滋賀県大津市 祥瑞寺
Shozuiji ,Otsu city,Shiga
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Aug.2011 中山辰夫
大津市本堅田1−27−20
臨済宗
本尊:釈迦如来坐像
伊豆神社の東を通る道を100mほど歩いて左に曲がると、門前に「一休和尚修養地」とある石碑がみえる。ここが祥瑞寺である。
近江の臨済禅の中心道場として知られていた。
大徳寺派の高僧・華叟宗曇(かそうそうどん)が応永13年(1406)開山。華叟宗曇が住持となったことで、堅田の禅宗は大きく伸びた。
“とんち”で有名な一休宗純は宗曇の弟子で、青年時代修行した寺として有名。
堅田には農漁民の全人衆(まとうどしゅう)と地侍階級の殿原衆(とのばらしゅう)とがいたが、殿原衆と呼ばれる人々の崇敬を集めた。
この寺は何回も兵火にあいながらも殿原衆の支持で復興・維持されてきた。
境内
敷石に従って進む。
句碑
境内には句碑が多く建つ。
鐘楼
本堂
本堂の方丈は大正時代に焼失している。
現在の方丈は、昭和8年(1933)に再建されたもの。
鎌倉期の禅宗の様式を忠実に踏襲していて、一休を輩出した寺にふさわしく、清浄で風格ある佇まいである。
山門を入り庫裏の左手奥に書院と庭がある。門から中を覗き込んで写す。
書院と書院庭園
江戸時代の堅田藩第三代藩主堀田正永の墓がある。
祥瑞寺で青年時代を送った一休の像で、開山堂に安置されている。宗曇の木像も安置されている。
一休宗純は、21才のとき師謙翁を亡くして悲嘆にくれ、石山寺に詣でたあと琵琶湖に入水した。
母からの使者により助けられた一休は、聖瑞庵の華叟の門をたたき拒絶されるが、「不少屈、夜投虚舟、且造庵前」とねばり入門を認められた。
22才から足掛け13年修養した寺である。その間に悟りを開くとともに一休の道号を与えられた。
一休はのち、大徳寺の第48世の住職に迎えられた。
芭蕉の句碑
元禄3年(1690)、芭蕉も訪れ、「朝茶のむ 僧静也(しずかなり) 菊の花」の句を残し、境内に句碑がある。
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