滋賀県大津市 園城寺(三井寺)
Onjoji(Miidera),Otsu city,Shiga
January 5 and 13, 2020 野崎順次 source movie(Jan 5) source movie(Jan 13)
滋賀県大津市園城寺町246
天台寺門宗総本山
長等山園城寺 三井寺
伽藍の説明は全てウィキペディア「園城寺」からの引用である。
パンフレットと現地説明板
中院
国重文 大門 - 仁王門とも呼ばれる。
入母屋造の楼門(2階建ての門で、下層と上層の境には屋根の出を造らないもの)。もとは近江国の常楽寺(滋賀県湖南市)にあった室町時代の宝徳4年(1452年)に建てられた仁王門であるが、豊臣秀吉によって伏見城に移築されていたものを慶長6年(1601年)、徳川家康が寄進したものである。
国重文 釈迦堂
大門を入って金堂に至る道の右側にある。天正年間(1573年から1593年)造営の御所清涼殿を下賜され移築したものと伝えられる。
弁財天社 - 八臂弁財天を祀る。
金堂への参道と石段、手水舎
国重文 鐘楼
金堂の左手前にあり、「三井の晩鐘」で知られる梵鐘を吊る。この梵鐘は慶長7年(1602年)の鋳造で、平等院鐘、神護寺鐘と共に日本三名鐘に数えられている。
国宝 金堂
中院の中心堂宇。園城寺再興を許可した豊臣秀吉の遺志により、高台院が慶長4年(1599年)に再建した。入母屋造、檜皮葺きの和様仏堂である。なお、移築された旧金堂は延暦寺西塔の釈迦堂として現存する。
国重文 閼伽井屋
金堂の西に接して建つ小堂で、慶長5年(1600年)、金堂と同じく高台院によって建立された。堂内には三井寺の名の起こりとなった霊泉が湧出している。
閼伽井石庭
霊鐘堂-霊鐘「弁慶の引摺鐘」(重文)を安置している。
インドクジャクなど
国重文 一切経蔵
室町時代の建築。毛利輝元の寄進により、慶長7年(1602年)、山口市の国清寺の経蔵を移築したもの。輪蔵。
国重文 三重塔
鎌倉時代末期から室町時代初期の建築。奈良県の比曽寺にあった東塔を豊臣秀吉が伏見城に移築したものを、慶長6年(1601年)、徳川家康が再度移築させたもの。
唐院
国重文 灌頂堂 - 大師堂の拝殿であるが、灌頂(密教の儀式)の道場でもある。
県文 長日護摩堂 -
後水尾天皇の寄進で建立された護摩堂。
国重文 唐院四脚門
智証大師円珍が唐から帰国後、請来した経巻法具などを納めたところであり、寺内で最も重視されている中院の一区画・唐院の正門。寛永元年(1624年)に建立。
それから、さらに
微妙寺 - 別所。本堂は安永5年(1776年)の再建
文化財収蔵庫、展示品は撮影禁止
南院の方へ
国重文 毘沙門堂
観音堂の麓にある堂。元は別所・尾蔵寺の南勝坊境内に元和2年(1616年)に建立されたもの。1910年(明治43年)に上三尾社の近くに移されたが、1956年(昭和31年)に現在地に移築される。
南院札所伽藍の高台へ
県文 鐘楼
文化11年(1814年)に再建。元々は「童子因縁の鐘」が下がっていたが、太平洋戦争中の金属類回収令によって供出された。
県文 百体堂 西国三十三所・坂東三十三箇所・秩父三十四箇所のそれぞれの本尊である百体の観音像の写しを安置する。宝暦3年(1753年)に建立。
県文 観月舞台 懸造の舞台。嘉永3年(1849年)に建立。
市文 絵馬堂
市文 手水舎
県文 観音堂
寺域の南側、琵琶湖を望む高台に位置する南院の一区画である札所伽藍の中心堂宇。西国三十三所観音霊場の第14番札所として知られる。後三条天皇の病気平癒を祈願して延久4年(1072年)に西方の山上、華ノ谷に創建された。当初は聖願寺や正法寺という名前であったが、文明13年(1481年)に現在地に移された。貞享3年(1686年)に焼失する。現在の観音堂は元禄2年(1689年)に再建されたもの。
帰途、石段を下る。勇猛僧兵の筒井浄妙坊跡、水観寺、総門、琵琶湖疎水など。
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