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滋賀県近江八幡市 伊崎寺
Isakiji,Omihachiman city,Shiga

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Feb.7, 2015 中山辰夫

近江八幡市白王町1391 宗派:天台宗 本尊:不動明王 琵琶湖岸に位置する。近江八幡の琵琶湖に突き出たその昔島だった半島の先にある、比叡山延暦寺の支院である。
長命寺と同じ山号「姨倚耶山(いきやさん)」で、長命寺から連なる伊崎山(210m)上に位置している。長命寺や沖島に近い。

比叡山明王堂、葛川明王院と並ぶ天台修験の三大聖地の一つであり、毎年八月一日の千日会に行われる「棹飛び」の行事は有名である。 奈良時代、修験道の開祖・役行者がここを行場にした際に、イノシシが役行者をこの地に導いたことから「猪先(いさき)」という名になったという伝承が残る。
その後、千日回峰の基礎を成した「相応」和尚により、平安時代の初め頃に開かれた。
天台修験の拠点になったのは鎌倉時代以後とされている。
戦後は、千日回峰行を満行した阿闍梨が伊崎寺の住職を務めるようになり、現在は、2008(平成20)年12月から上原行照阿闍梨が常住されている。 参道
駐車場から境内に続く約1kmの参道。20分ほどで本堂に到着する。山を切り開いた参道は整備が行き届いている。
右手は琵琶湖側で、時々湖面が見渡せる。喧騒を離れた境域である。
出迎不動
境内までの参道の中間付近にある巨岩。
通称「出迎不動(でむかえふどう)」と呼ばれている。この地を訪れた役行者が、イノシシに導かれて伊崎を行場とした…という伝承も残っており、岩の上の祠には、役行者(別称:神変大菩薩)が祀られている。
境内へ
書院

訪れた日は、上原阿闍梨が修する天台密教の修法である「弁才天浴酒供」(弁才天の像に酒をかけながら、心願成就を祈る)が行われており、特別随喜(参加し、功徳に与すること)するお許しを頂き、得難い体験をしました。約90分間かけて「伊崎勤行儀 直置きはダメ」150Pを真読しました。
弁才天像にお酒をかける場面は拝めませんでした。 鐘堂
本堂
本堂は何度も焼失・再建を繰り返してきた。現在の本堂は1813(文化15)年に建立されたもの。

本堂内部

現在、本堂に安置されているご本尊は、1716-1736(享保年間)年、8代将軍徳川吉宗が治める江戸期に奉安された不動明王坐像で、2011(平成23)年に仏師・松本明慶師によって修復が完成し、開眼供養が奉修された。
本堂で護摩供を修法するため天井まで火が上がりすぎて火事にならぬよう、「火伏せ」の意味を込めたとされる龍の図像があるとの事であったが、格子天井で確認できなかった。 山門
元々半島は「島」であったが、戦後大中地区が干拓された際に埋め立てられ、1964(昭和39)年陸続きとなった。それ以前は湖から舟でお参りされていたため、境内下に船着場があり、石段を登ってお参りされていた。そのため、伊崎寺の山門は湖を向いて建っている。
山門の扁額には、伊崎寺の山号「姨倚耶山(いきやさん)」が揮毫されています。
この周辺は、昼過ぎから湖上の風が強くなるため、舟でのお参りは午前中に行なわれた。昔の名残が感じられる界隈である。
書院前から見た山門

扁額

船着場〜山門〜書院
伊崎の棹飛び
伊崎寺で毎年8月1日の千日会に行われる棹飛びは、長さ13mの太い竿が琵琶湖に突き出ており、竿の先端から約7メートル下の湖面へ飛び降りる雄壮な行事。
長きにわたって地域の人々から親しまれているのはもちろん、全国的にも知られ、伊崎寺の代名詞ともいえる。
遠景

伝承では1000年近く続いてきたといわれており、文献的にも16世紀にはすでに行われていたとされ、1534(天文3)年、当寺に参詣した佐々木義賢が「サルトビ衆5人」に対して五升の米を奉納した記録がある。
伊崎寺境内図 (引用:近江八幡の歴史)

琵琶湖に突き出た島の先端に位置する伊崎寺を描いた絵図。1791(寛政3年 伊崎寺蔵) 棹が見える。 当日は、まず本堂において、百日回峰行者の出仕による大般若経転読法要が営まれ、それに続いて棹飛びが行われる。
午後はお斎のご接待を挟んで、護摩供が奉修される。
飛び込みは百日回峰を終えたまたはこれから行う予定の僧に限られ、一般の人は参加できない。
またこの日は、沖島の漁師が舟を出し、参拝者の中からくじ引きで30人が乗船させてもらい、湖上からお参りする。
棹飛堂
本尊は後方に横たわる「大岩」である。

当日は、まず本堂において、百日回峰行者の出仕による大般若経転読法要が営まれ、それに続いて棹飛びが行われる。午後はお斎のご接待を挟んで、護摩供が奉修される。
竿飛びは、天台系の修験の行法を伝える行事として、又琵琶湖を霊場とした神聖な行の姿を留める行事として貴重とされる。「南北朝時代に竹生島でも、断崖から琵琶湖に落ちて行く姿が縁起に残っている」 ≪参考≫
一人の行者が棹の先端まで歩き湖に飛び込むというのは、「捨身(しゃしん)の行」、つまり報恩や他者救済のため、自らを犠牲にして仏道を求める修行の姿。
行者は人々のさまざまな願いを背負っている。棹というのはいわば「人生」、行者は多くの願いを背負いながら先まで歩き、自分の身よりも人々の願いのためにわが身を捨ててそこから飛び込み、そしてまた陸に帰る=生まれ変わる。この行は「再生」の意味合いも持っているとされる。
同じような「再生」の考え方は比叡山の回峰行にもある。比叡山の東塔は現在、西塔は過去、横川は未来、そして坂本の日吉大社をお参りして、再び山へ戻る=再生する。そうした行者の「行」としての意味合いも「棹飛び」にはあるとされる。 相応和尚
平安時代前期の天台宗の僧。一般的には相応和尚(そうおうかしょう)と記述されている事が多い。建立大師(こんりゅうだいし)ともいう。
近江国浅井郡の人で、俗姓は櫟井氏。比叡山に無動寺を開創。千日回峰行の祖とされ、数々の霊験譚が伝えられている。 伊崎寺不動尊−不動明王坐像
国重要文化財
相応和尚の作と伝わる。相応和尚は修行のなかで不動明王を感得した際に、葛(かつら)を三つに切って不動明王を造像し、葛川明王院、比叡山無動寺、そして伊崎寺へお祀りしたといわれる。
本像は、像高85.4cm、頭と体幹部をヒノキの一材から掘り出した一木造で、形から腰脇に至る左右の体側部をそれぞれ矧ぎつける。
千日回峰行 延べ30万qにおよぶ距離である。(大沼氏資料)

七年、千日をかけて、約30万kmもの道を歩き続ける行で、途中に九日間の不眠不臥不食不飲の「堂入り」、最後に八日間不眠不臥不食不飲で、十万本の護摩木を焚く「十万枚大護摩供」を修す。これらの超人的な行を満行された行者は、「大阿闍梨」と尊称され、生きた不動明王として、我々を救済する存在となる。
信長の比叡山焼き討ち以降、現在まで四十八人しかおられない。 上原行照(うえはら ぎょうしょう)大阿闍梨
48人目の大阿闍梨。1988(昭和63)年−12年籠山行入行・千日回峰入行 1992(平成4)年−堂入り満行 1994(平成6)年千日回峰行満行
2002(平成14)年−10万枚大護摩供養満行 2008(平成20)年伊崎寺に入る。 なぜ伊崎寺に大阿闍梨がいるのか (引用 大沼氏レポート)
伊崎寺を終えた後は、弁才天浴酒供にあやかって、「弁天」にちなんだお酒と本鴨鍋で仕上げをしました。
滋賀県は鴨が禁猟です。新潟産の本鴨でした。但し、滋賀の湖北では養殖をしており、鴨の味わいは天然同様良好です。




Jan.2011 撮影: 中山辰夫 近江八幡市白玉町 天台宗
本尊:不動明王像 解説:滋賀県教育委員会発行資料
近江八幡市の北、琵琶湖に突き出た小さな半島の先端に建つお寺である。
今は陸続きであるが、昔は湖に浮かぶ島(伊崎島)だったといわれ、湖から来る信者を迎えるため、琵琶湖に面して山門が立っている。
貞観年間(859〜877)開基とされ、比叡山延暦寺の末寺で、修行道場もあった。
その頃行われていた修行の一つが「竿飛び行事」として形を変え、今も残っている。
本尊:不動明王像は国重要文化財である。
参道は自然石や切石の石段が1000段以上不規則に並んでいる。
伊崎の竿を飛び
伊崎寺より少し登ると地蔵尊が見える。その左横の石段を降りてゆくと竿飛堂が現れる。
その下から竿が突き出ている。長さ13m、30cm角材が湖上に突き出て7m下の湖面に飛び込む。今は8月に第一日曜日に行われる。
竿飛びは約1200年前の平安時代頃から仏教修行として伝わり、延暦寺の修行僧が湖上を行き交う船から浄財を募るために竿の先から飛び込んだり、竿の先に付けられた鉄の輪にぶら下がったりしたのが始まりとされる。
今では、伊崎寺で千日会法要の後、住職が竿の根元で安全祈願をしたのに続き、赤フンドシ姿の若者が竿の先まで行って飛び込む。
中には途中で座り込む人もいて、思い思いのフォームで水しぶきを上げて飛び込むたびに、参拝者や観光客から拍手が沸きあがる。


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