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滋賀県大津市 安養寺

Anyoji,Otsu city,Shiga

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Apr.2011 中山辰夫

立木山安養寺(たちきさんあんようじ)立木観音

大津市南郷5丁目浄土宗

本尊:観音菩薩厄除けの観音様として有名。いつお参りしても老若の参拝者で賑わっている。

弘法大師が厄年42歳の時、光を放つ立木に観音様を彫ったとされる。

新西国三十三ケ所の第二十番札所

境内まで石段を徒歩で約20分。昔は表参道であった山越えの参詣道もある。

瀬田川の流れと県道の横に参詣の石段、700余段が参詣道である。かなり厳しい道程である。

石段道は右に左にと曲折しながら続く。樹木が年々生い茂って視界が利かない。ひたすら登るのみ。

途中にはたくさんの歌碑が立つ。参拝者の観音様への思いが詠われている。

登るたびに読み返すも、年令とともに余裕がなくなる。

かつての表参道である。山越えの道へとつながる。

境内

本堂

本尊立木観音様を本堂正面で礼拝し、次に裏に回って後ろからも拝み続いて石段を登り、厄除けの鐘を撞いてから奥の院へお参りする。

奥の院

接待(茶所)

毎朝、数名の若人が中心になってお茶の準備が始まる。参拝者は、お参りを終えて、暖かいお茶や柚子湯の接待を受け、ホっと一息入れる。

”立木さん”と親しまれ、近畿以遠からの参拝者も多い。又、何十年と参拝を続けている人が圧倒的に多い。

このご夫婦は40余年毎月お参りされている。親から子、子から孫へと何代も参拝を続けている姿が見られる。

立木山安養寺は、平安時代の弘仁6年(815)、空海が瀬田川の早瀬を渡れずにいると、観音の化身である白い鹿が現れ、川を飛び渡って立木山の霊木に導いた。この故事から瀬田川のこの辺りを「鹿跳 ししとび」と称する。

その時空海が42歳の厄年であったため厄除け観音として知られる。

空海が高野山金剛峰寺を開創する前年にあたるといわれ、当寺は「元高野 もとこうや」とも呼ばれる。安養寺の名宝 全て非公開である。 「湖都大津社寺の名宝より引用」

絹本著色仏涅槃図

室町時代

木造大日如来坐像

鎌倉時代

木造四天王立像

平安時代

木造三面大黒天立像

江戸時代

鹿跳渓谷(しかとびけいこく)

瀬田川景勝地の一つ。

鹿跳の名称は、急流のため渡れずにいた空海の前に白い鹿が現れ、背に乗せて岩を飛び渡った伝説からついた。

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