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滋賀県大津市比良 天満宮、樹下神社

Tenmangu,Jugejinja,Otsu city,Shiga

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Oct.2011 中山辰夫

天満宮(てんまんぐう) 樹下神社(じゅげじんじゃ)

大津市志賀北比良 大津市志賀南比良

JR比良駅から徒歩、約800m。湖畔から真直ぐに比良山に続く道は、山麓で天満宮に当たり、その背後には宮山(早坂山)がそびえる。

国道161号線に面して建つ神社で境界もなく、参道が深い森の中へ導く。

参道入口に樹齢300年の大きな神木・スジダイがあり、その左参道が樹下神社、右の鳥居が天満宮である。

境内に入ると二社の社殿がほぼ平行に並び建っている。

両神社が並び建つ経緯は以下による。

比良庄は南比良村と北比良村の二ケ村であるが、この二ケ村は南北朝期に分村し近世初期の村切りで全く別々の村になった。

ところが比良庄の庄鎮守社十禅師社・天満宮はそのまま両村共同の氏神として残った。両神社はそれぞれ十禅師社が南比良村の、天満宮

は北比良村の支配となり、両社の神格は対等でありまた村格も対等であったため両社両村間の対立が激しかった。

天満宮の祭礼は、北比良村が天満宮の御輿、南比良が十禅師社の御輿を担ぎ、神事の執行は、両村の社役が交互で務めていた。

この社役が着用する装束をめぐり、相論が起こり、繰り返し起こり、二つの村が、一つの社を維持してゆくことは困難として、明治5年(1872)

に両社を分離し、それぞれの氏神とすることが定められた。

天満宮

大津市志賀北比良

祭神:菅原道真

右が天満宮の鳥居、左が樹下神社鳥居である。

鳥居の前左右には、天明4年(1784)建立の銘文が入った燈籠が建つ。

樹木が囲む参道を進むと「えま堂」や社務所、牛像に出合う。えま堂には神将形立像が安置されている。

樹木が囲む参道を進むと堂や社務所、牛の石像に出合う。拝殿が並んで建っている。

拝殿

間口二間一尺 奥行二間一尺 入母屋造

中門

本殿

一間社流造 間口五尺 奥行一間 

本殿の建物の規模・構造形式・および建築時期は樹下社と同じである。

境内社

比良神社

宝塔

両本殿の背後にある花崗岩製の宝塔。南北朝から室町初期の作。円仁の徒である湛慶が修法をおこなった折に、慣れ来ていた白鹿の

墓であると伝える。 他に、銘文入りの燈籠も見かける。

神将形立像

比良天満宮縁起

観音堂

天満宮まで約1.5km離れている。一直線の道路が走っている。

比良天満宮の神輿の御旅所と伝える。観音堂の本尊は十一面観世音菩薩である。道路の拡張工事で鳥居が湖辺に移った。

建物は寛政10年(1798)頃の建築で、寄棟造、向拝一間、桟瓦葺で須弥壇に観音像を祀る。

由緒

創立は天暦元年(947)と伝えられ、社伝によると天慶三年(940)に右京に住む多治比文子に「山城国北野右近馬場に

鎮座の地を構えよ」と御託宣があったが、身貧賤にして社を営むことが出来ず、家辺に瑞籬を設けて斎祀した。

ところが同九年(946)に近江国比良宮の禰宜三和良種の子太郎丸に神託あり「前に西ノ京の文子と云う者によって示す

といえども人人信ぜず我居せむ処には松の種を植うべし」と。

良種この為西ノ京の文子を呼び、朝日寺の僧最鎮等と力をあわせて社を営んだ、その夜北野に千株の松が生え、また比良村

にも生えたので帰郷して後当社を創立したとある。

天神の託宣

北の天満宮(京都)は、天神と崇められた菅原道真を祀る神社。その創建には、比良の人々が深く関わっていたようだ。

北野天満宮のHPには、「菅原道真公(菅公)をおまつりした神社の宗祀(最も中心になるものとして尊びまつる)で、親しみを込めて「北野の

天神さま」と呼ばれています。

平安時代中頃の天暦元年(947)に、京都に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが、

当所に神殿を建て、菅公をおまつりしたのが始まりとされます」と案内されている。 

菅原道真は、宇多(天皇(在位887〜897)や醍醐天皇の信任を得て、右大臣の要職までのぼった。延喜元年(901)、道真は左大臣藤原時平

の讒言(ざんげん)によって九州の太宰府に左遷され、同三年にその地で失意のうちに没した。

その後、都では不吉なことが続き、人々は憤死した道真が御霊(怨霊)となって災いを引起していると考えた。その後も、内裏での落雷をはじめ

多くの変事が繰り返されたため、「菅公御霊」「雷公」などとして、災異の原因は道真に結びつけられた。しかし、やがて天神として神社に祀られ

ていくことで、福利を与える善神に姿を替えることになった。それは自然な神格の変化ではなく、天神の託宣ということに仮託した政治的な背景が

あるようである。

天神は人間に乗り移ることで数多くの託宣を述べたという。そのなかで、京都北野の地にまつられることを望む趣旨のものが二例伝えられている。

ひとつには、天慶5年(942)7月に、洛中右京に住んでいた多治比奇子(たじひのあやこ)という巫女を通じた託宣である。奇子は、北野に祀る

力が無いので、自宅に小祠をつくったという。

もう一つは、天暦元年(947)近江国比良宮の禰宜(ねぎ 神官)神良種(みわのよしたね)の子で、7歳の太郎丸をつうじて天神の託宣があった。

比良宮の特定は難しいが白鬚神社とされている。江戸時代の「近江国興地志略」では、北比良村の天満神社は北野天満宮が創建される以前

からあつたと記され、紙良種は比良(北比良村・南比良村)の人であり、北野天神宮託宣にまつわる神社としている。

この託宣の内容は、天神はすでに比良宮に祀られているが、さらに天神像をつくらせたい。天神は悪人に対しては災難をもたらすが、不慮の不運

に見舞われた人には救いを与える。京都北野に移りたい。道真生前は、朝廷への勤めを優先し、天台への寄付を怠ったが、これが気がかりなので

改めて法華三昧堂を建ててもらいたい。

樹下神社

大津市志賀南比良98

祭神:鴨玉依姫命

神木・スジダイの左側にある参道を進む。すぐに鳥居がでてくる。天満社とずらして建立されている。

境内

鳥居をくぐると境内の全体が見えてくる。天満社の社殿と並立である。

拝殿

間口二間一尺 奥行二間一尺 入母屋造

中門

本殿

一間社流造 間口五尺 奥行一間一尺

本殿は腰組三手先、飾金具を多用し、文化元年(1804)頃建築されたとされ。紅梁絵様などの細部意匠からも妥当である。

境内社

妙義神社

由緒

創祀年代不詳であるが、社伝に開化天皇歳次四十二年比良大峰に降臨霊跡を垂れ山上に社を建てこれを祀った、とあり。

又一説に文徳天皇仁寿二年(852)創立とも、比良大明神の招請により山王十禅師を勧請したとも伝えられる。

これを按ずるに住古は比良神を産土神と祀っていたが、平安前期に延暦寺の勢力により日吉山王の神を祀ったものと考えられる。

古記に村上天皇天暦元年(947)に当社称宣三和良種の一子太郎丸に神託があって、山城国北野の地と当社境内に天神を祀ると

あり。

境内に天満神社がある。元和八年(1622)比良村が南北に別れ、明治五年樹下神社(十禅師)を南比良村、天満神社を北比良村

の氏神と定め境内を両分した。

尚元亀の変の時比良山檀陀坊と共に当社も焼亡したが、この兵乱を予知して神宝、古文書等を蒲生郡八幡山丹羽氏保蔵主家に

預けた。

のち延宝八年(1680)其裔孫七郎兵衛長辰よりその一部が返送され、神社の宝物となっている。この返進目録も現存している。

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