滋賀県大津市 滋賀県県庁舎
Shiga prefecture office,Otsu city,Shiga
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July 2013 中山辰夫
滋賀県県庁舎 本館
大津市京町4−1−1シンボル
■■歴史
明治元年4月に大津県が設置され、同年5月、県庁が元裁判所跡(現浜大津駅付近)に開庁されましたが、その後は本福寺、大津会議所顕證寺と転々とし、明治2年1月、三井寺山内円満院に移庁された。明治4年7月の廃藩置県を経て、明治5年1月に大津県が滋賀県と改称され、約20年近く円満院が県庁舎として使用された。 明治21年6月に、旧庁舎が現県庁所在地に総工費約11万円と2年の歳月をかけて新築された。構造は煉瓦造り2階建て十字形をした建物で、中央の上層を正庁とし、向かって左側を警察部、右側を県会議事堂として50年余り使用された。当時としては洋風のモダンな建物で、集中式の暖房装置も備わっていた。(正庁とは現在でいう講堂で、県の様々な儀式を行った。)
■■現庁舎(本館)
■本館は、総工費200万円で昭和12年より改築に着手、同14年5月に竣工した。
設計は早稲田大学大隈講堂、群馬県庁等を設計したことで知られる佐藤功一氏。
鉄筋コンクリートの4階建で中央には塔屋がそびえ、左右に事務室、そして正面玄関には大きく車寄せを配したその容姿は、ルネサンス様式らしい格調高い存在感を放っており、本県を代表する近代建築の一つとされている。
■配置図
■外観
当庁舎の建築はロ字形平面をなし、前面のみ左右に翼部をのばした水平感と柱と縦の線の反復とのバランスが素晴らしく、ゆっくり眺めていると落ち着きが得られる。人造石とスクラッチタイル貼りとし、中央と両翼にコンクリート式オーダーの片蓋柱(かたふたばしら)を配する。
中央上部には高塔を置く。驚くような特徴はないものの、目の積んだ意匠は両建築家の晩年を飾るにふさわしいとされる。
佐藤功一は早稲田大学教授で同大学の大隈講堂、日比谷公会堂の設計で知られる。官公庁舎も多く手掛けており県庁舎だけでも群馬・宮城・栃木滋賀の4県庁舎を設計している。(宮城は現存せず。栃木は中央部のみ保存。)
■エピソード
日中戦争の勃発をきっかけに、1937(昭和12)10月11日に「鉄鋼工作物築造許可規制」という法令が出され、50トン以上鉄材を使用する建設工事は原則として軍事施設軍需産業以外は認められなくなった。この県庁舎は間一髪すり抜けて建設された。
滋賀県は、まとまりかけた設計を変更して所要鉄材600トンを削減し、7月までに所要鉄材を入手。「許可規制」公布が10月11日、地鎮祭が10月14日、「許可規制」の施工は10月20日かろうじて間に合った経緯がある。まさしく昭和戦前期最後の大建築である。
手前の噴水は昭和40年代に設置されたものだが庁舎の雰囲気によく調和している。
■■外部意匠
派手さもなく、驚くような意匠も少ない。この頃の他の県庁にも共通する。
■■内部意匠
■ステンドグラス
正面階段踊り場
滋賀県庁舎ならではの意匠は中央階段に色濃く表れている。一つは踊り場のステンドグラス。
石造りの平板な感じがする踊り場に自然光による採光を目的としたステンドグラスは、大勢の人が集う県庁舎の華やかさを体現したもの。
■階段壁面の陶器(テラコッタ)装飾。
正面玄関階段
建築当時、従来の石材に代わり注目をされた装飾性豊かな陶器(テラコッタ)レリーフを採用。
当レリーフは1927(昭和2)年に設立された県立窯業試験場(現 信楽窯業技術試験場)で作られた。
生命力に溢れた伸びやかなアカンサス(地中海沿岸を原産地とする多年草)を配した意匠は、陶器ならではのしなやかな曲線で建物に気品を添えている。
参考資料≪日本近代建築大全、滋賀県HP、他≫
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