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滋賀県近江八幡市 旧伊庭家住宅

Kyu Ibake,Omihachiman city,Shiga

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March 5, 2022 野崎順次 source movie

滋賀県近江八幡市安土町小中191
旧伊庭家住宅


近江八幡市指定有形文化財

大正二年(1912)ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によるチューダ様式の洋風木造住宅で、東側を棟違いとして重厚感を持たせている。外部は屋根が傾斜のきつい切妻造天然スレート葺で、ハーフティンバー様式の梁及び柱等の木部にベンガラを、また壁及び煙突部分に漆喰をそれぞれ施している。内部は一階が和風を基調としており書院等細部に斬新な意匠を施す座敷や仏間他、洋風の暖炉付リビングや階段ホール等がある。二階は洋風を基調としており、暖炉付アトリエや寝室の他和室等がある。また屋根裏部屋を設け、隣接してベランダが付く。この住宅は建築当初、全体が洋風基調であったが、昭和初期に、一階の多くを和風に変更した上、位置を変更した入母屋造瓦葺の玄関を新たに取付け、他に銅板葺の座敷広縁、天然スレート葺のサンルーム風のものを取り付けている。
この建物は、内部は昭和初期の改造が著しいものの外観はヴォーリズ初期の建築としてよく残る上、和風改造後の意匠も洋風部分との調和が優れ、斬新な意匠も数々みられる大変貴重な建物である。
平成二九年十一月 近江八幡市
(現地説明板より)

伊庭 愼吉(いば しんきち 1885-1979)
蒲生郡西宿村(現・近江八幡市西宿町)にて、伊庭貞剛の四男として生まれる。
学生時代、絵画の勉強にフランスに留学、帰国後、八幡商業学校(現・滋賀県立八幡商業高等学校)の美術(絵画)の教師として勤務。
結婚後、沙沙貴神社の神主に就き、大正2年に伊庭邸の完成後に移り住んだ。
その後、昭和6年 (1931) から昭和8年 (1933) までと、昭和16年 (1941) から昭和20年 (1945) まで、2期にわたり安土村長に就任。安土駅の新設誘致に尽力をそそいだ。また、絵画の関係から、画家、歌人、俳人などの芸術家との親交があり、しばしば邸宅が友人のアトリエになっていた。そのため、友人から贈られた手紙、書、絵画などの多くの愛蔵品がある。時のいわゆる風流人あったことを伺い知ることができる。
(パンフレットより)

伊庭 貞剛(いば ていごう 1847-1926)
蒲生郡西宿村に生まれる。司法省司法検事などを歴任した後、住友家に入社、別子銅山煙害問題の解決に心血を注いだ。その後、住友家第二代総理事に就任し、数々の業績を残すも「事業の進歩発展に最も害するものは、青年の過失ではなく、老人の践雇(ばっこ)である」という信念から、57歳で引退、石山(滋賀県大津市)の別荘で余生を送った。
(パンフレットより)

パンフレットと現地説明板

   

建物外観、北面

      

煙突のある西面

  

庭に面した南面

           

円形の池あたり

       

南東から見る。スペースが狭く東側の棟違いの撮影が難しいのが残念。

      

道路を隔てて西面を見る。

    

1階、玄関あたり

        

ジャパニーズルームとゲストルーム

             

元女中部屋、その後、夫婦部屋

        

リビングルーム

            

光の注ぐタイル床の洋室

       

その他

      

お茶室

          

1階から2階への階段

      

2階ホール

      

慎吉のアトリエ

       

その他2階の洋室

      

3階への階段、屋根裏部屋、ベランダ

      

庭園、やや荒れているが、かつてはもっと広く芝生が広がっていたとのこと。庭師は京都の植治の系列らしいがよく分からない。

            


Jan.2011 撮影: 中山辰夫

近江八幡市安土小中193 近江八幡市指定文化財JR安土駅より徒歩8分のところにある。

 

建築:大正2年(1911)、ボ—リズ設計の初期に属する洋風の木造住宅で、2013年に築100年を迎えた。当時としては異色の建築物であった。

    

建築主は、旧住友財閥の二代目総理事伊庭貞剛(いばていごう)で、四男伊庭慎吉が居住した。呼称は、伊庭慎吉アトリエ、伊庭家住宅または伊庭邸などと呼ばれる。

伊庭慎吉は、学生時代に絵画の勉強でフランスに留学、帰国後八幡商業高校の絵の教師として勤務。結婚後に沙沙貴神社神主に就き大正2年のから伊庭邸完成時より居住した。二度安土村長に就任、安土駅の新設誘致に尽力した。伊庭家の住宅として使用された後、1978年に土地建物が安土町の所有となり、建物については老朽化のため取り壊される予定であったがヴォーリズ初期の作品で文化的価値の高いものであることが判明したため、1979年に町指定文化財として保存処置が講じられることになった。

なお、その際の修繕は個人の寄付金で行われた。建築概要

構造:木造2階建(一部屋根裏3階) 屋根:天然石スレート葺きの切妻 妻入桟瓦葺き入母屋造。 建築年:1913(大正2)年

外観

     

建物は、主体部と玄関からなり、主体部の外観はハーフテインバーと呼ばれる化粧梁で細分化された衣装の外壁に、傾斜の強い天然石スレート葺きの切妻屋根を乗せて煙突を備えた、英国中世の伝統的な様式を一部に伝える洋風建築

     

玄関と外廻り

玄関は入母屋造で妻入り、桟瓦葺きの和風玄関である。

     

1階平面図

 

玄関口周辺と1F廊下

廊下の天井は網代で、竹かごを編むような編み方にみえた。

     

1F和室

夫妻の肖像画が置かれていた。絵の関係から芸術家との親交があり、当時の風流人であったことがわかる。

和風を基調としており、畳み敷きの座敷は書院風の造理とし、付け書院やその他、数種類の斬新な意匠が施されている。

         

1F洋間

食堂中央にある石積みの暖炉に注目。暖炉周りには4種類のタイルが使われている。特に床面のモザイクタイルが目を惹く。京都の泰山タイルとも聞く。

上部には植物文様のタイルがある。

      

その他、小丸太、竹、ナグリなど数奇屋の材料を使用し、随所に和風建築の手法が入る。

     

2F平面図

  

2F階段とその周囲の壁模様

優しい感じの階段は親柱も比較的シンプルである。まわりの壁面は刷毛目を走らせてあり、ユニークな仕上がりである。

     

洋間入口の杉戸 取手は他にもユニ〜クなものが多く使われている。

     

アトリエ

     

アトリエにある暖炉 あらあらしい自然石の石張りである。

    

部屋には友人から贈られた手紙や書が展示され、100年を祝うアートも見られた。

    

目に入った照明機器

       

参考資料≪配布プリント、他≫

参考

旧伊庭住宅(住友活機園)—国重要文化財

大津市

伊庭貞剛が居住していた。

    

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