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滋賀県大津市 旧東海道逢坂山随道

Ousakayama tunnel,Otsu city,Shiga

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July.2011 中山辰夫

 

大津市逢坂一丁目

近代鉄道遺産

関蝉丸神社上社から国道1号線を下社に向う途中にある。

京都方面から大津に向かう国道1号と161号の合流点手前の山裾(大津市逢坂一丁目)に、100年以上前に建設された鉄道トンネルの入り口がある。(逢坂山トンネル東口)

このトンネルにより京都と大津が鉄道でつながれた後、大正10年(1921)東海道本線が路線変更された時点で廃止になった。

今もトンネルの中はほとんど残っていて、京都大学防災研究所の管理する地震計が設置されている。

逢坂山トンネルの掘削は、明治11年(1878)に始まり、13年(1880)竣工した。

600mを越す山岳トンネルは初めての経験であった。生野銀山のベテラン労働者が掘削工事に従事した。生野銀山の労働者は英国から輸入された機械の使用をきらい、伝統的なノミ、ツルハシによる手堀りの方法に頼り、岩盤の固いところは火薬を使用した。

軟質な地盤に悩まされ、1日に1mも進まない日もあった。落盤事故で犠牲者も出た。

貫通後、内部にレンガを貼り付ける工事を追加した。延べ71,498人の鉱夫が動員された。

現在当初のトンネルの石積が残されている。二ケ所あるのは、複線時代の上下線であり、当初単線として出発した時のトンネルは、向って左手である。

トンネルの入口上部には、開通当時太政大臣であった三条実美の筆による「楽成頼功」の扁額が掲げられている。

落成が「楽成」とあるのは、「落」は不吉としてこの字をあて、「功」は「工」の意味とされる。「明治庚辰」は開通した明治13年(1880)をあらわす。

トンネル内部

ポ-タルは石組である。

内部は重厚なレンガで構成されている。

この奥は地震研究所になっている。

片方のトンエルは埋められている。

資料

東海道本線は日本最初の鉄道として新橋−横浜間で開業した。

遅れること数年、近畿でも工事が始まるが、中でも難工事となったのが京都−大津間。

わずか10kmあまりの距離だが、京都市の特に東側、東山と逢坂山という2つの山がその原因だった。

京都駅からは東山を迂回して現在のJR奈良線のルートで南下、途中稲荷駅の南から稲荷山麓を回りこむようなルートをたどった。

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