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滋賀県大津市 酒井神社 両社神社

Sakaijinja,Ryoshajinja,Otsu city,Shiga

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June 2011 中山辰夫

大津市下阪本四丁目

酒井神社の創建は弘仁4年(813)、両社神社の創建は後堀河天皇の元和2年(1225)とされる。

両神社は道を介して建ち、境内は瑞垣(みずがき)で囲み、鳥居、本殿、拝殿、社務所など左右対称に配している。

古来より両社を一社として両社権現、または両社大明神と称し、現在の酒井神社を北宮、両社神社を南宮と区別していた。

両社ともに日吉山王境内末社とされる。

両本殿は構造形式、手法、様式など全く同じで、蟇股の彫刻や紅梁若葉の細部が異なるだけである。

神社には多くの棟札が残されており、元和6年(1620)広島藩主浅野長晟によって現本殿が建てられたことがわかる。

建物は一間社流造で、正面2.43m奥行は身舎と向拝を合わせて4.13mであり、身舎柱上に三斗組の斗?(ときょう)を組み、蟇股を四面に飾る。

酒井神社

祭神:大山咋命(おおやまくいのかみ) 創建は弘仁4年(813)

境内:本殿、拝殿以外に神輿庫、手水舎がある。

本殿:

県指定文化財

一間社流造、正面2.43m・奥行は身舎と向拝を合わせて4.13m。

身舎柱上に三斗組のときょうを組み、蟇股を四面に飾る。

本殿の組物、蟇股彫刻

琵琶湖洪水石標

市指定文化財

琵琶湖の沿岸は、瀬田川の洗堰完成まで水位の変動によって冠水や洪水に見まわれてきた。この石標は最大の洪水となった明治29年(1896)の洪水の最高水位(388cm)を刻んでいる。

阪神淡路大震災の影響

平成7年(1995)の起こった阪神淡路大震災の時に、本殿の柱がズレを生じた。その後、異常はないとのこと。

「酒井之旧跡」 

下阪本四丁目 霊水伝承の一つ。

嵯峨天皇の弘仁元年(810)下阪本の地に酒の泉が湧出した。梵音堂町の西の小字的場付近(現下阪本4丁目)という。

そして、酒の精は大山咋神との神告があり、村人がこの泉を掘ったところ石形の神体が出てきた。酒泉の湧出は古来吉例であるので、社を建て酒井大明神として崇敬した。これにちなんで、前の町を酒井町と改めたという。

これが酒井神社の前身で、現在地に移ったのは、元和6年(1620)と伝える。

両社神社

祭神:伊邪那岐命 伊邪那美命

境内には、拝殿。本殿の他に神饌所 神庫 神輿庫 手水舎 社務所 がある。

拝殿:入母屋造 間口二間三尺 奥行二間三尺

本殿

県指定文化財

一間社流造、正面2.43m・奥行は身舎と向拝を合わせて4.13m。

身舎柱上に三斗組のときょうを組み、蟇股を四面に飾る。

蟇股彫刻

おこぼまつり

市指定無形民族文化財

両神社で、1月6日から8日まで五穀豊穣を願うおまつりがおこなわれる。

氏子各戸から集められたモチ米で独特の形をした“おぼこ餅”が作られ、8日に神前に供えられる。

この日、氏子の15歳以上の男子全員が初寄合いを兼ねて祭りの頭屋に集まり、宴会をする。古い習俗を伝える新年行事である。

神事の由来は、昔正月七日の夜、瀬田唐橋に住む龍神が両社川をのぼって人身御供(ごく)を取りにきたといい、この時人身御供の代わりに「オダイモク」を供えたのに始まるといわれる。

完成したオダイモク

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