滋賀県大津市 衣川廃寺跡
Kinugawahaiji ato,Otsu city,Shiga
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Aug.2011 中山辰夫
大津市堅田衣川二丁目
国指定史跡
天神川南岸に広がる低丘陵の先端部に営稀他飛鳥時代末期頃創建の寺院跡。大正12年(1923)工若鉄道敷設工事中に
瓦が出土、初めて遺跡の存在が明らかになった。
昭和46年(1971)JR湖西線建設工事に先立って行われた発掘調査で、飛鳥から白鳳時代にかけての瓦が多量に出土、遺構は
未検出に終わったが、寺院の存在が確実となった。
昭和50年(1975)に昭和46年調査地区の一帯の詳細調査が行われ、初めて寺院関係の遺構が確認され、特殊な伽藍配置の
寺院と分かった。
これまでの調査で、金堂跡とその東南に塔跡が検出されている。また、主要迦濫の西南部の斜面に瓦窯跡も一基調査されている。
現在は整備されて公園になっている。
衣川廃寺実測図
塔跡
一辺約14m、高さ約1・25mの基壇が検出されたが、礎石はすべて抜き取られていた。基壇中心部に直径約1.5m,深さ約40cmの
掘削が検出され、これが心礎の抜き取り穴とみられる。塔壇も外装の化粧石は見出されていない。
瓦敷跡
金堂跡
東西18m、南北15mの版築された基壇が検出され、その上に礎石を据えるための根石が三箇所で確認されたことから、東西五間
南北四間の建物が想定されている。基壇外装の化粧石は検出されていないが、後世に抜き去られたものと思われる。
瓦窯跡
塔跡の西南約20mの斜面に作られた登窯で、地山を掘りぬいて作ったものである。
全長7m、幅1.0mで、これに高さ3.0mの煙道が付く。焚き口は高さ40cm、幅70cmで、石で構築されている。
この寺院に用いるかわらを焼成したものである。
龍瑞寺跡
展示施設
展示パネルⅠ
パネルⅡ
出土品
出土品案内
軒丸瓦は大きく見て4種類蟻、飛鳥時代末頃のものと白鳳時代のものである。
軒平瓦は白鳳時代の重弧文一種がある。
資料 滋賀県教育委員会発行
衣川廃寺は近江の古代寺院の中で最古期のものの一つで、7世紀末には廃絶となった短命な寺院であった。
建物が二棟と少なく、特殊な配置を示すことから、その性格は不明のままであるが、この付近一帯の字名を西羅(にしら)と
いい、羅のつく地名が近江に多く、いずれも朝鮮半島とのかかわりが語られていることから、渡来系氏族かそれと関係のある
氏族の寺院とする説がある。
西羅古墳群(にしらこふんぐん)
大津市衣川町二丁目
大津市指定史跡
衣川廃寺の直ぐ近く、北西方向にあたる丘陵上に築造された古墳群で、二基の古墳からなる。
山全体が樹木で覆われており不明。
1号墳は全長46m、高さ7m、前方部が極端に短い、いわゆる帆立貝式の前方後円墳で、前方部を琵琶湖に向けて置く。
この形態の古墳は県内では数が少なく木の岡本塚古墳が知られるだけで特異である。
2号墳は1号墳の南東約90mの地点にあり、一辺約30mの方墳であったが消滅。現在は元の場所に復元されている。
いずれも5世紀松から6世紀前半頃の古墳とされる。
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