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滋賀県近江八幡市 教林坊

Kyorinbo, Omihachiman city,Shiga

 
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 General
 
近郊の観音寺城跡、観音正寺、桑実寺、等を含めて評価
 Nature
 
もみじ 竹林
 Water
 
 Flower
 
さくら つばき 
 Culture
 
 
 Facility
 
 Food
 


Nov.21,2020 瀧山幸伸

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A camera

                                                                                                                                        

 

B camera

                                                                                                                                                           


Jan.2012 中山辰夫

近江八幡市安土町石寺1145宗派:天台宗繖山(きぬがさ山=観音寺山)山麓の石寺集落内に位置する。

   

教林坊は、寺伝によれば聖徳太子が繖山山内に開基した33ケ坊の一つとされ、「寺社分限帳」によると天正13年(1585)に創立

中興され、以来10代に渡って住職が存在したと記されている。天正13年とは本能寺変後の再興期を示していると思われる。

その後、他の子院が無住になって廃坊となる明治以降も唯一存続し、その間一時無住となるものの現在まで山麓で法灯を守り続け

ている

由来

 

なお、観音正寺については、六角氏が観音寺城を整備した時に山上の坊舎を山麓に移し、本能寺の変の後、再び山上に建物を

移したとされている。配置図

 

総門

石寺の集落から山手に細い道路を約200m歩き、観音正寺へ向かう参道と分かれ、少し進むと総門となる。

    

もうこの辺りから盛りのモミジが見える。表門

石積や質素な竹垣で囲まれた参道を進む。

江戸時代後期の建築 棟木が親柱と控柱の中間に通る薬医門

    

聖徳太子作と伝わるお地蔵「しあわせ地蔵」

重さ1トンの自然石に四体のお地蔵さまが刻まれており、一度に四つの願いを叶えると伝えられている。絵馬に願いを書いて

奉納する。

  

書院

江戸時代前期の建築 入母屋造の茅葺屋根に桟瓦葺の庇がめぐっている

    

西側が庭に面して座敷となっており、中央部が式台と寝間、東側が土間になっている。

書院の座敷から庭が鑑賞できる。

   

院内部

    

木造釈迦如来像と聖徳太子孝養像

   

書院の屋根は珍しい合掌造りである。かなり急な階段を上り、屋根裏へ行くと小部屋に大黒さんが祀ってあり、引いた

おみくじが沢山かざしてある。

    

院から見る庭園

    

書院からは庭を特に「掛軸庭園」と呼び、自然を切り取って四季折々の山水掛軸に見立てている。

  

本堂

    

廊下から庭園が見える。

    

庭園

近江八幡市指定名勝

書院に面する庭園は、枯れ滝・鶴・亀など巨石を用いて豪快に表現された桃山様式を代表する池泉鑑賞式庭園である。

書院南面にも室町時代末頃とされる庭園があり、普陀落山を表現した観音浄土の庭となっている。

               

教林文庫

現在早稲田大学が所蔵

昭和27年(1952)に住職辻井徳順師がなくなった後、早稲田大学が購入した。

仏教書を中心に、日記・記録類・説話集・神道関係の資料や縁起類など、江戸から明治にかけての写本・版本類

1200点で構成されている。観音正寺の子院

六角氏は観音寺山に城郭を築くに当って、観音寺をはじめ三十三坊あったその子院を麓の観音谷に下ろした。

教林坊はその観音正寺の子院の一つである。

子院についての確かなことは、天保12年(1841)作成の「寺社分限帳」に観音正寺の子院として、定円坊本乗坊・松林坊・宝泉坊

観泉坊・松寿坊・徳万坊・光林坊・教林坊の10ケ坊が記されている。

現状で、お茶子谷から観音谷にかけての古道景清道沿いには石垣をめぐらせた平坦地が存在する。

白州正子さんが訪問されたのは昭和44年(1969)、前の住職がお亡くなりになった後、奥様が細々と管理されていた

頃の教林坊で、庭以外は荒れ放題になっていたと思われる。白州正子『かくれ里の記』より

ここで私の興味をひいたのは、慶長時代の石庭で、いきなり山へ続く急勾配に作ってあり、よく見ると、それは古墳を

利用してあるのだった・・・

かつては観音正寺の末寺が三十以上もあり、繁栄を極めたというが、現在は教林坊という、ささやかな寺が一つ残って

いるだけである。

山裾のせまい道を、右へゆくと、ほどなくその坊に着く。椿が多い所で、落椿を踏みながら登る石段のあたりは興味深い。

現在の教林坊の姿は、若い住職の熱意に負けた地元、役所の協力で見事にカムバックしたものである。

その悲壮な経緯を、住職が習慣「仏教タイムス」に連載された『荒れ寺復興録』(平成21年6月11日〜8月27日)より読み取る。

文化財を守り、継ぐには大変な覚悟が伴う。傍観者では許されない気がします。

          

観音正寺への参詣路

教林坊の横の小道がつながっている。途中で石寺からの参詣路と出会い一本となる。いわゆる巡礼道の赤坂道である。

登り道は石段が多い。だが小粒の自然石で、ぶつかる所までは約290段を登る。

合流点までを紹介する。

石積みの残る往古の子院跡らしい場所を通り山道に入る。左右は何も見えない。

       

合流点から観音正寺までは石段もきつくなる。30分強かけて歩くことになる。石寺付近地図

当時の教林坊の位置関係がわかる

 

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