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滋賀県大津市 近松別院

Chikamatsu betsuin,Otsu city,Shiga

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July.2011 中山辰夫

近松別院 「顕証寺」 【含む 大塚のケヤキ・両願寺・等正寺】

大津市札の辻9-26

浄土真宗本願寺派京阪電車上栄駅下車、徒歩3分、大津日赤の近辺。 幼稚園を併設正式には顕証寺であるが、一般には近松別院・近松御坊と呼ばれている。

比叡山による堅田攻めの気配を察知した蓮如は、1469年に堅田から避難し、園城寺・五別所の一つ近松寺(高観音)の寺領を分与してもらい、坊舎を建立、親鸞上人の御像を安置したことに始まると伝えている。このあたりは寺内(じない)と呼ばれ、江戸時代、近松寺を中心に、南・北・東の各町や末寺が取囲むという形の「寺内寺」という形態をとっており、大津代官支配の大津百町とは別に、独自の政治が行われていた。昭和20年(1945)、陸軍の命により取り壊され、現在の建物は昭和56年(1981)に建立された。

 

東海道名所図会

参考資料

蓮如上人と三井寺の出会い ≪三井寺HP≫

犬塚のケヤキ

大津市逢坂二丁目

大津市指定文化財樹高:19m、幹周り:8.3m 樹齢:約540年

京阪電鉄上栄駅下車徒歩1分、 大津赤十字病院の南、住宅密集地の中にある。

石垣に囲まれた塚の中に悠然とそびえる大樹、直径2m弱、高さ8m余りのクネクネした根瘤と、主幹から多数の大枝が天に向って伸びているのは壮観である。

京都・東山大谷の本願寺を比叡山の衆徒に破壊され、追われた連如上人は、近江の国を転々して別所近松に坊舎を建てて腰を落着けた。

1471年、北陸への布教を思い立った時、三井寺円満院の僧が別れの宴を催してくれた。その宴の料理人が連如上人に毒を盛った。

蓮如が口に運ぼうとした時、庭にいた飼い犬がその料理を蹴散らして、血を吐いて死んでしまった。危うく一命を取り留めた上人は犬を手厚く葬り、埋めた塚にケヤキを植えたと伝えられる。

この塚が「犬塚」と呼ばれているもので、本願寺近松別院の飛び地としてケヤキとともに管理されている。

両願寺

大津市三井寺町

長等神社の楼門横にある。

三井寺南別所両願寺と表示しているが今は無住。

堅田の漁師堅田源平の首を安置すると在り、法難に身代わりとなった首だと書いてある。

境内の入り口に在る祠地蔵堂には生花が供えられて地元の人達の信仰を集めているようだ。

等正寺

大津市小関町七丁目

堅田の漁師源兵衛は、浄土真宗中興の祖蓮如が法難を受け三井寺に預けた宗祖親鸞の御真影を取り戻すため、自らの首を差し出した殉教者。

本堅田の光徳寺、小関町の等正寺、三井寺町の両願寺に今も祀られている。同じ人間の首がなぜ3つもあるのかは謎である(両願寺は現在非公開)。

毎年4月に真宗大谷派の僧や門徒が蓮如の御影を携えて、東本願寺から吉崎御坊まで練り歩く「蓮如上人御影道中」の際に一行が立ち寄る。

堅田源右衛門木像

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