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滋賀県大津市 八所神社

Hatsushojinja , Otsu city,Shiga

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Oct.2011 中山辰夫

八所神社(はつしょじんじゃ)

大津市北船路

祭神:大己貴命 白山菊理姫命

JR湖西線蓬莱駅下車直ぐである。国道161号線が鳥居の前を走っている。

八所神社(南舟路)の北方に社地を接する。

鳥居にかかる大きな注連縄が目に入る。

鳥居をくぐると正面に拝殿が、その奥に本殿が見える。

織田信長が比叡山を焼き討ちした折り、日吉神社の禰宜祝部行丸が類焼を避けて日吉七社の御神体をこの地に遷し

日吉神社再興までこの地で奉祀したと伝える。

日吉七座と地主神白山菊理姫神一座とを併せて八所神社と称するとしている。

天正6年(1578)の再建とされる。

拝殿

間口二間 奥行二間 入母屋造

拝殿は柱間を桁裄三間、梁間二間とした木割の太い建物である。

中門

本殿

一間社流造 間口一間 奥行一間二尺

本殿は母屋四隅に鉄骨支柱を入れている。

妻飾を紅梁,大瓶束(たいへいづか)、笈形(おいがた)にする昭和初期の一間社流造である。

境内社

神明社 日吉神社 得元社

祝部行丸の墓

八所神社本殿の北側に所在。八所神社境内に享和2年(1802)3月に創立されたという日吉社、得元社、神明社の三社が

あり、得元社は祝部行丸を祀っており、祝部行丸の墓という。

八戸神社(はっしょじんじゃ)

大津市南船路321

祭神:八所大神 住吉大神

JR湖西線蓬莱駅の近く。北船路の八所神社鳥居の左側にある参道を進む。

社殿の西側に、タブイキの優先する立派な林が広がる。林内には胸高周囲4m以上のタボノキ・コジイの巨木が多数生育する。

拝殿が中央に鎮座している

創祀年代不詳であるが、神護景雲2年(768)に良弁(ろうべん 689〜773)によって創建されたと伝える。

良弁は、奈良時代の学僧として名高いが、南船路辺りの出身とする伝承がある。

斎明天皇5年比良行幸の際当社にも臨幸ありと伝えられる。

又良弁僧正と深い関係があり、天平宝字6年(762)社宇を改造し社側に一字一石経塚を建て(此経塚現存す)法楽を修した。

又足利将軍が安産の神として崇め。和邇金蔵坊が郷の産土神と崇敬し社領若干を寄進されたとある。

拝殿

間口二間 奥行二間 入母屋造

銅板葺で、正面と背面中柱は内法長押下(うちのりなげし)で省略する。

本殿

間口一間二尺 奥行一間二尺 一間社流造

昭和50年代の建築であるが、ほぼ規範通りに造られている。

伝良弁納経の石塔

良弁が書いた経文を納めたものと伝えられる。

層塔の残欠で、厚さ6〜7cmの自然石の上に三層の笠を置き、その上に宝珠形の石をのせる。

良弁が一石一字の法華経を納めた塚であると伝える。高さ67cm。

良弁(689〜773)

奈良時代に活躍した僧。石山寺の建立に尽力した。

出自について諸説あるが、良弁は南船路辺りの出身とする伝承があり、また近江国志賀里の百済氏とする説もある。

残された伝承によると、良弁が2歳の頃、大きな鷹が良弁をつかんで飛び去り、行方不明になった。

奈良の春日社で義淵(ぎえん)という僧が鷹につかまった子どもを見つけ自分の弟子とし、「良弁」と名づけ大切に育てた。

その後、良弁は成長して僧正にまでなった。

母親は奈良まで出向き、30数年ぶりに親子の再会がかなった。

良弁の師匠の義淵は、飛鳥の岡寺の創健者と知られる高僧で、弟子に行基や玄昉(げんぼう)などの著名人が多くいる。

良弁は聖武天皇や光明皇后とのつながりも深く、東大寺の初代別当にもなっている。

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