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滋賀県大津市 光徳寺

Koutokuji,Otsu city,Shiga

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Aug.2011 中山辰夫

大津市本堅田1−22−20

真宗大谷派

本尊:阿弥陀如来

本福寺の門前の道を東に向かい、突き当りを折れると、其角邸跡の説明版がある。そこを少し進むと光徳寺である。

もと天台宗であったが、延元元年(1336)に浄土真宗に転宗した。

五代目裕誓の時に蓮如上人から賜った「六字の名号」や借金の証文「拾八銅の御消息」、恵心僧都筆「山越阿弥陀如来画像」などの寺宝がある。

山門

「堅田源兵衛の首」で知られ、本堂前には「堅田源兵衛父子殉教之像」がある。

境内には源兵衛「法名釈了喜」の墓がある。

本堂

もと天台宗であったためか、堂々とした佇まいの本堂である。

手挟や木鼻の彫刻がいい

このお寺で有名なのは「堅田源兵衛の首」の物語である。

寛正の法難(1465)のおりに、宗祖親鸞聖人の御真影を園城寺に預け、越前に逃れた我、その後文明12年(1480)山科に本願寺を

建立するにおよび、蓮如が園城寺に赴いたところ、人間の生首を2つ出せば御影を返すという難題を持ち出された。これを聞いた堅田の

漁師源兵衛は、自らの首を差し出すよう父源右兵衛を説得し、切らせて差し出したという漁師親子の殉教物語がのこる。

本堂には源兵衛の頭蓋骨が残されている。

なお、毎年4月に真宗大谷派の僧や門徒が蓮如の御影を携えて、東本願寺から吉崎御坊までを練り歩く「蓮如上人御影道中」の際に

一行が立ち寄る大津市小関町の等正寺(とうしょうじ)、そして三井寺町の両願寺(りょうがんじ)のも「源兵衛の首」が安置されている。

本堂内部の梁に刻まれた蟇股が種類も多く丁寧な造りである。

宝井其角寓居跡

榎本(のちの宝井)其角は松尾芭蕉の高弟で、蕉門十哲の一人である。寛文元年(1661)、堅田出身の膳所藩江戸詰医師の長男に生まれる。

ここは榎本(宝井)其角の父、竹下東順の誕生地である。東順は江戸に出て、其角も江戸で生まれたが、地元では其角邸跡と称されている。

14才で芭蕉に入門、19才で其角を名乗る。

26才で宗匠立机(しゅうしょうりっき)、やがて「洒落風俳諧」という独自の俳風を確立。

貞享元年(1684)に、本福寺明式に出向く。明式の芭蕉への入門は、其角のすすめによるとされる。

俳人のみならず江戸庶民の心も捉え、絶頂期には芭蕉をしのぐ人気を得た。

晩年は不幸が重なり心痛から宝永4年(1707)47才で世を去った。

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