く出て、古代から開拓が進み、この地方に高い文化をもつ豪族が存在
していたことを示している参考資料《滋賀県の地理、滋賀県文化財学習シート、滋賀県の歴史散歩、他》
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