JAPAN GEOGRAPHIC 

滋賀県近江八幡市 近江八幡市のヴォーリズ建築

Vories architecture,Omihachiman city,Shiga 

Category
Rating
Comment
 General 
 
 
 Nature
 
 
 Water    
 Flower
 
 
 Culture
 
 
 Facility
 
 Food    


March 19, 2022 野崎順次  source movie


滋賀県近江八幡市
ヴォーリズ建築めぐり


現地案内板
  


とりあえず、タクシーで八幡堀に来た。
           


国登文 白雲館
       


歩く
          


県文 ヴォーリズ記念館
        


次へ
                      


旧八幡郵便局
                                                           


それから
       


アンドリュース記念館
               


旧近江兄弟社地塩寮
        


西へ歩く
                             


池田町洋風住宅街
                                       


もう少し
   


ヴォーリズではないが、その気配がする白亜の八幡小学校校舎。大正時代に田中松三郎氏の設計で建てられた校舎を最近オリジナルの意匠を残しながら改築したとのこと。
                      


Mar.2017 柴田由紀江 

                                                                                               


June 2013 中山辰夫

滋賀県近江八幡市米国人ウイリアム・メレル・ヴォーリズは英語教師として来日した近江八幡を拠点にキリスト教精神にもとづきさまざまな事業を行った。

中でも、近江の地を中心に全国各地に残された、実用に沿いながら意匠に優れ、簡素な中に風格のあるヴォーリズ建築は100年経過した今もなお、現代人を魅了する。  

ヴォーリズはサインを記す際に、○印を描いてその中に点を打ち、自分が世界の中心、即ち近江八幡は世界の中心とした。

自叙伝には「日本はいたる処、どこも美しい。特に近江は一番美しい」と記している。昭和10年の近江兄弟社創業30周年記念に「私は近江八幡が大好きですから、永久に居住したい」と語り、「この世界で私の第二の故郷となった近江八幡から死をもってするも私は離れたくありません」と町民に語っている。

ヴォーリズは今も近江八幡市民、滋賀県民から愛されている。ヴォーリズについて 「引用:配付パンフレット」

 概説 「配布パンフレット」

    年譜 「配付パンフレット」

 近江八幡市内に現存するヴォーリズ建築の所在一覧

1998(平成10)年発行の『「日本人を越えたニホン人」ウイリアム・ヴォーリズ』に記載された資料・近江八幡市商工観光課が作成した資料。

年数も経過し所有者の異動や、改修・解体された物件(—特に個人住宅)も含まれる。

「引用A−1」

 以後の配列は建築年、事業順としたが必ずしもその通りでない。

■■近江八幡へ赴任

1905(明治38)年2月、滋賀県立商業高校に英語教師として赴任した。教師として期待に応えるとともにキリスト教伝道にも励み、10月には全校生3割が加わったバイブルクラスを開き、中学校YMCAを組織化した。体調を崩し、一旦帰国するが再来幡後YMCA会館建設に取り掛かった。

■八幡YMCA会館「現在のアンドリュース記念館」

建築:1907(明治40)年着工 ヴォーリズの設計による最初の建築物「引用A−2」と建築図面「引用B−1」 木造2階建

  

ヴォーリズの私財と米国人アンドリュースからの資金で建設した。1階が集会場、2階がヴォーリズの住居と4人の寄宿生の部屋 1935(昭和10)年改築 「引用B−2」

 

現在はアンドリュース館と称している。

近江八幡市為心町中31

国登録有形文化財

ハーバート・アンドリュースはヴォーリズの大学時代の親友で、ヴォーリズに導かれてキリスト教信者となったが、その後若くして亡くなった。

遺族より贈られた資金をもとに、ヴォーリズ自身も貯蓄の全てを捧げて、又自ら設計し1907年に竣工したヴォ—リズ建築第一号の建築物である。

会館内の書斎と暖炉のある小部屋は「祈りの部屋」と呼ばれ、当時のままの姿が保存されている。

     

「祈りの部屋」

部屋全体にわたって細工が施され、丁寧に維持管理されている。

        

■■近江ミッション(伝道団 後の近江兄弟社)

教職を解雇された後は、教え子吉田悦蔵と等と共に建築活動を始め、近江ミッションを設立するに至る。

八幡YMCA活動として行われていた宣教活動をさらに進める目的で1911(明治44)年6月に近江ミッション「近江基督教伝道団」が設立された。近江ミッションの目的と活動指針は

① 超教派のキリスト教活動で、伝道内容は、健全な身体と精神という衛生思想と生活改善の普及

②ミッションの自立自営のために産業部門(ヴォーリズ合名会社)を置き、建築設計を行う。キリスト教に基づく精神の表現ととらえる

③平等主義−個人の経済的平等を図る。

とした。この近江ミッションの事業活動でもたらされたものが、米国式の建築、とりわけ住宅と洋風生活様式であった。この米国式建築と生活様式を近江八幡に強く印象付けたのが、1913(大正2)年〜3年にかけて建設された池田町の近江ミッション住宅である。

米人からの1000ドルの寄付や吉田悦蔵の母、柳子の資金援助で建設された。池田町5丁目、赤レンガ塀に囲まれた一角に建てられ住宅は、今でいう住宅展示場で、モデルハウスの役を担っていた。

「引用A−3」池田町の洋館住宅 (完成後2〜3年以内に撮影したもの 「引用B−3」 

 

最初が吉田邸、続いてウオーターハウス邸、翌年ヴォーリズ邸、それに2世帯住宅のダブルハウスが竣工した。テニスコートがあって、安土桃山時代以来の城下町・近江八幡の人々にとっては、カルチャーショックであったと思われる。

(引用D−1〜2)

  

■池田町洋風住宅街通り

アメリカの開拓時代を象徴するコロニアルスタイルで、レンガ塀、高い煙突、広々とした庭などの特徴が今も見事に維持管理されて並んでいる。

この通りには独特の雰囲気があり、今では近江八幡市内必見の場所となっている。

    

■吉田邸

近江八幡市池田町

国有形登録文化財

建築:1913(大正2)年 構造:木造2F建、一部3F

ヴォーリズが商業高校英語教師に着任した時の第一の教え子で、その後、ヴォーリズとともに近江ミッションを支えた吉田悦蔵氏の住居。

当時アメリカ村と言われたここ池田町の洋館街は、伝道、医療、教育、産業等、各分野への発信基地となった。

この住宅地で最も早く生活を始めたウオーターハウス夫人や吉田悦蔵氏に嫁いできた清野氏等の活動で、洋風生活の伝授が始まった。大正2年の建築時に近いころの写真 腰折れ屋根のコロニアルスタイルによる建築 「引用B−4」 

 

東側正面 大正14年に玄関廻り改造、昭和5年に増築。主要部は変わっていない。「引用B−5」

 

現況

       

内部写真「引用C−1〜2」 

玄関内部 窓下に腰掛が供えられている。 2F和室内部入口の日本画が描かれた板戸。居間の当時と変わっていない家具、調度品

  

■石橋邸(近江家画政塾校舎)

近江八幡市池田町 

建築:1936(昭和11)年

吉田悦蔵氏の妻、清野夫人が婦人教育のために発足させた近江家政塾として利用されていた。

       

■ウオーターハウス記念館

近江八幡市池田町

建築:1913(大正2)年 3階建 平成21年改修

国登録文化財

ウオーターハウス一家の伝道活動を近江兄弟社の歴史に留めるために、この建物の名称を「ウオーターハウス記念館」とされた。

      

ウオ—ターハウスは早稲田大学の講師として来日した。

ヴォーリズに共鳴し、一時帰国し神学校で学び夫婦で再び日本に戻り近江ミッションに加入した。

鉄道などが整備されていない当時、彼は、贈られた湖畔伝道船(ガララヤ丸)の船長としても活躍し、各地域での布教活動に力を注いだ。

一家はここで約6年間居住した。

      

本年で100年を迎える当館は、アメリカの伝統的な建築様式である「コロニアルスタイル」で建てられており、3階建て11室、暖炉が5か所煙突が2か所備えられている。

■旧近江ミッション・ダブルハウス(武藤、諸川氏邸)

近江八幡市池田町 

建築:1921(大正10)年

大正10年の建築時に近い頃。当初はスレート葺寄棟屋根、南面に2軒それぞれの玄関ポーチが並んでいた。「引用B−6」

 

昭和初期より佐藤邸(東側 現在は武藤邸?)と諸川邸(西側)とされ、今も良好に維持されている「引用B−7」

 

ダブルハウスは、コロニアルスタイルの2世帯住宅。2個の住宅がレンガ積みの壁を挟んで対称形の間取りを有し、各々の玄関ポーチ及び居間を南庭に向けて配置されている。建築当時は、ヴォーリズの両親と建築事務所の技師が入居していた。玄関ポーチとリヴィングルームの広い窓が並んでいる。中央に大きなスレート葺の寄棟屋根には、中央に屋根窓を設けた越し屋根と、赤レンガの煙突が左右対称に設けてある。両邸ともに増築改修がなされているが、当初の主要部をよくとどめている。この住宅はヴォーリズの近代的な生活と設備が具体的に提案されたものとして、日本の近代的住宅遺産として貴重とされる。

諸川邸

      

武藤邸

      

■■医療活動

医療事業は、設計事業とメンソレータームの販売の後に手がけた事業である。

1918(大正7)年、近江ミッションの新しい事業部門として八幡の北郊、北之庄に近江療養院(昭和21年に近江サナトリウム(昭和46年よりヴォーリズ記念病院となる)が開院された。これは米国人ツッカー女史の5000ドルもの寄付が基金になったとされる。

良好な環境のもとでの理想的な結核の療養を目的としたもので、キリスト教主義に基づく慈善的医療が進められた。

近江療養院と建物は位置図「引用B−8」 

 

■ヴォーリズ記念病院 旧本館(近江療養院)

近江八幡市北之庄480−1

建築:1918(大正7)年 構造:木造2階建 中央部3階建

鶴翼山の麓、左は本館、右は新生館(1935昭和10)年「引用A−4」 

中央の3階建ての部分を中心に、両翼に2階建の部分が広がる構造で、採光に注意をはらった大きな窓が特徴となっている。

現在は老朽化のため内部には入れない。

              

■ヴォーリズ記念病院 希望館(五葉分館)

近江八幡市北之庄480−1

建築:1918(大正7)年

記念病院の北西の端、礼拝堂の西側にある木造の建物。建築:1918(大正7)年

 礼拝堂の横よりさらに奥に向かうとある建物。現在は全く使われていないが原型は保たれている。間取りが楓の葉の形をしていることから五葉分館とも呼ばれる。五部屋が南を中心に五方向に向かって張りだす。床は高く、床下は吹き放しで、自然喚起を重視した入院患者にやさしい設計となっている。

      

当時の結核の治療は、清らかな空気の中に身を置き日光浴を行うことを大前提とした。三面に大きな窓を取り、日光を十分に取り入れる工夫がされている。

■新生館「引用A−5」 

建築:1937(昭和12)年 構造:木造2階建

 

かねがね療養院建設を志向していたヴォーリズに建設を急がせたのは、若い仏教徒がキリスト教に改宗し事務所で働いていたが、設計の才能を発揮し始めながらも肺結核で死亡。ヴォーリズを大いに悲しませたこととある。

■ヴォーリズ記念病院礼拝堂

近江八幡市北之庄480−1

国登録有形文化財

建築:1933(昭和33)年 構造:木造平屋建 瓦葺 建築面積97㎡ 石段及び廊下下付

         敷地北西の小高い位置に南面して建つ。切妻造妻入桟瓦葺で、正面に石段、西方に渡廊下を付ける。

玄関ホールの北に小屋組を現す単廊式礼拝堂、東に牧師室、西に控室と便所を配す。半円アーチを開ける白いモルタル壁が木立に映える。 

「引用:文化遺産説明」

    礼拝堂内

   

半円アーチのモチーフの繰り返し、内部は梁や合掌、母屋桁といった構造体をそのまま見せている。

■恒春館

近江八幡市北之庄町

建築1914(昭和3)年

記念病院から山沿いの道をたどると、恒春園に至る。近江兄弟社社員と家族の永眠地。納骨堂である。昭和4年以降、毎年キリスト教による記念祭が行われる。

         

「この世界で私の第二の故郷となった近江八幡から死をもってするも離れたくありません」と近江八幡を愛したヴォーリズもここに眠る。 

■近江療養院は現在「ヴォーリズ記念病院」と名前を変えて総合病院として健在である。「ヴォーリズ老健センター」の運営も開始し、医療活動に対するヴォーリズの志はますます幅を大きくして発展途上にある。

最新の記念病院まわり

      

■■教育活動

近江ミッション(伝道団)による児童教育事業の萌芽は、ヴォーリズの妻となった一柳満喜子が始めたプレイグラウンドと称する私的な幼児教育活動にある。

1922(大正11)年、県の認可を得て、清友園幼稚園を開園。その後ハイド夫人の寄付を得て、「日本国内にあって最も理想に近い幼稚園」を目指し1931(昭和31)年に教育会館が建設された。

その2年後には近江勤労女学校(校長 吉田悦蔵)が開校され、近江兄弟社女学校に引継がれた。そして戦後、幼稚園から高等学校を統合した近江兄弟社学園と発展し、今日に至る。

■ハイド記念館(旧教育会館清友園幼稚園)と教育会館

近江八幡市市井町

国登録有形文化財

建築:1931(昭和6)年 木造2階建

旧幼稚園は平成12年、登録文化財認定を機に、寄贈者アイーダ・E・ハイド夫人を記念シテハイド記念館と称されている。幼稚園移転後は展示館など多目的施設として使われている。ハイド記念館正面側

        

近江兄弟社の教育事業の象徴的な建築物である。切妻造、赤色の桟瓦葺、外装は白いスタッコイ仕上げ、腰は下見板を張る。T字形窓が目立つ。ハイド記念館公園側

     

花壇、動物飼育舎をも備えた幼稚園で、周囲の環境も含め全体が優しい雰囲気に包まれ、80年近い今もその感じが伝わる公園内にある一柳満喜子像とヴォーリズのサイン

   

ヴォーリズはサインを記す際に、○印を描いてその中に点を打ち、自分が世界の中心、即ち近江八幡は世界の中心とした。自叙伝には「日本は至る処、どこも美しい。特に近江は一番美しい」と記している。昭和10年の近江兄弟社創業30周年記念に、「私は近江八幡が大好きですから、永久に居住したいと願っております」「この世界で私の第二の故郷となった近江八幡から死をもってするも私は離れたくありません」と町民に語っている。(重複)

■ 近江兄弟社学園

近江八幡市市井町

もちろん設計はヴォーリズである。

           

幼稚園と一柳満喜子記念館

近江八幡市多賀町

一粒社ヴォーリズ設計事務の設計 学園とも近い距離にある・

   

幼稚園舎

    

■ヴォ−リズ記念館(一柳記念館)

近江八幡市慈恩寺元11

建築:1932(昭和7)年

県有形文化財

建築としては多く特徴がある建物でない。寄宿舎と住宅を兼ね、堅実さの中にある心地よさと安心感、簡素な設備などから夫妻のつつましい生活ぶりがわかる。また、街並みに融和する和と洋の折衷的な建築であるとされる。こうした住宅がいくつも建てられ今も残されている。

    

旧一柳ヴォーリズ家住宅。昭和52年より夫妻が愛蔵した記念品の数々を展示公開する記念館として活用されている。

    

記念館と来幡時に持参した地球儀「引用B−9・10」

  

■近江兄弟社メンターム資料館と工場跡地 発祥の地『創の家 はじめのいえ』

近江兄弟社本社ビルの一部が資料館として公開されている。道路を挟んで公園がつくられ、ヴォーリズ像が建つ。

            

設計事務所の発展と相まって、建築に必要な建築金物や関連商品の輸入を幅広く行うようになった。

輸入会社として設立されたのが近江セールズ株式会社(現・株式会社近江兄弟社)である。家庭保健薬として日本中に普及した「メンソレータム」は米国実業家A.A.ハイド氏(YMCAの強力な支援者)がヴォーリズの働きに共鳴して支援のために提供したものであり、後の近江兄弟社の事業を支える大きな柱となった。現在は「近江兄弟社メンターム」の名称で順調に事業が続けられている。

■近江八幡教会

近江八幡市為心町

アンドリュース記念館と牧師会館は道路を挟んで向かい合っている。

       

■牧師会館(近江兄弟社地塩寮) 築:昭和初期

近江八幡市為心町

建築:昭和初期

嘗ての近江兄弟社の独身青年社員寮で現在は道路向かいの近江八幡教会の牧師館としてつかわれている。

     

近江金田教会

滋賀県近江八幡市鷹飼町1575 

国登録文化財

建築:1948(昭和23) 構造:木造3階建 スレート葺 一階が集会場 礼拝堂 建築面積;95㎡JR琵琶湖線近江八幡駅すぐ近くの「チャペル通り」と称さる通りの傍らに建つ。とても目に入りやすい場所・建物である。

   

ヴォーリズ氏は近江の地にキリスト教を伝えた。以後第二次大戦が終わり、近江八幡の各所に点在したキリスト教の拠点として、また農村伝道を目的とした教会として、近江兄弟社の岡村牧師と八幡近郊の信者の手で、日本基督教団近江金田教会が建設された。

教会外観

  

構造は、赤瓦屋根と真っ白なスタッコ壁が醸し出す雰囲気がやさしさを感じさせる。正面左の塔屋の特徴が全体を引き立てる。

■旧八幡郵便局

近江八幡市仲屋町

建築:1921(大正10)年 構造:木造1F建

既存の町家の前面に増築されたヴォーリズ建築で、我が国でのスパニッシュの初期の作例として注目される大正期のヴォーリズ建築の一つ。

曲線を描く妻壁、軒裏の化粧垂木にスパニッシュ・ミッション式の特色がある。

   

この郵便局者の再生はNPO「一粒の会」の活動で知られ、平成16年に玄関部分が復元された

現在、NPO法人ヴォーリズ建築保存再生運動「一粒の会」事務所として使用されている。

   

設計図他

   

■八幡商業高等学校

近江八幡市宇津呂町

建築:1938(昭和13)年 構造:鉄筋コンクリート造3階建

ヴォーリズが英語の教師として担任した学校(当時は滋賀県立商業高校)。数多くの近江商人を輩出した学校としても知られている。

ヴォーリズが学校を去った30年後、校舎の建替えをする際、その設計担当を望み受け入れられた。1928年本館、講堂、室内体操場が続いた。

     

中央縦に走るブルーのストライブタイルに清新さがあるが、全体的には単純仕上げである。これは単純簡素を旨とするモダニズムへの挑戦とされる

     

現在貼ってあるタイルの一部分は、市民参加で工事がされた。

■市立資料館

近江八幡市新町二丁目22

建築:1953(昭和28)年

昭和28年に改築されたかつての警察署。昭和49年より資料館として利用されている。

    

■■個人邸宅

探すのに一苦労である。新興住宅の住民に尋ねてもほとんどが分からない。レンガ積の門が唯一の目当てである。

時間経過と共に改修や解体が行われ、原形が僅かでも残っていれば良しとすべきである。維持管理に努め、存続されている方々に頭が下がる思いである。

■クラブハリエ日牟館(忠田氏邸)

近江八幡市宮内町

国登録有形文化財

近江八幡市の観光の中心である日牟禮八幡宮に向かって、明神鳥居をくぐり、八幡堀にかかる白雲橋を渡ると境内である。

その境内の両側に、お菓子の「たねや」が経営する日牟禮ヴィレッジがある。

楼門に向かって右側が“日牟禮の舎(やかた)で和風・和菓子の店舗、左側が”クラブハリエで“洋風・洋菓子の店舗となっている。

“クラブハリエ日牟禮”はこの奥にある。この建物は大阪朝日新聞社で活躍した忠田兵蔵が後半生の住まいとして郷里に建てた。

昭和11年(1936)に建てられたもので、平成15年(2003)に改修されたスパニッシュ・スタイルの木造二階建である。

八幡山の麓、緑豊かな環境にあって、和様の融和した設計に趣がある。

        

■村岡氏邸(旧岩瀬邸)

近江八幡市永原町

建築:1933(昭和8)年

街並み保存地区(永原町通り」内に位置するかつての医院。

    

当初、医師岩瀬元治郎博士の住宅及び医院として建てられた。住宅はヴォーリズによる数少ない和風邸宅の作例として貴重とされる。

昭和41年より医師村岡昭典博士の住宅として受け継がれている。

住宅

「引用C−6」

 

■前田氏邸(旧佐藤邸)

近江八幡市土田町

国登録有形文化財

建築:1931(昭和6)年 構造:木造2階建

敷地の手入れは十分でないが、面積は広く、バラ園もある。家の周りは樹木が鬱蒼と茂り、見通しが利きにくい。バラ園から建物に近づいた。

当日(5月31日)は市内で前田家のお別れ会が行われていた。

    ヴォーリズ合名会社に1911(明治44)年に入り、建築デザインに天性の才を発揮し活躍した佐藤久勝が自邸として設計したものである。

完成後、彼は数週間この新居で過ごしただけで昭和7年に急性肺炎のため他界した。その後は親しい同僚の前田重次に受け継がれた。

工夫された趣味の深いデザインが各所に施されているとされる。

    現在は庭木が茂り屋根・煙突・門(国登録有形文化財)などしか写せない。玄関口の赤レンガが印象に残る。

    内部写真−居間 「引用C−3〜4」

  

■浪川氏邸

近江八幡市多賀町

建築:1923(大正12)年 木造2階建

現在も住宅用として使用中の大正時代の木造建築である。赤いレンガを乗せた正面中央部の大きな張り出し窓が特徴である。

       

■広瀬邸

近江八幡市西末町10

現在は日本料理ピストロだもん亭

       

■柿元邸(パミリー氏邸)

近江八幡市土田町

建築:1924(大正13) 構造:木造2F建

土田町を横切る広い道路から、脇道の狭い道路に入った所に目立つ門柱。いかにもヴォーリズらしい。歴史の生き証人である。

日本瓦葺切妻屋根。側面と1階部分は下見板張り、2階の南北壁面はレンガ壁と赤い屋根を持つ大きな建物である。

細部は木が邪魔して見えず。

       

元近江ミッションに参加していたパミリ−女史の住宅。昭和14年頃に建築部員の柿元栄蔵氏が一部増築を加え今日に至る。「引用:C−7」

 

■■ヴォーリズ建築リスト表 「引用:ヴォーリズ建築100年 株式会社 創元社」

     

参考資料(写真・文)

引用写真 

A 日本人を越えたニホン人メレル・ヴォーリズ

B 近江八幡の歴史

C ヴォーリズ建築の百年

D ヴォーリズの住宅

他は近江八幡観光物産協会配付資料、他

All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中