滋賀県大津市 坂本 芙蓉園(旧白毫院)
Fuyoen(Bykugoin) Sakamoto,Otsu city,Shiga
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September 3, 2022 野崎順次 source movie
滋賀県大津市坂本4-5-17
芙蓉園本館(旧白毫院)
延暦寺の僧侶の隠居所でもある里坊のひとつである白毫院。庭園は江戸初期(1658~1660)に白毫院が建築された当時に作庭された。明治初期に料亭・芙蓉園の所有となる。ランチを食べて庭をじっくり拝観することにした。その前に、入口に穴太衆積みの石垣の説明があった。
市史跡 穴太衆積みの石垣 (大津市坂本五丁目)
坂本では、延暦寺の里坊のみならず、街角の神社や古い民家の石塀などに特異な石積みがみられます。これは「穴太衆積み」と呼ばれ、坂本の大字「穴太」の一帯に古来より居住し山門の土木営繕的な御用を勤めていた「穴太衆」の技術によるものです。これは、門前町の重要な景観要素となっており、ことに日吉大社の表参道の左右の里坊地帯には、美しい代表的な遺構がみいだせます。その特色は、加工しない自然なままの石面を巧みに用いて石積みの面を構成し、特にコーナーの整理された自然な美しさと堅固さにあります。
昭和五十年(1975)一月、大津市の史跡に指定されました。大津市教育委員会
(現地説明板)
本館へ
国名勝 旧白毫院庭園 江戸初期 池泉回遊式
坂本の延暦寺里坊群の一つ、東塔東谷に属する白毫院境内に江戸時代初期に築造された回遊式庭園である。
庭園は江戸時代以前の景観をとどめており、穴太衆積みの洞窟、外構の石垣が現存する。洞窟は江戸時代初期寛永年間築造、出入口三箇所、上部は富士山形の築山、大津市指定文化財
(ウィキペディア「旧白毫院庭園」より)
築山と洞窟
庭園の様式
本庭は、万治年中(1658 –
1660)の造りである。様式は、南部の山畔を利用した池泉回遊式の庭であり全庭四百四十坪(1,452㎡)もある、広大な池庭であって東南部山畔には、豪華な枯滝石組があり、この時代の庭園としては一級品である。山畔の急傾斜地を利用し下部東南よりに池庭が作られている。この池庭は寛永期のもので、やや細長く作られていて南東部に小石(栗石)を敷いた出島があり桂離宮の天の橋立に対する栗石の浜を小さくした扱いがあり共通した点がある。出島との間に石槁様の葛石を二本入れて沢渡り式としている中島は他にない。江戸初期寛永を前後する池庭で豪健なものである。
(現地説明板)
東部にある築山。豪壮な枯滝石組を配し、その頂部を三尊石組としています。
池を巡る。
白毫乃滝、あいにく水が止まっていた。
庭園を奥から見る。
Mar.1,2016 中山辰夫
大津市坂本四丁目
現在は料亭芙蓉園となっているが、かつては比叡山里坊の一つ白毫院であった。
東塔東谷に属し、江戸初期に真慶権大僧都が創建。第二世の貞暁の時代、万治年中(1658〜61)に、大々的に改築が行われており、本庭の作庭もその頃と推定されている。
明治になって芙蓉園の所有となり、現在は料亭として開業している。
資料
庭園
江戸期の作庭がよく保存され、今日に伝わっている。
広さが1452㎡もある池泉回遊式庭園である。広大な敷地の山裾に大きな池があり、水を満々とためている
穴太積石垣
大きな切石で囲まれた石窟が見学できる。
少し離れた別館
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