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滋賀県大津市 不動寺

Fudoji, Otsu city, Shiga

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大津市田上森町885 不動寺本堂 重文 近世以前/寺院 室町前期 室町前期 桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、檜皮葺 19240415


Sep.12 2016 瀧山幸伸 source movie

                                                                                                                                                                        


Nov.2013 中山辰夫

太神山不動寺(田上不動) その1

大津市田上上森町880 石山駅からバスで田上山の麓まで行く。湖南アルプスの名で若いハイカーに人気のある田上の山岳地帯は、大津市の南東部に位置する。

そう高い山々ではないが、松や雑木が粗く植え込まれた山肌に、露出した花崗岩の巨石があちこちに見える。

険しく立ち並ぶ山の姿がアルプスの風情と似ることから湖南アルプスの名がついた。

その主峰が太神山(599.7m)で、その山頂に太神山不動寺がある。主峰を取り巻くように山々が立ち並ぶ。

所々花崗岩が風化した山肌が見えるが、近年までは荒れ果てたハゲ山であった。「自然と人間の百年戦争」で緑が復元された。

  

太神山不動寺までハイキングをかねて散策する。 登山口バス停を過ぎ、東海自然歩道が太神山登山ルートと同一になる歩道を進む。数台置ける駐車場から歩き始める。天神川沿いの舗装道である。

 

すぐに迎え不動に出会う。

迎え不動 不動明王を祀る

     

その対岸の大きな岩のある谷筋を上ってゆくと700m先に「鎧ダム(堰堤)」がある。明治22年頃より百年を越える砂防事業の記念碑的な存在である。

    

間もなく未舗装の林道となる。東海自然歩道の道標に「太神山・不動寺4.5km」とある。

     

七曲がりから振り返る。峨々たる花崗岩の岩肌が見える。

    

岩肌むき出しの脇を通り進むと不動明王を祀った質素なお堂がある。 ベンチが置いてある。

          

山道がさらに続く。起伏にとんだ、厳しい箇所もある。かつて山々はマッタケの産地として有名であった。シーズンのため全山に進入禁止のロープが張ってある。

         

泣き不動

       

自然石に彫られた不動さん。不動を守るアカマツの大樹。 迎え・泣きの二つの不動さんは太神山の山頂に鎮座する不動寺の厄払いの役を担っている。

八筈岳ガ岳の分岐点である。大雨で崩壊箇所が発生し立ち入り禁止である。二尊門に向かう途中、矢筈ガ岳が見える。

     

二尊門付近

                   

丸太組みの手すりが付いた板道。スギの林立が美しい。

     

ニッセイの大津の森 (日生未来を育む森づくりの現場)

まだ新しい不動寺累代の墓地近辺の一帯である。

日本生命が平成4年から継続的に行っている森づくりでは、全国の“ニッセイの森”に累計130万本を超える植樹を行い、その森”は、43都道府県の186カ所(約433?)に拡がったとされる。平成15年からは、下草刈りなどの育樹活動にも力を入れるようだ。

田上山では、2.53haの土地に平成5年からヒノキ7600本の植樹がおこなわれた。田上の森を復元するため、諸々の団体が植樹活動を継続してきた。

    

残り100mの案内看板に勇気づけられ、やっとの思いで不動寺の境内に入る。この界隈には、奈良に遡る現生の美林が唯一残されている。

     

太神山不動寺 2 田上山山系の主峰太神山山頂には巨大な磐座があり、神体山として原始信仰の対象となっていた。

太神山不動寺は、平安時代初期・859(貞観元年)、園城寺を開いたに智証大師円珍が不動寺を建立し、新たな信仰の山として崇められた。

円珍自作の不動明王が祀られている。

室町時代に再建された本堂は、国の重要文化財。巨岩の上に建つ典型的な舞台造りで、片面が岸壁に寄り添っている。

広い境内には、本堂・倶利伽羅堂・地蔵堂・鐘楼など多くの堂舎が並び、山岳寺院の寺観を今に伝えている。 境内をグルーとひと眺めする。寺務所・地蔵堂・倶利伽羅堂、少し離れて鐘楼が立ち並ぶ。

               

登山道付近には樹齢数百年を経た大樹が聳える。 石段を上る

      

広いスペースである。古くから修験道の道場として、又不動信仰の霊場として近郷近在の信仰を集めてきた。9月22日から28日の間、本尊不動明王の開帳が行われ、各地から集まった山伏衆が採灯大護摩供を奉修する不動寺大会式が修されている。その時に回状となるのであろうか。

1588(天正16年)7月豊臣秀吉の母の病苦平癒のための祈祷が命じられた。 石段の登り口や道端に「梵字 五十丁」と刻まれた丁石が立つが、これは山麓からここまでの距離を示している。登山道の所々に不動明王を表す梵字カーンを付した長石にであう。かつては一丁ごとにあったとおもわれる。

  

鐘楼

広い境内の左側、少し離れた所にある。頑丈な石積の基壇の上に置かれている。

      

いよいよ本堂を目指して歩を進める。急な石段約80段を登りながら上を見上げると典型的な舞台造りの構造物が見え隠れする。

        

本堂

国重要文化財

桁行三間 梁間三間、寄棟造 一重 檜皮葺 本尊の木造不動明王は岩上の厨子内部に安置されている。

建造時期は明確でないが、その様式と、内陣丸柱に1506(永正3年)の墨書銘があることから、南北朝から室町時代までとされる。

後世になって、旧来の本堂の正面に礼堂(らいど)、側面に唐破風の出入口が付けられた。いわゆる新旧の建造物が合体した形態をとっている。

外観

     

意匠

          

案内にある通り、本堂の規模は大きくないが、中世の典型的な様式を有し、柱間の花肘木や化粧隅、須弥壇の厨子等の細部に優れた手法が見える。

特徴的なことは、本堂の内陣の部分が、大岩石が食い込むように接して建てられていることで、床下は一部舞台造(懸造)であること。

付加された礼堂は、それ以上に脚の長い舞台造となっている。

内陣外陣の内部

       

本堂に接した巨岩=太神影向石(ようこういし)

本堂裏の巨石は神の宿る磐座として信仰の対象であった。太神はこの磐座に太神(太陽神)が出現した所から来た名称で、又農耕の神として山の水をつかさどる神、田の神でもあり、田神山(たのかみ)から転じたともいう。

高い山の頂上に山の神が宿り、田植えの季節になると麓にくだって田の神となるという太神山は原始信仰の見本であり、後に太神山は仏教が入って神仏の習合が行われ寺院が建立された。

     

不動寺奥の院

巨岩から約100m進む。岩に囲まれた奥の院の祠を拝む。

     

奥の院の手前の高台が太神山の頂上で三角点がある。

   

胎内めぐり

    

懸造いわゆる舞台造さまざま

                    

禿げ山

主峰太神山を取り巻く堂山(387m)、笹間ケ岳(433m)、八筈ケ岳(562m)、猪脊山(553.3m)などが立ち並ぶ田上山山岳地帯や金勝地区国有林は、花崗岩が風化した山肌が見え、いかにも荒れた禿山といった時代が長く続いた。

   

国が1878(明治11年)から取り掛かった瀬田川水系直轄砂防事業が135年がかりで2013年に完了する見通しに至った。

地味に展開された復元への尽力で現在では緑が覆う山々にほぼ復元された。正に「自然と人間の百年戦争」であった。

 

これについては「オランダ堰堤・鎧堰堤・他」で触れる。


2011.7.31撮影 大野木康夫 source movie
 所在地 滋賀県大津市田上森町

 

太神山不動寺は、湖南アルプスと呼ばれる太神山系の主峰、標高600mの太神山の山頂近くにあります。

平安時代初期に円珍が創建し、天台寺門宗に属しています。

JR石山駅から帝産バスで25分の湖南アルプス登山口停留所で下り、そこから天神側沿いに2時間ほど歩きます。

自動車なら、細い舗装道を迎不動のところまで入っていけば駐車場があり、そこから1時間ほどの登りです。

夏期は、河原で水遊びをする人で賑わっており、舗装道は路上駐車で通りにくいですが。

太神山系は飛鳥時代や奈良時代には、都城や寺社の造営用のヒノキの供給地でしたが、伐採しすぎて山肌が露出し、日本の自然破壊の草分けとなったようです。

花崗岩の巨石が露出し、行場としても使われていたようです。

             

駐車場の登り口から少しの間は舗装道を登ります。

そこから未舗装道に入り、少し行くと天神川を渡ります。

         

川を渡ってしばらく行くと、花崗岩のガレ場を登る道になります。

途中、展望が開ける場所があり、田上や南郷の集落の向こうに京滋バイパスや音羽山系が見えています。

琵琶湖方面は山で眺望が遮られています。

山頂付近は木々が生い茂っていますので、視界が開けているのはこの付近だけです。

            

ガレ場を過ぎ、地道をしばらく登ることになります。

しばらく上ると、泣不動があります。

              

泣不動からまた登り、不動寺の入り口に着きました。

             

入口から、本坊を目指し、また登っていきます。

       

麓の駐車場を12時25分に出発し、少し急いで、本坊入口に着いたのが13時11分、50分弱かかりました。

どうしても歩くのがつらい方は、信楽町のMIHOミュージアムの近くから登る砂利道を自動車で登っていけば、本坊から少し下ったところにある駐車場まで行くことができます。

本坊奥の山頂付近にある本堂を目指します。

本堂への石段付近に、往時を彷彿とさせる大木があります。

                

本堂(重要文化財)

室町時代前期の建築

桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、檜皮葺懸崖造の建物です。

平地が少なく、木が生い茂っているため、全体を撮影することは困難です。

冬季にモミジが落葉すればもう少し見やすくなると思います。

山側の屋根が巨石と接合されているのが珍しいと思います。

                                                    

本堂のすぐ上に、胎内くぐりの岩がありました。

行場らしきものはこの岩しか見当たりませんでした。

       

岩から少し上ると山頂です。

山頂には祠があります。

      

帰るときに、懸崖造の本堂の下に入ってみました。

               

かなり急ぎましたが、参考に、今回の行程を書いておきます。山麓駐車場(12:25)−泣不動(12:56)−不動寺入り口(13:03)−(13:11)本坊入口(13:42)−不動寺入り口(13:47)−泣不動(13:54)−山麓駐車場(14:19)

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