滋賀県大津市 旧南郷洗堰
Kyu Nango Araizeki,Otsu city,Shiga
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Apr.2011 中山辰夫
大津市大日山四丁目
土木学会選奨土木遺産
琵琶湖には周囲から数多くの川が流れ込み、その数は一級河川だけで119本とされる。
その琵琶湖の唯一の流出河川である瀬田川に設けられた南郷洗堰。近畿千四百万余人に飲料水を供給する生命線の働きを担っている。
(手前が新洗堰、その先右側が旧洗堰 引用)
現在、南郷洗堰(旧洗堰)は瀬田川洗堰(新洗堰)にその大役をバトンタッチし、遺構を残すのみである。
明治29年(1896)起こった琵琶湖大洪水が契機に、琵琶湖の水位調整の必要性が認識され、洗堰建設に繋がった。
旧洗堰の完成は琵琶湖の洪水を防ぐ手段となったこと、及び琵琶湖を利水のために活用する幕開けであった。
明治末期に日本人技術者によって建設された洗堰は、治水の記念碑的な存在である。
築後100余年が経過して、役目を終えた洗堰は、左岸に堰柱7本、右岸に2本と護岸が土木遺産として保存された。
旧洗堰は淀川河川事業の要として造られた戦前最大の煉瓦可動堰
明治35年(1902)から3年の歳月をかけて築造された洗堰は、総長172.71mのレンガ造りの堂々たる姿で、長さ14尺(4.7m)×8寸角(24cm)の角材を人力で落とし、15〜17段(平常時)積み重ねて川の流れを調整する角落(かくおと)し堰であった。角材の重さは100kg以上あった。
使用された角材はヒノキで、職員の月給が420円に対し8000円だったとされる。
「旧南郷洗堰」資料 滋賀県教育委員会発行
瀬田川の治水の歴史
古く奈良時代に僧行基が「琵琶湖周辺の洪水による浸水被害を防ぐには、瀬田川を開削し、早く多くの湖水を下流に出すしかない」といったのが始まりとされる。
然し実際に浚渫工事が開始されたのは寛文10年(1670)が最初で、その道のりは並々ならぬものであったとされる。
瀬田川浚渫の歴史
選奨土木遺産とは
土木学会選奨土木遺産の認定制度は、土木遺産の顕彰を通じて、歴史的土木構造物の保存に資することを目的として平成12年度に創設されました。 土木学会としては、その結果として、
(1)社会へのアピール (土木遺産の文化的価値の評価、社会への理解等)
(2)土木技術者へのアピール (先輩技術者の仕事への敬意、将来の文化財創出への認識と責任の自覚等の喚起)
(3)まちづくりへの活用 (土木遺産は、地域の自然や歴史・文化を中心とした地域資産の核となるものであるとの認識の喚起)
(4)失われるおそれのある土木遺産の救済 (貴重な土木遺産の保護)
などが促されることを期待しています
新瀬田川洗堰
昭和36年、旧洗堰下流100mの位置に、瀬田川洗堰が新たに建設された。新堰は電動で遠隔自動制御方式である。
鋼製2段式ロ-ラ-ゲ-ト10門により洪水等の大きな流量の調整を実施する。さらに平成14年(1902)に完成したバイパス
水路で渇水時などにおける小さな流量を高い精度で調整できるようになった。
瀬田川洗堰周辺案内
アクア琵琶
最先端の展示・映像技術を取入れ、琵琶湖と淀川水系について、様々な角度から分かりやすく紹介している施設。
旧洗堰に関する模型や写真が常設展示されている。
水のめぐみアクア館元休憩所
左岸に建つ木造一階建洋風建築 明治44年に建設され、洗堰看守場、監視所、管理所として、約50年間洗堰と瀬田川の水利を見守ってきた。
国土交通省琵琶湖河川事務所
近畿の水の総元締め
南郷水産センタ-
「魚と遊べるパラダイス」 魚をもっと身近に感じる楽しい体験ゾ-ンが一杯。水産資料館もある。
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