滋賀県大津市 蘆花浅水荘
Rokasensuiso,Otsu City,shiga
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大津市中庄1-19-23 蘆花浅水荘 本屋 重文 近代/住居 大正 大正10(1921) 木造、建築面積174.5㎡、一部二階、桟瓦葺、北面便所附属 別荘入費及び祝品控1冊、庭園施設 19941227
大津市中庄1-19-23 蘆花浅水荘 離れ 重文 近代/住居 大正 大正4(1915) 木造、建築面積154.1㎡、一部二階、桟瓦葺 19941227
大津市中庄1-19-23 蘆花浅水荘 持仏堂(記恩堂) 重文 近代/住居 大正 大正9(1920) 木造、建築面積27.32㎡、茅葺 19941227
大津市中庄1-19-23 蘆花浅水荘 渡り廊下 重文 近代/住居 大正 大正10(1921) 折曲り延長20.1m、門一所を含む、桟瓦葺 19941227
大津市中庄1-19-23 蘆花浅水荘 表門 重文 近代/住居 大正 大正10(1921) 一間腕木門、寄棟造、檜皮葺、両袖塀及び腰掛待合付 19941227
大津市中庄1-19-23 蘆花浅水荘 土蔵 重文 近代/住居 大正 大正8(1919) 土蔵造、建築面積23.60㎡、本瓦葺 19941227
March 14,2026 大野木康夫
所在地 滋賀県大津市中庄1丁目19-23
【国指定文化財等データベースから引用】
蘆花浅水荘は日本画家山元春挙によって琵琶湖西岸に営まれた別荘である。別荘建設の経緯は棟札及び「別荘入費及祝品控」により知られ、大正3年に屋敷地を購入、同10年までに庭園と各建物が整えられた。広大な屋敷地の西半部に中庭を取り囲むように配された本屋と離れが建ち、その南には露地風の前庭を挟んで表門を構え、本屋の北に隣接して土蔵が建つ。屋敷地東半には蛇行する流れを有する庭園を設け、園内に持仏堂のほか、腰掛待合、砂雪隠、四阿及び茶室を配する。蘆花浅水荘は、大正時代における別荘の形態を庭園、建築ともに良く残し、また数寄屋造を基調とした形式と技法は、意匠的、技術的に優秀であり、価値が高い。
アプローチ
京阪電鉄石山坂本線瓦ヶ浜駅から北東へ徒歩4分(300m)
JR石山駅から北へ徒歩20分(1.5km)
膳所・晴嵐の道A駐車場(コインパーキング)から西へすぐ(100m)
通常は事前予約が必要ですが、3月14日は予約なしで拝観(記恩寺という寺になっています)できる日だったので訪問しました。
予約なしの日はホームページで確認することができます。
駐車場からのアプローチ
北側に白亜・直方体の立体駐車場が聳えており、コントラストが強くなって撮影が難しくなっています。
表門前の表示
全体
表門(重要文化財)
大正10(1921)年の建築
一間腕木門、寄棟造、檜皮葺、両袖塀及び腰掛待合付
本屋(重要文化財)
大正10(1921)年の建築
木造、建築面積一七四・五平方メートル、一部二階、桟瓦葺、北面便所附属
便所
内部
二階内部
離れ(重要文化財)
大正4(1915)年の建築
木造、建築面積一五四・一平方メートル、桟瓦葺
内部
渡り廊下(重要文化財)
大正10(1921)年の建築
折曲り延長二〇・一メートル、門一所を含む、桟瓦葺
持仏堂(記恩堂)(重要文化財)
大正9(1920)年の建築
木造、建築面積二七・三二平方メートル、茅葺
内部
土蔵(重要文化財)
大正8(1919)年の建築
土蔵造、建築面積二三・六〇平方メートル、本瓦葺
茶室(穂露)(附指定)
四阿(附指定)
腰掛待合(附指定)
砂雪隠(附指定)
庭園(大津市指定名勝)
本位政五郎の作庭による。
【大津市ホームページ「文化財の一覧」から引用】
蘆花浅水荘は、帝室技芸員山元春挙が、生まれ故郷の膳所の湖岸に建てた別邸である。庭は、離れの東側に琵琶湖に接して造られた。湖岸に沿って芝生の築山を築き、その手前に緩やかに蛇行する流れを配し、北側の樹木以外は全面を芝生張りとし、植栽も極低い松を植えるにとどめている。琵琶湖をへだて、三上山・金勝山・比叡・比良の山々を借景として構想されたが、湖岸の埋立てと湖岸道路の開通により、その意図が損なわれる結果となった。
June 15, 2019 野崎順次 source movie
滋賀県大津市中庄1丁目19?23
蘆花浅水荘
蘆花浅水荘は、明治・大正・昭和初期にかけて、京都画壇で活躍した日本画家山元春挙の別荘庭園です。40歳頃、生地に近い大津市膳所の琵琶湖畔に自分の画の師森寛斎と両親の恩を記す目的で別荘の建築を思い立ち、大正3年から10年前後にかけて、離れ、土蔵、持仏堂及び本屋を完成させました。また庭園も琵琶湖及び対岸の三上山(近江富士)を借景に、自然の中に、自己の芸術を表現しようとしました。
時代の移り変わりの中で、別荘街であった周辺もすっかり変容しましたが、当所は昭和30年、春挙の嗣子清秀が「宗教法人記恩寺」とする等しながら守られ、平成6年に「近代和風建築の遺例」として、国の重要文化財に指定されました。
現在、年間を通じて一般公開しています。(予約制)大正時代の雰囲気を随所に残し、湖岸道路を前にしながらも、静かで落ち着いた空間を保っているこの場所を一度訪れ、趣味豊かだった春挙の遊び心や、ゆったりとした時の流れを味わってみてください。
名前の由来
建造当時(〜昭和30年代まで)、眼の前の琵琶湖畔には遠浅の水辺に芦が群生し、その情景は
「江村即事」
釣罷帰来不繋船 (釣罷んで帰り来たり 船を繋がず)
江村月落将堪眠 (江村月落ちてまさに眠るに堪えたり)
縦然一夜風吹去 (よし一夜風吹き去るも)
只在蘆花浅水辺 (只在らん 蘆花浅水の辺り)
司空曙(唐の詩人)
を髣髴させるところから名付けられました。
春挙孫 山元寛昭 記
(公式ホームページより)
国重文指定の建物は、表門、本屋、離れ(書院)、持仏堂(記恩堂)、渡り廊下、土蔵である。いずれも大正時代の建築。また、庭園は大津市指定文化財名勝である。
事前予約が必要なことに気付かず、突然、訪問して、ご迷惑をおかけした。そのため、室内は竹の間と離れの一部だけである。庭園は駆け足でほぼ全域を鑑賞・撮影した。風の強い日だった。
パンフレットと現地説明板
国重文 表門
玄関へ
竹の間
離れ(書院)と茶室
北東の茶亭と庭
市名勝 芦花浅水荘庭園 現代 築山流水式
本庭は全面積二百四十九坪ほどあるが、書院の東庭となり、東部は湖水であって、湖水に面して四条派の山水画的な軽い築山を大小作り、中央には北部から流れを作って、これまた四条派山水画的に流してある。築山には数本の小松を植え、流れの中央には沢渡を設け、二、三の小石を捨石として軽く配してあって、いかにも春挙画伯の好みであり、画伯自らの設計であることが解るが、さらにまた本庭の施工に当たっては、当寺京都で造園第一の技術者本位政五郎氏が招かれたので、本庭は大正時代を代表する美しい庭となったのであった。
さらに昭和七年六月には踏石の寄贈者があって、待合や茶亭を増築し、八年六月に完成したが、画伯は完成を見ずに他界された。しかし戦後になって近くに道路がつき、最初の景が消えていくのが惜しまれる。近年は記恩寺と改められて経営されている。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」芦花浅水荘庭園より)
国重文 記恩堂あたり
記恩堂の奥
国重文 渡り廊下
琵琶湖の方を見る。現在の石垣と石段(船着き場)がかつての湖岸であり、三上山と琵琶湖を借景とした庭園であった。
隣の記恩寺山門と石仏
帰途、京阪電車石山線瓦の浜駅が近い。
Nov.2008 瀧山幸伸 source movie
玄関
居間
茶室へ
居間
梅の間
竹の間
二階アトリエ
庭園
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