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滋賀県大津市 大津別院

Otsu Betsuin,Otsu City,Shiga

 
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大津市中央2-5-25 大津別院書院 重文 近世以前/住宅 江戸前期 寛文10(1670) 上段八畳(床、棚、附書院付)、十八畳(床、仏壇付)、八畳五室、縁より成る、一重。入母屋造、本瓦葺 19610607

大津市中央2-5-25 大津別院本堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 慶安2(1649) 桁行九間、梁間十間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺 19610607


November,2022 大野木康夫 source movie

早朝の訪問

正面の通りから
     


書院(重要文化財)

寛文10(1670)年の建築
上段八畳(床、棚、附書院付)、十八畳(床、仏壇付)、八畳五室、縁より成る、一重、入母屋造、本瓦葺

本堂の後方に続いています。
向かって右側(北側)はコインパーキング、左側(南側)は月極駐車場なので、その方向から見ることができます。
          


書院と本堂
  


本堂(重要文化財)

慶安2(1649)年の建築
桁行九間、梁間十間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺
                                    


Sep.28.2018 中山辰夫

滋賀県大津市中央2丁目5−25

JR大津駅から徒歩で約10分までの距離にある。真宗大谷派に属する大津の拠点施設である。

後に東本願寺を建てる教如(1558〜1614)が1599(慶長4)年に設立を諮り、関ケ原合戦の年‐1600(慶弔5)年に完成した。

本堂・書院(ともに国重要文化財)は江戸時代の建物で、書院は徳川将軍を迎えるために建てられたともいわれている。

普段は一般公開していないが、別院が開催する「親鸞講座」の日、講話終了後に内部を公開している。

宗派:真宗大谷派 本尊:阿弥陀如来 大津御堂・大津御坊・桜町御棒と呼ばれた、

外観

  

さほど広くない境内、平日は車が駐車しており全景が写せない。本堂の奥に書院が、全体は見渡せない。

山門付近

      

本堂外観

      

本堂 国重要文化財

       

幅約22m、奥行き約24m、高さ約14m、木造入母屋造、向拝一間、本瓦葺

現在の本堂は1649(慶安2)年に再建されたもの。彫刻や平面の構成など江戸時代初期の真宗寺院建築の特徴を備えるとして貴重とされる。

本堂内陣

          

親鸞聖人等身御影

本堂内陣の南余間と北余間(教如上人御影、観如上人御影)

  

教如上人御影、観如上人御影

  

書院までの連絡通路。和室−部分的に損傷の多い部分が見られる。明治天皇巡行時に使用された間であろうか。

       

書院 国重要文化財

   

本堂の西側に接続されている。1670(寛文10)年に再建された。幅約16m、奥行き約13m、高さ約6.5m 一重、入母屋造、本瓦葺

徳川家三代(家康・秀忠・家光」が上洛する際、当時の東本願寺門首「教如上人・宣如上人)とこの地で会見された。

上段の間 八畳の広さ

対面所は二間ある 

  

天井−格天井、円形の草花図

    

違い棚周辺

         

その他

    

主要対面所−十八畳

       

金碧障壁画が囲う

寺地は華階寺(かかいじ)末寺の屋敷を買取った。これには直参門徒の有力商人が当たった。中に徳川家康と繋がりのあった米商扇屋道順(矢島藤五郎」が含まれる。教如も関ヶ原の戦後は家康と密接な関係になっていた。

その後の本堂再建や1662年の大地震で倒壊した書院の再建など、これら有力商人の力が大きくかかわった。。

大津別院の歴史

 

参考資料≪滋賀県の地名、大津別院パンフレット、他≫


Nov.2008 瀧山幸伸 source movie

  

           

    

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