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滋賀県大津市 園城寺(三井寺)

Onjoji(Miidera),Otsu city,Shiga


June 2011 中山辰夫

園城寺は、山門(比叡山)との対立や源平の争乱、南北朝の争乱などによる焼討ち、さらには豊臣秀吉の闕所(けつしょ)による堂舎の亡失など、幾多の法難に遭遇したが、現在も多数の伽藍を擁する寺容を誇る。

長等山の中腹から山麓一帯に100万㎡の境内をもつ。

    

大門(仁王門):宝徳4年(1452):国重要文化財: (仁王像は運慶の作で国重文)

三間一戸楼門 入母屋造 桧皮葺

浄域への表門として慶長6年(1601)、徳川家康により甲賀の常楽寺(既報)から移建された。端正で品位が高い。

    

端正で品位が高い

    

食堂(じきどう 釈迦堂):室町中期:国重要文化財

桁裄七間 梁間四間 一重 入母屋造 桧皮葺:中世寺院の食堂(じきどう)の様式を伝える。

     

室町時代初期の御所清涼殿を解体、移築したものとされる。

   

本尊に釈迦如来を安置したため、釈迦堂の名で親しまれる。

    

光浄院客殿:慶長6年(1601):国宝

仁王門をくぐり右の道を少し進むと白壁の塀と石垣に囲まれている。子院の一つ。外観は勧学院と似ている。

    

客殿

桁裄七間、梁間六間、一重、入母屋造、妻入り、正面軒唐破風付き 総?葺

洗練された書院建築として桃山時代の代表的な作品である。山岡道阿弥画復興した。

    

入母屋造と切妻の唐破風の違った屋根の稜線が美しい調和を描く。障壁画も素晴しい。参観は事前申請が必要

    

資料 滋賀県教育委員会発行

    

庭園

桃山時代のもので、枯滝を組み、植込みと石組が見事である。庭ではツバキ・ネズミモチ・桜・カシなどが咲く。

    

資料 滋賀県教育委員会発行

    

資料 滋賀県教育委員会発行

  

教待堂

教待和尚の像を安置している。智証大師が入山以前にこの聖地を護持していた不思議な老僧とされる。

   

金堂:慶長4年(1599):国宝

桁裄七間 梁間七間 一重 入母屋造 向拝三間 桧皮葺

前身の金堂は文禄4年(1595)の破却に際して延暦寺に移され、転法輪堂に変わった。現在の金堂は秀吉の遺志をついだ北政所の援助を得て慶長4年(1599)に再建されたもの。圧倒的な量感が感じられる。

    

屋根は日本建築の“顔”・“粋”といわれる。建築家は、この巨大な屋根をいかに小さく美しいものにみせ、雨に強くするかに腐心した。

園城寺の屋根は軽やかで上品。今にも飛び出そうとする鳥の姿に似ている。一見、直線に見える棟の流れは緩やかな曲線で構成されている。

    

柱は円柱で、組物は二手先、中備は間斗束を立てる。正・背の扉上だけ蟇股で飾る。

    

園城寺は桃山期を代表する名建築。彫刻の展示場ともいわれる。その中でも手挟みの絢爛たる花模様は彫刻技術の粋を集めたもの。

柱上の手挟は牡丹・菊・蓮などの趣を変えた彫刻が美しい。

     

   

きしみ音とともに開く扉。扉が自重で歪んだり、動き難くならないように八双金具が使われている。デザインもスッキリしている。

        

鐘楼(三井の晩鐘):慶長7年(1602)再建:国重要文化財

桁裄二間 梁間一間 一重 切妻造 桧皮葺

    

姿は宇治の平等院(既報)、銘は高尾の神護寺(既報)、音は三井寺とたたえられる日本三銘鐘の一つ。荘厳な音色がいい。

    

近江八景で有名な「三井の晩鐘」として名高く、NHKの「除夜の鐘」で誰もが耳にした音色である。

「七景は 雲に隠れて 三井の鐘」芭蕉

閼加井屋:慶長5年(1600):国重要文化財 北政所が建立

桁裄二間 梁間三間 一重 向唐破風造 桧皮葺

    

今も湧き出る泉を護る覆屋は慶長5年(1600)の建立。大小の石組みが苔むしている。奈良時代を偲ばせる。

  

    

欄間は、鴨居や内法長押(うちのりなげし 鴨居の上部にある長押)の上部に作られた開口部で、一種の窓である。

   

石組は日本庭園史上、飛鳥時代の様式を留めるものとされる。弘文天皇第三皇子大友与太王の大邸宅があった証拠とされる。

高さ1.5m余の中尊石の左右に、それぞれ高さ90cm、70cmの脇侍石を配している。三尊石組として最も古い。

 

芭蕉の句碑

  

天狗杉

   

霊鐘堂(弁慶の引摺り鐘)

    

また、中世の「山寺両門の争い」を象徴する「弁慶の引摺り鐘」伝説で知られる。ヒビも入っている。

謡曲「三井寺」にも「三井の古寺鐘あれど、昔にかえる声聞こえず」とある。

   

孔雀

    

一切経蔵:室町中期:国重要文化財

    

慶長7年(1602)、戦国大名毛利元より山口県・国清寺より移築、寄進された。屋根の流れが目立つ。

    

    

波の形も自然で、しかも連子の間隔の十分。和紙を使っているので、やわらかな光の中に浮き上がる波形がたまらない。

 

堂内には回転式の八角輪蔵「本棚」がある。一切教がおさめてあり、まわる書架である。

 

唐院

一切経蔵の南、三重塔を取り囲むように造られた一郭が寺内で最も重要な唐院である。智証大師の御廟である。

唐院は智証大師が入唐してもたらした経巻や法具等が納められた所で、伝法灌頂の道場として神聖な区域である。

この一郭内に、東を正面にして四脚門、潅頂堂、唐門、大師堂と一直線に並び、潅頂堂の南に長日護摩堂、北に三重塔が配置されている。

  

唐院四脚門:寛永元年(1624):国重要文化財

切妻造 桧皮葺

    

唐院唐門:慶長3年(1598):国重要文化財

慶長3年(1598)の造営、一間一戸の向唐門(唐破風が前後に在る門)で、さほどの特徴はない。

  

唐院大師堂:慶長3年(1598)再建:国重要文化財

桁裄三間 梁間二間 一重 宝形造 桧皮葺

 

内部に智証大師像と黄不動尊像が祀られている唐院の中心建築である。

資料 滋賀県教育委員会発行

      

唐門庫裏

  

塔婆(三重塔):室町中期:国指定文化財 

    

    

もとは奈良県・比蘇寺(ひそてら)より移建された。

    

唐院灌頂堂:寛永元年(1624):国重要文化財 

桁裄五間 梁間五間 一重 入母屋造 桧皮葺

    

装飾要素はごく控えめで、正面中の間軒唐破風まわりの蟇股や飾金具ぐらいである。

    

唐院長日講摩堂:寛文6年(1666):県指定文化財

桁裄三間 梁間三間 一重 宝形造 本瓦葺

白砂を敷き詰めた尊厳な唐院の一郭に建つだけに角柱に漆喰塗の真壁で仕上げがなされている。

他の建物と調和を取って繊細、優美に造られている。小さなお堂である。白砂は立ち入り禁止である。

    

村雲橋

橋の命名には伝説が残る。

       

勧学院

橋を渡った所の北西の角、唐院の南に位置する。園城寺の子院の一つで、周囲は石垣に囲まれて建つ。

客殿 慶長5年(1600) 国宝

桁裄七間 梁間七間 一重 入母屋造 妻入り 正面軒唐破風付き

   

外観は正面車寄部分の妻戸、唐破風さらに中門があって寝殿造以来の伝統的形式が残る。

変化にとんだ外観は調和が取れ、気品に溢れた桃山時代を代表する書院建築である。障壁画も桃山時代の秀作である。

  

庭園も素晴しい。学問所にふさわしい名園で、庭の中央にはヒノキ・杉の大木がある。参観は事前申請が必要。

  

微妙寺

三井寺の五別所の一つで現地に移築したもの。

本尊は十一面観音(重要文化財・平安時代初期)で、現在は湖国十一面観音霊場の第一番札所

    

天台智大師

  

衆宝観音

  

毘沙門堂 江戸前期 国重要文化財

    

元和2年(1616)の建立で、極彩色に荘厳された優美な建築。

   

重文の毘沙門堂を過ぎるとほどなく急な石段へ取り次ぐ。登りつめたところが、広い眺めをもつ観音堂だ。

西国三十三ケ所観音霊場第十四番札所−中心伽藍の粛然とした佇まいと対照的に開放的だ。

      

観音堂:三十三ケ所巡りの十四番札所 元禄2年(1689)再建 県指定文化財

正堂:正面三間 側面三間 宝形造 桟瓦葺 礼堂:桁裄九間 梁間三間 二重 入母屋造 向拝三間 本瓦葺

    

延久4年(1072)、後三条天皇の病気平癒を祈って山上に建てられた聖願寺を前身とする。

    

    

本尊:如意綸観音(国重要文化財:平安時代)33年毎に開扉される秘仏

   

鐘楼:文化11年(1814)県指定文化財

        

百体堂:宝暦3年(1753)

県指定文化財

    

観月舞台:寛永3年(1849)県指定文化財

        

崖にせりだして建つ懸崖造である

  

絵馬堂:享和2年(1802)市指定文化財

    

手水舎:明治14年(1881)市指定文化財

    

伽藍の並びも美しい。比叡山の山並み、大津市街、琵琶湖が一望できる。飛鳥の時代には天智天皇の大津京が目の下に見えたかも。

     

展望台近くに大津そろばん碑が建つ。石段を降りると三尾神社・長等神社に近い。

  

水観寺

園城寺の五別所の一つ。庶民が下駄履きのまま参拝できる形式となっており、五別所の中で最も古い本堂である。

本堂(すいかんじ):明暦元年(1655)建立 県指定文化財

桁裄四間 梁間五間 一重 入母屋造 こけら葺

三井寺の五別所の一つで現地に移築したもの。本尊に薬師如来を祀り、現在は西国薬師霊場の第四十八番札所となっている。

    

財林坊・本地院

    

護法善神堂(千団子社)市指定文化財 享保12年(1727)再建

    

   

   

桁裄三間 梁間二間 切妻造 向拝一間 桧皮葺

    

装飾をおさえたおとなしい造りである。細部まで丁寧な施しである。

        

 

毎年5月の祭礼は(千団子さん)と親しまれ、子どもの無地成長、安産を祈願する人で賑わう。

本地堂 市指定文化財

  

寺宝

仏像をはじめとした国宝・重要文化財が多く所有されている。数例を記す「引用」

長等山下西山楼前嬉儘場風景 

館蔵 里内文庫 明治7年(1874)

桜で有名な長等山周辺の春の様子 ひときわ目立つ高所にあるのが近松寺。

 

三井寺観音堂落慶図絵馬 

三井寺所有 元禄3年(1690)

貞享3年(1686)に焼失した観音堂の再建の様子を描く。現在の観音堂はこの時の元禄2年(1689)に再建されたもの。

元禄11年(1698)に「諸国巡礼の助力」により瓦葺となった。

 

三井寺境内図絵馬 

三井寺所有 天和3年(1683)

右手に大門を、その上方に金堂、三重塔、唐門が描かれ、左手には巡礼札所である観音堂(正法寺)と、その麓の新宮社「長等神社」門前の賑わいが描かれる。右下には琵琶湖と湖上を行く船が見える。

本図は園城寺観音堂に奉納された絵馬のうち、現存最古の一面で、貞享3年(1686)の火災以前の姿を伝える資料として基調とされる。

 

三井寺図并近江八景付歌 

館蔵 里内文庫 

三井寺の伽藍を中心に、右上は比良の山、右下には琵琶湖を堅田から瀬田石山までの近江八景ゆかりの地を描き込む。

近江八景のそれぞれの地に、歌が付されている。

 

参考資料《滋賀県の地名、古寺巡礼・三井寺、日本の建築、大津市史、近江西国三十三所、ほか》

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