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滋賀県大津市 求法寺

Guhoji,Otsu city,Shiga

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June 2011 中山辰夫

求法寺走井元三大師堂(ぐほうじはしりいがんざんだいしどう)

大津市坂本五丁目

天台宗

日吉馬場を上り、日吉大社の鳥居をくぐる。日吉三橋で有名な大宮橋があって、その手前に建つ。

「走井堂」と親しまれている。

「走井大師縁起」によると、この地は「波止土濃 はしどの」といわれ、釈迦如来が大海原を渡って止まったところという意味からきており、橋殿とか、走井と書く。走井とは美しく清い水の湧出する地という意味である。

天台座主第4世の安恵(あんえ)が里坊をこの地に創建した。

東近江出身の慈恵大師良源が初登山の時、ここで休息し修行の決意をしたところから求法寺の名が起こった。

鎌倉時代になってこの寺に慈恵大師坐像「国重文」を祀った。これが本尊である。

元亀2年(1572)の兵火で焼失し、復興されたが再び消失した。

現在の建物は、正法3年(1713)建築、翌年上棟。棟札に名前の残る大工・次郎左衛門尉は、西教寺本堂建築と同じ系統に属す。

正面三間、側面三間礼堂の背面に正面三間、側面三間の正堂が「凸」字形に接続している。

大層な石垣で囲まれている。後ろは大宮川が流れている。

日吉三橋「国重文」の一つ、走井橋が架かっている。

慈恵大師坐像 国重要文化財

ヒノキ木造彩色、玉眼、」像高:80.5cm

像の底板に黒漆を塗り、それに文永4年(1267)に仏師法橋院農と絵師法橋快円が造立に従った旨の銘が残る。

いかにも鎌倉時代の彫刻らしい精悍な顔つきで大師の姿を表現している。手は胸の前で数珠を持つが、ポーズが自然である。

膝の前や両腕の衣の襞(ひだ)の表現は自然な中にやや賑やかさがある。衣には金色が残る。

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