滋賀県大津市 桐畑家
Kirihatake,Otsu city,Shiga
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July. 2011 中山辰夫
大津市内
膳所に城が置かれた後、大津は商業都市に変わり、大津の町割が100町にもなった。宿場町、港町、門前町の性格を複合した多様な町の姿を合わせ持った町として大発展を遂げた。
その後も大津の町は復興と発展を続け、元禄年間(1688〜1704)には約1万9千人の大都市へ成長を遂げた。
従って、町並みはギッシリ詰まった感じである。
街中の、「うなぎの寝床」と呼ばれる大津の町屋は、宅地の間口が狭く、奥行きが長い。間口の大きさで、幕府からの賦課金や会所の負担金の分担を決めていたことにもよる。
建物は間口一杯に建てられて隣家と側面を接し、通りとは直接面する造りである。
通りに面した町屋の外観は昭和初期から大いに変わっていった。が、今も多くの民家が昔に近い姿を留めている。
その代表が登録文化財に登録されている。
いわゆる「大津百町」内に点在している建築物である。が、ほとんどが住居のため内部非公開。そのため外観のみの報告である。
桐畑家
大津市中央1-410(旧町目:橋本町)
通りに面して建てられた木造の2階建の主屋と、江戸末期の平屋建の離れ及び、正徳6年(1715)棟札が発見された奥にある米蔵3棟が登録文化財である。
30mは十分にある奥行き 隣の石田家とはぴったり接している。
主屋
間口7.3mの木造2階建、切妻造桟瓦葺で正面に庇を付ける。西側をトオリニワとする一列四室の町家で、2階通り側には釣トコを備える座敷を配する。
1階に出格子を構え、2階は出桁造の軒に半間毎に大斗肘木を飾る特徴的な外観とする。
土蔵
離れの南奥、敷地南端に建つ。北面して建つ土蔵造2階建、切妻造本瓦葺。
桁行6.4m梁間6.0mで北西隅は軒先を含め角を欠く。北面に庇を掛け、出入口を穿つ。
外壁は白漆喰仕上げで、高く竪板を張る。内部は土壁で土間床とする。江戸中期に遡る土蔵の一例。
離れ
中庭を挟み、主屋の南奥に位置する。東西棟の切妻造桟瓦葺で、中庭東に太鼓橋風の縁を架けて主屋に通じる。
桁行5.3m梁間6.7mの木造平屋建で、南北に2室を配し、東寄りに廊下、中庭側に縁を付設する。
主屋、中庭、離れからなる町家構成を残す。
参考資料《大津百町物語、国文化財データーベース》
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