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滋賀県大津市 勾当内侍廟・野神神社

Koutounaishibyo,Nogamijinja, Otsu city,Shiga

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Aug.2011 中山辰夫

大津市今堅田2丁目

堅田漁港より1km北、琵琶湖大橋近くの森にある。

ここは南北朝時代の武将として有名な新田義貞の妻であったとされる「勾当内侍」を祀る神社です。

明応6年(1497)内侍150年祭に、伊豆神社飛地にある墓の上に祠を建て野神神社とした。

鳥居をくぐって境内に入ると、小さな社殿があり、その背後に勾当内侍の墓があります。

案内ボード一覧

境内

野神神社

勾当内侍廟

天保7年(1836)の500回忌に京都上賀茂社の神官加茂季鷹(かものすえたか)が寄せた追悼文を刻んだ石碑

明治16年(1883)550回忌の際に滋賀県県令籠手田安定(こてだやすさだ)が揮毫した「勾当内侍墓」の石碑

浮世絵 周延筆 義貞との哀別離苦ときちがい祭

浮世絵 月岡(大蘇)芳年画 堅田で義貞内侍と惜別の図

きちがい祭「城門祭」

野神講では、10月8日奇祭きちがい祭「城門祭」が行われる。

もともと収穫を祈念する祭りだったが、内侍の霊を慰めるようになり、里人が内侍のため足利の追手をくらます奇祭になった。

内侍の故事と野神神社の神事が絡み合って行われ、内侍狂乱の姿を再現し、「城門や、火事や、火事や・・・」と連呼する

しつつ、新田義貞をしたう村人が、悲恋の内侍を思い出して繰り広げる行事である。

由緒

野神神社は新田義貞公夫人勾当内侍を祀る。内侍は従二位藤原経尹の三女、行房の妹なり。後醍醐天皇延元元年(1336)5月

足利尊氏東犯し、新田義貞京都、兵庫に戦いしも利あらず、10月比叡山より皇太子恒良、尊良親王を奉じ越前へ下向の砌(みぎり)

内侍を西近江路堅田に留める。

延元3年閏7月2日義貞運なく、越前藤島にて戦没、悲報が堅田内侍の居に、家臣瓜生判官によりもたらされた。

内侍は9月9日夜悲痛の余り、義貞遺愛の笛を吹いて、たもとに小石をつめ、琴ケ浜に入水したとされる。

今堅田の人々は非業の死をとげた内侍をとむらって石積の塚を築き、野神講を組織して祀り、泉福寺がその菩提寺となった。

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