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滋賀県大津市木戸 安養寺

Kido Anyoji, Otsu city,Shiga

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Oct.2011 中山辰夫

大津市木戸

浄土宗

元亀3年(1572)に織田信長の兵火によって罹災した後に、天正9年(1581)に幻誉が中興した。

領主佐野氏の菩提寺であって、永禄、元亀のころまでは野離子川の辺りにあったという。

現在の本堂は、寛政6年(1794)の再建であり、境内には領主佐野十乗坊栄有の墓がある。

本堂・他

本堂は寛政6年(1794)の再建で、近年屋根が桟瓦葺から本瓦葺に変更された。

平面は左右対称で、外陣が脇陣の側面一間間で入り込む。

阿弥陀如来像

像高97.2cmの阿弥陀如来立像 13世紀半ば過ぎの制作

幹部は両耳後ろを通って像底へ抜ける線で前後に矧いでいる。本像は両足首以下を割り矧いでおり、また内矧のある三尺立像としては

やや重いことから、像内に納入品のあることも考えられる。(胎内にあった納入品については後述)

銅造の阿弥陀三尊像

ただし中尊は近世の補作で、両脇侍像のみ古い。

右脇侍が火を受けてゆがみをきたしていることから、おそらく火災で中尊が焼失したものであろ。

左脇侍は如来立像を、右脇侍は水瓶(すいびょう)を正面にあらわした宝冠をかぶり、それぞれ観音・勢至菩薩であることを示している。

阿弥陀如来像の胎内から人の歯と髪(2009・10)

大津・安養寺 鎌倉期の本尊

大津市歴史博物館は6日、同市木戸の安養寺の本尊・木造阿弥陀(あみだ)如来立像の胎内から、

鎌倉時代に納めたとみられる人間の歯と髪の束が見つかったと発表した。

歯と髪の納入品が確認された仏像は全国的にも少ないという。歯などを入れるのは極楽往生を願ったり、

仏像が生身に近づくという思想があり、博物館は「特殊な阿弥陀信仰の一端がうかがえ、貴重だ」としている。

納入品は腕の骨とみられる炭化した物体と歯7本、輪状、棒状に束ねた髪の3点。

いずれも奉書に包まれ、一つにまとめられていた。輪状の髪の奉書の表面には「源氏女(げんじのむすめ)」と記されていた。

安養寺の本山とされていた増上寺(東京都)には、

江戸期に同仏像から「安養尼」と書いた紙と白骨、剃毛が見つかった、と記す古文書がある。

記述の真贋を確かめようと安養寺が調査を依頼し、博物館が6月にエックス線撮影で納入品を確認した。

後の修復時に足を取り外したところ、漆箔(しっぱく)された胎内から見つかった。

博物館によると、出自が源氏である女性を示す「源氏女」という書き方は鎌倉期ごろに特有という。

本尊は鎌倉期の作で大きな修復跡がないため、納入品を像の制作時から入れていたとみられる。

一方、安養尼は平安中期の天台宗の高僧、恵心僧都源信の姉か妹とされ、納入品が安養尼の遺品である可能性は低いとされる。

独尊の阿弥陀如来来迎図

阿弥陀如来来迎図には大きく分けて、阿弥陀が多くの菩薩を従える聖衆来迎図と、独尊ないし阿弥陀・観音・勢至の三尊のみを描く形式が

あり、また構図の上からは、正面向きのものと斜め向きの構図とがある。

本図のような阿弥陀独尊の正面向き構図の来迎図は、鎌倉時代になってあらわれた。

阿弥陀如来像の頭部には実際の人間の毛髪を植えている。本図の制作を志した願主に縁の人物のものと思われ、あるいは故人の追善供養

に描かれたものかもしれない。

仏涅槃図 

江戸時代 紙本著色 197 × 198.5

寛文12年(1672) 狩野宗信の作

資料 滋賀県教育委員会発行

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