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滋賀県大津市 覚性律庵

Kakushoritsuan,Otsu city,Shiga

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Apr.28,2017 中山辰夫

大津市仰木36−20

何の予備情報もなく初めて訪れた。深い山中に、深閑とした雰囲気とマッチングした多くの堂舎が見られた。

覚性律庵の歴史経過を案内板から知り、安楽律院(大津市)と歴史的背景を同じくしていることがわかり益々興味が湧いた。

享保元年の1716年に得善近佳が小庵を営んだのが始まりで、以後衰退、廃寺同然となり、昭和に入っても無住期間が長く続き荒廃していたが、1976(昭和51)年、千日回峰行を遂げられた澄道大阿闍梨が再興され、現在の姿になったこと深い感銘を受けた。堂舎の多くは三井家別荘から移築されたものである。

仰木の小椋神社の鳥居の右手、川沿いの道を10分強進むと「第9番西国愛染明王霊場の「覚性律庵」の案内と上り石段に出合う。

    

約100段の石段をのぼると山肌に沿って階段状に連なる堂舎が見えだす

案内板

 

多くの堂舎は三井家の別邸「城山荘」から移築されたもの。

≪参考≫

三井家別荘『城山荘』 (引用 三井家広報HPより抜粋)

神奈川県大磯にあった別邸「城山荘」は、三井総領家第10代当主・三井高棟(たかみね)がその情熱を注ぎ、独自の構想力と陣頭指揮により建設した三井家のシンボルであった。

1934(昭和9)年に完成し、1942(昭和17)年に一通りの建築工事が終了。高棟の想いによって全国の高名な28の社寺の古材が使用されたため、荘厳でいて重厚感溢れる唯一無二の建築物となった。建築家久米権九郎設計の木造建築 1970(昭和45)年に解体された。

玄関は葛井寺柱に浅草寺古材を加えた柱を配し、高宮寺扉を使用したエントランスが大勢の客人を出迎えた。その他、広間天井中央には旧三井銀行の3階大広間にあったシャンデリアを使用。丹精、工夫、そして遊び心がふんだんに織り込まれた内装は、実に巧妙で奥深い。

高棟は、完成した造営物を眺めたり城山荘の自然を観賞しながら、この場所でのどかな散策を楽しんでいたようだ。

旧名−先心寮と大黒殿

      

先心寮の古材は島根県万福寺(雪舟寺)本堂の向拝、浅草寺本堂内厨子格天井、正面窓格子も浅草寺大賽銭箱の蓋、万福寺羽目板、薬師寺光珠欄間、瓦は菅原寺のものを使用している。

かなりの数の石段を上った先にある−庫裏

      

水かけ不動

    

本堂 (旧名−大雄殿)

        

三井家別荘は薬師寺にあった旧摩利支天堂を移築したもので、昭和45年に解体された後に覚性律庵に移築再建された。

額は菅原寺の門扉古材額縁に瓦面戸を用いた簡素なもの、阿弥陀如来像を安置している。

愛染堂 (旧名−法雲堂)

          

別荘の「スイセンひろば」周辺の建物の中では最も遅く完成した。その頃は、あずまやがその上に設置され江ノ島、三浦半島を眺望する初日の出スポットとして親しまれていたといわれる。

不動堂

    

不動堂の奥にある石に刻まれた不動明王とその眷属の像

         

妙見堂

          

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