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滋賀県大津市 伊豆神社

Izujinja,Otsu city,Shiga

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Aug.2011 中山辰夫

大津市本堅田一丁目

祭神:大山咋命(おおやまずみのみこと)

浮御堂から北に100mほど向うと左手にあって、琵琶湖と直結している堀で四方をかこまれた神社である。

本堅田一丁目にある。祭神は大山祇命(おおやまずみのみこと)。中世、琵琶湖の水運に絶大な特権をもっていた堅田の総鎮守。

当社は寛平4年(892)、延暦寺の僧・尊意が三嶋神社の伊豆大権現を移して祀ったことに由来。

なお古くは京都賀茂社の分霊を祀る神田神社と伊豆神社の二社からなっていた。

兵火で被災した跡、三嶋神社を祀る伊豆神社のみを再建した。

室町時代には堅田大宮として堅田郷全域の総鎮守となり広く信仰された。

又、室町時代から宮座と呼ばれる自治組織があり殿原衆と全人衆の会議制で運営された。

拝殿、本殿のほかに、中門 神庫 神饌所 絵馬殿 手水舎 社務所がある。

境内社は樹下神社 天満神社 (境外) 都久生須麻神社である。

拝殿

入母屋造 間口二間三尺 奥行二間三尺

中門

本殿

一間社流造 間口一間一尺 奥行一間

由緒

当社は古来、伊豆神社と神田神社の両社殿よりなっていた。伊豆神社の草創は寛平4年(892)、比叡山門法性坊尊意僧正による

伊豆大権現の勧請に始まると伝承されている。

また神田神社は京都賀茂御祖神社の分霊玉依姫命を勧請したもので、これは堅田が賀茂社の御厨(神領)であったことに由来している。

当社の神紋の二葉葵は賀茂社のそれと同じである。

このように二神を祀った当社は堅田大宮と奉称され、湖上特権をもって繁栄し堅田全域の総鎮守として尊崇されてきた。

また当社には室町時代より宮座がある。

永禄12年(1569 石山合戦の前年)に至って兵火に罹り、天正年間に伊豆神社のみ再建されたものである。

11世紀後半には、御厨(みくり)となっており、寛治4年(1090)には、堅田御厨網人が下鴨神社に御膳料の鮮魚を進上している。

下鴨神社御厨の伝統を伝える例年5月14日の葵祭前儀・鮒奉献「献饌供御人行列 けんせんくごにんぎょうれつ」は神田神社を出立地

とし、伊豆神社を経て下鴨神社へ神饌のコイと鮒鮨(ふなずし)を献上する。

神田神社は伊豆神社の祭礼の御旅所であったとする説もある。

当社は別に居初社(いそめしゃ)と呼ばれ、堅田の根本住人で殿原衆の居初氏の氏神的存在であった。居初氏の姓は刀禰・小月姓と共に

下鴨社から与えられたものという。

これら三姓の殿原衆はそれぞれ党を結成し、堅田に君臨したが、当社の祭祀組織である宮の切・東の切と本村・神主村・大村・新村と

いう宮座のうち、本村は居初党、大村は刀禰党、神主村は小月党が構成していた。

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